[5554-2] 谷川うさ子 2020/04/26(日)19:59 修正時間切れ
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日本人の「コロナ新型ウィルス」の無知は、「医療者がゴミ袋やビニール合羽をかぶって防護いている」、「医学界というアカデミックの権威の保証がなければ、哲学の証拠だてるビタミンCなど免疫理論の証拠は、脳から短期記憶として消える」、という問題が、いかがわしいイジメにも等しい休業とか、海岸にも行くな、ジョギングも止めろ、黙ってじっとしてガマンして家に居ろ、という自粛で大不況の困難の進行を放置しているのです。
◎主題の「入浴」は、フォームの形式と構成にしたがって名詞文が書かれています。
抽象名詞による「概念思考」が完成されています。
「入浴」とは、これだけを見れば、風呂に入る効果、入らないデメリット、が演繹で解明される問題のように見えます。
実際は、介助している高齢の女性の問題です。
概念による思考はうまくいっています。この思考は「もの」「こと」のうち「こと」(事)による思考法です。
ここでは、「もの」(物)による定義が止まっているので、入浴の問題と、これの象徴する「いったいなぜ、入浴しないのか?」という配偶者の認知症の影響と、高齢になって「日本の女性を襲ってくる孤独、心的な孤立」などの問題の現実が見えていません。 しかし、これは哲学を学習する過程に起きる知的な問題であるので、ここの克服を課題にしつつ、Kindle出版を視野に入れていただいています。
◎「客室」を主題としたフォーム(Form)の展開は、努力の人で、問題を知的に解決することに「信」をおいての展開になっています。吉本隆明の「親鸞」の展開を彷彿とさせる迫り方です。
全身全霊という熱意はよく伝わる名詞文の展開になっています。
名詞文を書く、ということのハードルは「名詞・抽象名詞」イコール「概念である」という理解が不全であることです。
これは、日本人の女性がこの壁にぶつかり、誰もが、境界型の精神分裂病に陥っていくのを避けられない壁です。
今の日本は「AI」(人工知能)の記憶の言葉に依存していて、だれもが「境界型の精神分裂病」の症状を普通にしています。「トゥレット症候群・トゥレット障害」がその典型です。
認知症(痴呆症)になれば、例外なく、「あなた」もまた「トゥレット障害」をあらわして家族の手に負えなくなり、施設に入れられるか、一人の部屋で壁に向かって「トゥレット障害」の言葉、動作の常同症をあらわすでしょう。孤独死すれば、周りの人が、経済的損害を負います。
主題の「客室」の概念が定義できてません。コーチングをしても、この概念に定義で止まります。
コーチングは「概念」とは、「証拠」のことである、とレクチュアーしています。
人間の社会では「証拠」が共同の規範を形成します。
犯罪のドラマではつねに「証拠」の真偽が争われているでしょう。
「証拠」とはいつも「物的証拠」とは限りません。
Netflixの映画で「トンプソンの殺害事件」が扱われていました。元妻を殺したのか、どうか?の裁判劇です。「証拠」は指紋です。検察は有罪に自信をもちますが、人種差別の問題がオーバーラップして陪審員は「無罪」に評決します。
ここでは「状況証拠」が優先させられています。
「黒人イコール人種差別」という概念がドラマとして煮詰められます。
観客は「概念イコール証拠」ということをよく理解できるので、無罪だな、いや有罪だろう、と物語に感情移入するのです。
「客室」を概念として定義すればこうなる、ということが、Formに定着しないのは、母系制の生育歴の中で、これが病理の装いとともに迫ってきたからです。後遺症ともいうべき問題です。
この迫りくる病理から逃げる、避ける、という思考が迂回して正当な概念を手に入れようという葛藤を生み出しています。
証拠を手に入れられないので、問題の解決には届かない、とう展開になっています。
この問題が解決できれば、Kindle出版を目標に立ててもよい、というGOWサインが灯るでしょう。 |
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