[5840-2] 谷川うさ子 2021/02/08(月)19:52 修正時間切れ
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このように、「述部」を同義とする「帰納」で「いち」(1)の法則が導き出されてます。
ここでは「一対一の対応」で「同じ」を認識するという「数の法則」を言い表す「事実」の特定の仕方が、新しく学習されています。
これは「行動のための丸暗記」の思考の仕方です。
それでも、自力で「主部」も「述部」も「同じ法則をもつ」という「帰納」による思考で、いくつかの事実から法則を導きだせれば、現在のプラグマティズム(確率理論)では、セレブのグループに入れることは確かです。
◎「演繹」(えんえき)の思考の仕方について。
◎「演繹」の名詞文のモデルを説明します。
●前提1・アリストテレスは死んだ。 ●前提2・カントも死んだ。 ●前提3・ヘーゲルも死んだ。
●結論・ゆえに、人は死すべき存在である。
●この例文ではどの「述部」にも「人はすべて死すものである」という法則が内包されています。
前提のなかに「法則性」が含まれている、ということです。だから結論でも「法則」が証明されるのです。
◎こういう「演繹」の思考法は、経営や、学問、モラル、教育、病気の治療などで、なにごとかを語る時には「絶対に間違えてはならない」、という「行動」の場合の思考の仕方として大変に重要です。
◎「演繹」思考の事例の2つめ。
●前提1・アリストテレスの学的業績は哲学である。 ●前提2・カントの学的業績は哲学である。 ●前提3・ヘーゲルの学的業績は哲学である。
●結論・ゆえに、アリストテレス、カント、ヘーゲルは哲学者である。
●この事例では「述部」に「一般的な法則」が内包されています。
「主部」の命題の法則が「証明」されています。
こういう「演繹」の命題の立て方では「哲学という学的な知識」・・・つまり「法則」の理解が必要です。「哲学」という学問についてなにも知らないところでは、「演繹」は思考できません。
◎「演繹」の思考の例、3つ目。「1」(数のいち)の演繹の場合。
●前提1・Aの家族に初めての子どもが生まれた。 ●前提2・次に、Bの家族に初めての子どもが生まれた。
●結論・ゆえに、「A」の子どもの個体と「B」の家族の個体の子どもを「対応」させると、Aの家族の子どもと、Bの家族の子どもの個体は「同じ」である。
●証明・・。A、Bの家族の子どもの個体は、どちらが「多い」、どちらが「少ない」ということはない。
この個体という「形」を結びつける「一義的な対応」の仕方(法則)が「自然数」の「同じ」という認識のしかたの「初め」だ。
●さらに、「同じ形」という認識が「いち」(1)という数の法則である。
◎「演繹」の思考で名詞文を書くには。
「演繹」のもとの概念は中国の「易学」から援用された概念です。
◎そこで、アリストテレスやカントの「カテゴリー」(範疇・はんちゅう)という概念をベースに思考するのが、基本になります。
ポルソナーレの「カウンセリング・ゼミ」は、そんなふうにして、さまざまな「法則」を証明してきました。
◎カントの「カテゴリー」(はんちゅう・範疇)・・・「純粋理性批判」よりの「系統的な法則性」の例。
●「量」・・・単一性。数多性。総体性。
●「質」・・・実在性。否定性。制限性。 |
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