[5793-2] 谷川うさ子 2020/12/27(日)19:48 修正時間切れ
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これらの名詞文の「思考の仕方」の基礎の概念がまだよく認識なされていない、ということに尽きます。
しかし、これは、平安時代からつづいてきている日本語の動詞文を生成している「母型制」のつくる脳の働き方の反映であると判断すれば、いままでの日本人とはまるで「別世界の日本人の出現」というもので、吉本隆明のいう「理論的に可能なことは現実に可能なことである」の現実化というものです。
文部省が延々と推し進めてきた「知的教育」から離脱している「知的精神」の模範が「遠山啓の数の抽象思考の、推移律、一対一対応、二者関係の演習」です。
名詞文の現実的な価値は「現実を必要とする思考」です。
吉本隆明は「現実を必要とする思考は展開する。現実を必要としない思い方(思考)は停滞する」と定義しました。
「レポート・日本の政党政治の、戦後から現在に至る政治社会の五五年体制の観察」は、日本の「左翼運動」の限界と知的無能の変遷が、よい概念思考でレポートされていて、読めば、ポルソナーレの場合は、戦後70年のうちの40年間の活動では、時代の先端の王道を疾走し続けてきてこういう荒涼からよく抜け出せたものだ、と感慨深い深いものがあります。
王道とは、演繹の必然の「脳の働き方」(言葉の生成の構造)の解明のことです。また「名詞文を書く」という社会教育、および精神病理の療法のことです。
多くの日本人は、このレポートの知的精神とは真逆に「現実を必要としない動詞文によるモノマネ、行動の模倣。バーチャルの仮想空間に共依存していて、とくに女性は行動の能力を崩壊させている」という状況をせっせと作り出しています。
これは、貧困経済を狙いと目的にする「マネー権力の勢力」による「全体主義」を方法とする収益マネジメント政策の結果でもあります。
◎続きます。 |
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