[5759-2] 谷川うさ子 2020/11/20(金)21:00 修正時間切れ
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●ところが、動詞文で思考する日本人の脳の働き方には、帰納までは模倣でなんとかなっても、「演繹法の思考」は非常に厳しいものであるようです。
「私の幻聴」を主題にした「名詞文」では、「幻聴」を生じさせる幻聴の構造は「好き嫌いの主観」「恐怖」がつくる、と定義しています。
「好き嫌い」の脳の働きとは、「右脳系・大脳辺縁系にある扁桃核」と「海馬」の記憶の「エピソード記憶の想起」のことなので、一応、正しい認識であるといえましょう。
では「恐怖」は幻聴の法則になるのか?と考えると、この「恐怖」とは、動詞の言葉の「メトにミー」(metoniymiy)(換喩)である、とポルソナーレは指摘しています。
日本人のカウンセリングを40年ほど現場で行ってきて、この「恐怖」という言葉に騙されてきた言葉はありません。約30年くらい騙されてきました。
ゼミを終了するまでの10年で、脳の働き方を見て、「恐怖とはイバリのことだ」「自分で、自分を尊敬する言い回しが恐怖というコトバだ」と気が付き、これをゼミでレクチュアーしました。
ヒントになったのは、ドストエフスキーの自伝ふうの小説「賭博者」です。
ドストエフスキーは「賭博者の心理」を「負けているときは自分が勝っているイメージを表象する。勝っているときには負けている自分をイメージする」と書いています。
これは、日本人のすべての「対人恐怖症」をはじめ「〇〇恐怖症」に当てはまる脳の働き方です。
サルトルは「人間にとっては、人間が怖い」と言っています。
これは「共産主義」「全体主義」などの教条主義などの記号的なコトバの丸暗記がつくる「黙契」(もっけい。理由の説明がないのに意思を一致させること)や「禁制」(きんせい。倒錯した行動のシバリ。正当な共同の規範に対して、現実の貧困から生まれる行動のルール。極端な制約)がつくる人間の破滅的な怖さのことです。
日本人のいう「対人に向けた人間関係の恐怖」とは意味が違います。
日本人の誰も彼も、何かといえば「恐怖」「こわい」と言い、そして自分の行動を「止める」ための「恐怖」とはなにか?
脳のなかの「聴覚」の「記号性」が、脳の中の「視覚の認知」の「第一の性質」は動詞のコトバでは見えないので、視覚の「第二の性質」の「音」「味」「触知」のうちの「音」(発声・発音)と結び付いた「音・・・コトバを時間性の言語領域に表象する」という相互関係がつくりだす心的現象です。
「第一の性質」も「第二の性質」も空間性の意識です。自律神経の「交感神経」がつくります。
「聴覚」は時間性の意識です。副交感神経がつくります。
交感神経と副交感神経とは、「相互性をもって働く」のは法則です。
日本人は動詞文=副交感神経支配優位のコトバ・・・動詞文のコトバで脳を働かせていますが、この場合も、交感神経の空間意識とのつながり意識は働いています。
これが「第二の性質」の「音」(発声・発音)です。
ドストエフスキーの「賭博者の心理」を参考にすると、こういう原則が成り立っています。
●幻聴の1 「人が自分に向けてなにごとかを言った場合・・・この時の人のコトバは、自分の聴覚の記号性が記憶するので、自分が自分に向けてのコトバであるとして、自分の心身から出ているコトバである、と認知する」。
●幻聴の2 「誰も自分に向けてなにも言ってはいないという場合・・・自分の聴覚の記号性は、他者=第二の性質の音(人のコトバ)を空想して、この第二の性質の音(空想の他者のコトバ)を他者が言ったかのようにイメージする」。
●幻聴の1の場合は、共依存症、依存症がつくりだします。恋愛依存症、ゲーム依存症、ネット依存症、買い物依存症、などです。
依存とは、相互に、互いに支配する関係で生きている、という意味です。
●幻聴の2の場合は、「敵意」「妬み」「経済的貧困」「学的な貧困」(学歴、職歴、家庭環境などの貧困、親の虐待の経験、身体の能力と病気、差別意識、所得格差)・・・などの圧倒的な貧困が原因になります。
◎こういう幻聴はどこから生まれ出てくるのか? |
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