[5631-2] 谷川うさ子 2020/07/10(金)19:55 修正時間切れ
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「当たり前じゃないか」と思うでしょう。
ところが、この理解がなかなか出来ないのが人間です。 Netflixで「映画」(洋画)を観ると、「書き言葉」と「話し言葉」とは同じ語彙なのに、「せりふ」ではまるで別の言葉であるかのようにしやべっているにに気が付きます。
例えば、pleaseという言葉を「よろしく」でも「敵に命乞いをする」でも、「コーヒーを煎れてくれ」でも「デートしてくれないか」でも一様に遣っています。
話す、という行動の「動詞」で変形させられているのです。
これは「メト二ミー」(換喩)という修辞法で行動の場面にくっいた意味に変化が起きているのです。
この「メト二ミー」だけでつくられているのが日本語です。
言葉の語尾が「う」(u)ならば「動詞」(歩く、明るく、起きる、など)です。
言葉の語尾が「い」(i)ならば「名詞」(歩き、明るい、起き、など)です。
動詞が名詞に「メト二ミー」で意味を転換させています。
これを国語学者は「品詞の転成」といっています。
日本人は「動詞の言葉」の基礎を「アル」「ナル」「ル」だと考えています。
「自然成立」の意味です。
米が自然に出来る、稲が自然に育つ、というのが「自然成立」です。
発音も身体から勝手に出てくるので「自然成立」です。
「自然成立」は「食べ物」と同じ意義をもつので「尊敬語」に遣われています。
例文・「校長先生は東京に行かれる」。
だから、」日本人は「音読みの漢語・漢字の名詞、抽象名詞の言葉」を「訓読み」の「メト二ミー」に言い換えてきました。
さらに、日本人は「たこ焼き」「目玉焼き」のように「メト二ミー」を普段の「思考」にしてきたのです。
こういう自分を「自然成立」の行動を行っているとして自分を「尊敬」してきました。
メト二ミーは「言葉の意味を変換させる行動」のことです。
だから「丸暗記」「丸写し」「聞き書き」「聞き写し」もまた「メトニミー」です。
そして「幻聴」のようなデタラメの意味に作り変えた「言葉」も「メト二ミー」です。
こららは「対象」となるもともとの言葉の意味を壊せば、A9神経が「中隔核」(トカゲの脳)が「バッドイメージ」によって快感ホルモンのドーパミンを分泌するので「自分を自分で尊敬する正当性」の証拠(実感という報酬)として、止められなくなるのです。
このような「メトニミー」の病理から脱出するには「一対一対応」の実行しかありません。 |
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