[5604-2] 谷川うさ子 2020/06/18(木)19:44 修正時間切れ
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●ゼミでは、人間の目は、見たものをそのとおりには認識しない、ということをレクチュアーしています。これはヘーゲルのいう教養というものです。「確認バイアス」「認知バイアス」などの知識が教養です。
人間は「自分が見たいものしか見ない」という知識が教養です。こういう脳の働き方を最初に解明したのが「フロイド」です。ユングがこういう心理学を熱心に展開いています。
だから、自分は今、なにを見ていることになるのか?自分は今、何を聞いていることになるのか?というように、自分の脳の中の「知覚」と「認知」、そして「認識」のそれぞれの違いを、知識と理論で確定、もしくは定義する必要があるのです。
それは、目で見る、という脳の最初の契機から、順に辿る、ということで、日本人の脳でも可能です。
ポルソナーレは、約20年間の「幼児教育の現場の実践」でこの脳の働き方を確かめています。
また、「マイナスゼロ歳(胎児)から、2歳児までの脳の働きを、5官覚から発達させる教育」として「阿部進さん」と一緒に「「1日10分教育法」の通信教育の教材を開発して約20年くらい販売しました。
このカリキュラムを書いたのはポルソナーレの田原です。ほぼ20億円くらいを売りあげました。
この「胎児」「乳・幼児」の脳の発達をモデルにした、「5官覚」の理論の始まりは、交感神経の「目」で見る、次に、「頭頂葉」で「認知」(右脳)と「認識」(左脳)に変容する、という順序をたどります。
◎「頭頂葉」(右脳と左脳)の心的な機能。
●「距離」・・・目で見る対象の「全体」の「形」、 「姿」を認知する。また認識する。
●「角度」・・・目で見る対象を「前後、左右、上下」の 位置からみて統一する。 乳幼児の目(視覚の知覚)は「2・5次元 のイメージ」をつくり「イメージ思考 する」。1歳半からは、「3次元のイ メージでイメージ思考する」。
◎この「頭頂葉」(右脳から、左脳へ)の心的な機能のとおりに「幻聴」という名詞の言葉を「1対1対応」させてみると、「これは事実」「これは事実ではない」という違い・差異が浮かび上がります。
カウンセリングの現場でよく聞く話は「階上の住人は、私に嫌がらせをするために、物音を立てている。だから聞き耳を立てる、また始まるぞ、ほら始まった」という経験です。
物音は事実でしょう。しかし、それは生活のなかの物音でしょう。
つまり、「頭頂葉」が知覚する「全体」(角度=3次元)という階上の住人の背景、生活の状況についてのイメージ思考が無いのです。
このイメージ思考は、確かに誰でも「1歳半」までは出来ていたのです。
しかし、2歳くらいから「母親が壊した」のです。これが「不安定な愛着」の始まりです。
母親が「怒鳴った」「手で叩いた」「かんしゃくを起こして叫んだ」「子どもが話しかけてもスマホの画面を見て子どもである自分の顔も目も見なかった」などという経験はありませんか?それが「不安定な愛着」です。
●「方向」・・・方向とは「方向性」のことです。ある1点に向かって一直線に進む、という意味です。
自分が今、位置している場面から離れている地点まで進んで行く、という意味です。
これは、離れている地点にある対象に近づく、手に触る、手に取る、というイメージ思考のことです。
自分は今、対象から離れてはいるけれども、イメージ思考のなかでは「対象」を手に取り、手で触れている、という認知のことです。
対象を触り、扱った経験があれば、その時の感触がイメージされるでしょう。
この感触のイメージ思考を指して「実在性」というのです。
●名詞の言葉は「実在性」を認知させる、というヘーゲルの現象学はこういう理論を内包して成立しています。
この「角度」という頭頂葉の心的な機能を「幻聴」に「適合」させれば「全体」(=背景、状況)には「実在性が無い」、という理解にいたらなければならない、というのは誰の目にも一目瞭然です。
◎こういう「頭頂葉」の「目で見る」、とういう視覚の脳のなかでの心的な現象を知識と理論の土台にして「もの」「こと」から「ゲシュタルト形態」へと進行します。 |
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