|  | ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ポルソナーレ自己カウンセリング研究会・ニューズレター
 
 ポルソナーレ・カウンセリング・ゼミ会員に特化した特別の個人指導通信
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 日本人の脳の働き方がつくる認知症の予防・改善のための実践実技をレクチュアします!
 
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 谷川うさ子からあなたへの真実の愛のメッセージ!!
 発行責任・全日本カウンセラー協会・ポルソナーレ指導本部=田原克拓
 (第1期・921号)
 (令和3年9月19日)
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 こんにちは。ポルソナーレの田原です。
 
 ◉日本人の認知症(痴呆症)の再定義について。そのⅢ。
 
 日本人の認知症(痴呆症)は、社会性の場面での「行動の止まり」のことをいいます。
 
 多くの日本人は、「自分の行動が、今、現在、止まっている」などとは認識していません。
 
 これには、理由があります。
 
 なにが「本当の真実で、なにが虚偽の偽なのか?」の判断の基準を誰も問題にしない、というのがその理由です。
 
 この理由は、日本人の文化になっているところでもあります。
 
 例えば、多くの日本人が「大変美しい」と感じる小説や映画、歌謡曲などに日本的な文化が見て取れます。
 
 「山本周五郎」の「日本婦女記」(新潮文庫)、映画作品の「成島東一郎」の「青幻記・遠い日の母は美しく」、「樋口一葉」の「たけくらべ」、などです。
 
 これらの作品に共通しているのは、日本の女性の心情の美しさ、といったことです。
 
 対象となる人間をいつも遠くに離れた位置からみていて、その人物にたいして「自分は、こんなにも自分を犠牲にしてでも黙って尽くしつづける」
 
 「その人物か、自分がいなくなった時、その尽くしてくれた女性の想いの深さを証言する人とか、残された人はこんなにも幸せになれている事実が浮き彫りになる」
 
 こういう密かに尽くす心情が、人として尊いモラルであると讃美されているのが、日本文化を形成しています。
 
 作品の評価については別途、機会をあらためますが、肝心なことは、平安朝のころからこういうモラルにみる自然意識は「女性」だけのものである、とみなされてきていることです。
 
 「外扱い」といいます。
 
 「外扱い」は「内扱い」の体系に位置しています。
 
 吉本隆明 の文学作品の批評の方法にしたがえば、女性の「心情」の美しさは、これは「外扱い」による美化というものです。
 
 「内扱い」の捉える距離のない現実のリアルの場面をみるとどうなるのか?
 
 「島尾敏男」の作品に出てくる女性らのように、どの女性も「狂気」「精神疾患と身体の病」「貧困」「男を騙して自分の生活の餌にしてむさぼり喰っている」ではないか。
 
 「子どもを虐待している」し、「老後の親にたいして反日のような怨念を向けている」。
 
 こういう逆立ちした「共同幻想」の地上の病理を「男に向けて、取り憑いているではないか」。
 
 初めから「男を破滅させる意図で、女性の自分は老後を生き残っているのが、歴史的にみた日本の女性に共通する絶対的な本質というものである」
 
 ということが隠されています。
 
 ◎続きます。
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