[5896-2] 谷川うさ子 2021/04/11(日)20:13 修正時間切れ
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これは「5W1H」の「when」(いつ)、「Where」(どこで)、「who」(誰が)「what」(何を)が記憶できないのです。
これは「場面」と「対象」をいうのが「カテゴリー」として共通している概念です。
「気づき」といいます。
日本人の「目で見る」という「視覚の機能」の、第二の性質の「視覚の機能」はこの「場面」と「対象」を認知も「認識」もできません。
日本人は「これら」を「聴覚」の認知する「アル」「ナル」「ル」の「自然成立」としてだけで認知しています。
大野晋の「日本語の文法を考える」(岩波新書)の説明を参考文献にするとこうなるのです。
すると、ブルガリア方式で記憶するときにも、視覚の「第一の性質」の対象が見えない、という日本人の脳の働き方が「疎外現象」を起こし、フォームの形式と構成の概念をまず暗記する、ということに価値がある、とは思えないので「放置する」という事態を現実のものとします。
こういう事態が観察されます。
◎続きます。 |
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