[6167-2] 谷川うさ子 2021/12/27(月)18:42 修正時間切れ
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●谷川うさこ 見方によりますよ、クマエさん。 「研究会」には、遠路からはるばるご参加頂いている方がおられますね。同じように、名詞文を書けるようにと、揺るぎない熱意は変わらずに保ち続けておられる方にも、「自己カウンセリング研究会」を支え続けてきていただいています。
この方々は、いわば、日本人の選ばれた輝ける代表者であるのです。
この方々が、「名詞文を書けるようになるぞ」と諦めていないかぎり、日本人にはまだ未来があります。
ユーチューブで、「成田悠輔」「にしむらひろゆき」「片山さつき」の三者が、日本人の知的能力や、政治・大学の制度、企業のイノベーションにたいしての限界といったことを批判的にしゃべっていましたが、彼らが根本的にダメなところは、「言葉」と「言語」の違いがまったく分かっていないこと、社会のどんな「言葉」でも「名詞」であって、この「名詞の言葉(言語も)」を「概念」として正確に認識していないので、好意的にいっても、この3人は、おしゃべりしていることはどのテーマでもことごとく虚偽である、欺瞞であることにかけらの自覚もないことです。
きき彼らの本質は、「プラグマティズム」の経験を主観でしゃべっているだけで、その意図は「左翼・全体主義」のプロパガンダでしかありません。
◯熊野クマエ 他者に向かってなにごとかを言う前に、自分のかくもボロボロに崩壊しているひどい認知症(痴呆症)の域でのダメさ加減を改革せよ、というのが日本人の知識人の目の前にある危機的な問題であるよな。
彼らは、いったいなぜ、こうもいかがわしいことを空虚にエラソーにしゃべるんだね?
●谷川うさこ
人間がなにかにたいして語る、あるいは人間そのものについて語るというときは、「主観」か、「客観」かのどちらかを言葉にする(表現する)んですよね。
「主観」は「基準」にたいして不正確、「客観」は正確である、ということは、「正しいか、間違いか」の分かれ目になるのは経験的に誰でもよく理解できますよね。
このどちらも「人間の脳の働き方」がつくりだすものです。
だから、「主観」でしゃべろうとも、「客観」でしゃべろうとも、何についてのことか?を見るとき、これはそれぞれ尊重されるべきことですね。
「主観」は、「喜怒哀楽」にかんすることの表現が多いですよね。
「客観」は、「法」や「ルール」「制度」「システム」「固有名詞」「公共性の事柄」などのことですよね。ハンア・アーレントは、「客観」の意味とは「永続性」「他急性」のあるもの・ことであるといっていますね。
◯熊野クマエ
脳の働き方でいえば「言語野の部位」が「主観」と「客観」の部位に分かれていて、このそれぞれの部位が「主観という人間的意識」「客観という人間的意識」をつくりだしているだろ。 これが「メタ言語」であるよな。
●谷川うさこ
簡単にいえば「左脳」「右脳」ともに「ブローカー言語野」が「主観」か「客観」かの人間的意識をつくりだしていますよね。
自律神経の支配域で「主観」と「客観」とにわかれていますね。
交感神経は「客観の部位」を支配しています。
副交感神経が「主観の部位」を支配していますよね。
「客観」は「空間性」という人間的意識のことです。
「主観」は「時間性」という人間的意識のことです。
わざわざ人間的意識、と、ことわっているのは「動物一般」も「空間性の知覚、認知」の機能、「時間性の知覚、認知」の機能をもっているからですよね。人間と、動物一般とを「意識」「知覚」という言葉で区別していますね。
◯熊野クマエ
日本語は「ひらがな」も「漢字・漢語の訓読み」も全部「主観」の「時間性の言語領域」でつくられているだろ。
ただし「漢字・漢語の音読み」だけは「空間性の意識」でつくられているよな。 |
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