[5419-2] 谷川うさ子 2019/12/25(水)05:03 修正時間切れ
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ここでは、異なるAとBの場面をイメージすること、Aの皿とBのケーキを対応させることが出来るということが大変、大切です。
動詞文に依存症の人は、このAの場面、Bの場面をイメージすることが出来ないのです。
だから、Cの場面の、3人の女児などは、イメージすることは出来ません。
Aの場面、Bの場面がイメージできれば、当然、Cの場面もイメージできます。すると、Cの3人の女児をイメージできます。
Bの3つのケーキと、Cの3人の女児とは「1対1対応」をすると、「同じ」だ、と認識出来ます。
Bの場面のケーキが3,Cの場面の女児が3、が同じならば、Cの女児3,と、Aの皿3も同じという「1対1対応」が成立します。
ここでは、「同じ」ということを理解できることが重要です。
皿、ケーキ、女児という形も大きさも違うのに、一体、何が「同じ」なのか?といえば、3という「量」の「質・・・意味」が「同じ」である、ということが学べるでしょう。
これが「帰納」と「演繹」の思考の仕方の土台になるのです。
◎続きます。 |
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