[5645-2] 谷川うさ子 2020/07/24(金)20:28 修正時間切れ
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しかし、「社会生活」「経済生活」ではまったく「同じ」ことが起きています。
きっかけは「AI」(テクノロジー、アルゴリズム)、そして、「コロナ新型ウィルス」です。
根本の原因となるもともとにあるのは「日本語の動詞文」です。
●いつまでも「名詞の言葉」がわからない、「名詞文書いているつもりでも動詞文のまま」をどう克服するのか?のコーチング。
この7月の「研究会」から集中的にアドバイスしていることが、これが「メトニミー」(metonymiy)(換喩)である、これに気づくべし、無意識の「metonymy」にも気づくべし、というものです。
このメトニミーをうまく利用してきたのが日本の「文学」や「詩」です。
吉本隆明は「詩」的表現は、自身の現実からの抑圧を跳ね返すための方法であるとして「初期ノート」にある「詩」を書いています。
しかし、現実のさまざまな問題と闘うには、自分だけがわかるという方法では、「石」ひとつすらも動かすことはできません。
そこで「名詞文」による「思考」が必要になるのです。その名詞文のモデルになるのが吉本隆明による「言語にとって美とはなにか」と「共同幻想論」です。
吉本隆明は、この当時、日本の大学のアカデニズムを批判していました。
理由は「メトニミー」で論文が書かれているからです。
日本の多くの学者らが、社会にむけて発言している論文はそのほとんどが「メトニミー」です。
とくに「左翼系」の論客らは「メトニミーの自己増産・・・ここまでくると幻聴」をおこなっています。
それは「丸暗記」というものです。
●「丸写し」「丸聞き書き」「聞き書き」「聞き写し」「読んだ・・・目で見ただけ」「耳で聞いただけ」・・・などがレベルダウンした「メトニミー」です。
「メトニミー」の極限にあるのが「スマホ」「パソコン」「デバィス端末」の「画像」「文」「文章」(疑似思考)です。
この「メトニミー」が、かくも「自分の人生」を破滅させるのか、をよく認識しなければ「名詞文」など、ただの妄想のおいしい餌にしかすぎません。 |
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