[5808-1] こんにちは・ポルソナーレの田原です。 ◎名詞文を書くための「演繹」の基準について。 谷川うさ子 2021/01/12(火)08:00 修正時間切れ
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 谷川うさ子からあなたへの真実の愛のメッセージ!! 発行責任・全日本カウンセラー協会・ポルソナーレ指導本部=谷川うさ子 (第1期・687号) (令和3年1月12日) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ こんにちは・ポルソナーレの田原です。
◎名詞文を書くための「演繹」の基準について。
名詞文がなぜ、書けないのか?にも、判断の基準があります。
それは言語理論による証明の基準でもあります。
どういうことか?といえば「一義性」(いちぎせい)ということです。
どんな言葉にも意味があります。
言葉、言語は、現実に実在する「事物」と結び付く、という法則が「一義的」です。
この時の「事物」が言葉、言語の「意味」 にあたります。
名詞文が書けない、とはこの「一義性」を壊すか、無視するか、あるいは不問にすることをいうのです。
吉本隆明のいう「現実を必要とする思考は展開する」の、「展開する」の「必要」とは「一犠牲」の成立のことです。
「現実を必要としない思考は停滞する」は言葉の「一犠牲」が欠如のことをいいます。 |
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