[5853-2] 谷川うさ子 2021/02/22(月)19:34 修正時間切れ
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匿名の方の名詞文の書き方を見ると、次のことが改善点を象徴しています。
「帰納」の名詞文では、「事例1,事例2,事例3」というように「事例」というケースを命題にたてておられます。
●帰納は「個々の事実」に「法則」がある、これを命題にして「結論」の法則の一致を証明する、という「思考の方法」です。
「事例」といえば、この中に「証明のための法則がある」という認識ではなくなるので、いったいどういう法則を証明しようとしているのか?が不問にされている、ということがわかるのです。
「歩行者は誰もが、青色信号で渡ることが出来る」というように、「出来る」の「動詞の文の行動の説明」がなされているので、「信号機の電光標識」の規範(抽象名詞)の説明にはなっていません。
「帰納」とは「何」をおこなう「思考の方法」であるのか?の、「帰納」という「概念」の理解が、正しく学習なされていないのです。
その「帰納」による「思考の訓練」がなされていない、ということが窺われます。
◉同じことが「演繹」にも表されています。
やはり「事例1,事例2,事例3」とつづけられています。「前提1,前提2,前提3,結論」ではないのです。
●「演繹」は「初めの前提・1」で「信号機の電光標識」は交通法の規範の概念である、その「記号標識」であること、3つの電光色の循環で「直進」「停止」という左脳の 言語の規範である、ということが「前提」になる、という「思考原理」ををコーチングしていますが、これが動詞文のメトニミー(換喩)で解体されています。
◎動詞文の脳の働きの「縛り」の軛から抜け出せていない、ということが改善点です。
●これは「フォーム」の構成の「もの」と「こと」の名詞文からボタンの掛け違いのように引きづってきている脳の働き方の「動詞文である」、ということであるのです。
●「もの」と、「こと」の名詞文で、「論理思考」を確立しなければ、「虚偽」「騙し」「作為」の壮大な現実と闘う「知性」が破綻して、倒産でも、失業でも、自殺でも、なんでもあり、の人生になるのです。
これが日本人の偽らざる現実の姿です。
◉そこで、ポルソナーレは、日本人の正当な生き方、そのために、「母系制」に取り憑かれている「動詞文」の脳の働き方を打開する方策が、「改訂版・ブルガリア方式」による「聴覚優位」を「視覚優位」に切り替える方法です。 |
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