[5833-2] 谷川うさ子 2021/02/01(月)20:20 修正時間切れ
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「空間意識」が脱落しています。
「空間意識」が、無い、ということは、すなわち「認知症」(広義の痴呆症)のことである、と理解しましょう。
●日本人も、乳幼児(0歳児から2歳児まで)は「カテゴリー思考」「ベクトル思考」などで「イメージスキーマ」(イメージ思考)をおこなっていました。
●このことは「無藤隆」の「赤ん坊から見た世界」(言語以前の光景)(講談社現代新書)をテクストにして「ゼミ」でレクチュアーしています、
日本人の子どもは、「2歳」になる頃から「母親」が「時間性の認知と認識の言葉」(聴覚だけの働き)だけを教えて特に女児の「脳」の空間意識(視覚の働き=第一の性質)がめちゃめちゃに破壊されてきました。
これが「母系制」の真実です。
母系制の毒の回りがこれ以上、ひどくなって痴呆の脳の働きにならないうちに「視覚の空間意識」を回復させる必要があります。
それが「頭頂葉」の機能の「距離」「角度」「方向」のひとつひとつで「モデル」の「主題」の「1」(数のいち)を認知する、認識することの最大の目的です。
◎頭頂葉の「距離」「角度」「方向」での「認知」と「認識」の仕方とは?
●「距離」・・・・数の「1」(いち)・・・「自然数」の1の「個物」「個体」。
自然に発生した「ひとつ」の個体。・・・例。子どもがはじめて生まれた。(一人目の子ども)。「花がひとつ咲いた」。「カラスが一羽止まっている」。
子どもが、二人目が生まれた。・・・初めての子どもに対しての個体。このとき、「初めての子ども」が比較の基準になるので、この初めての子どもが「1」。
注・この時、形の大きさ、性質、形状の内容は問わない「個」、「個体」が「1」(いち)。
●「角度」・・・ある個物を「上から見る」「下の角度の位置から見る」「左右の真横の位置から見る」「真正面から見る」、などで描写した時のそれぞれの「像」(イメージ)。
「1」(数のいち)の場合は、ある個物の姿、形がどのように変形していても、「ある個物そのもの」であることには違いはない、という認知と、認識のこと。
動けない0歳児にとっては、動く母親の姿は「角度」によってはさまざまな形状に見える。(二・5次元の像という)。それでも乳幼児は「おなじ母親である」(三次元に存在している母親)と認知して、認識する。別の女性と自分の母親とを取り違えることはない。
数の「いち」でいえば「ゾウの個体」「アリの個体」、大根の「採れた生のまま」「漬物」「干し大根」「調理した大根」などは「角度」の違った内容の例になる。
●「方向」・・・現在の位置から対象に向かって一直線に近づいて行き、対象に接触するというイメージのこと。接触とは経験したことのイメージのこと。
遠くにある物も、近くにあるものも「触ってみれば同じである」という対応、比較、結びつけ(一義性のこと)の認知、認識のことである。
A=B、B=C、ならばA=Cの「二者関係」「三者関係」の認知と、認識の仕方。(視覚で見えても、見えなくても、この一犠牲は成り立つという「頭頂葉」の機能)。
◎こういうことは、幼児教育の知能テストの「田中ビネー知能検査V」で行われています。幼児の小学校の入学試験のテストの課題にもなっています。
合格すれば「英才教育」の対象の子ども、というわけです。
●しかし、ポルソナーレが経験した「20年間」の幼児教育の現場では、子どもの心身の「年齢別発達段階」のひとつとしてごく当たり前のことだ、と「母親ら」に説明してきました。
◎これが、今、「名詞文を書く」というテーマでは「非常に難しい」、となっているので、どなたも日本人の「母系制」の「脳」の暗黒大陸を抱えていることがよくわかります。 |
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