ハンナ・アーレント 解説:榎本 (ローテンブルクにて) |
谷川うさ子・哲学入門 |
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人間は、なぜ知的能力を身につけなければならないのか? いつからなのか?なぜなのか?を明らかにする!! 労働力は人間にとって最後の私有財産!! 投資の対象でなければ、解体される!!を明らかにする人間救出の哲学! 「2008・リーマンショック」以降、富の蓄積過程が止まっている!! 富の蓄積過程から逸脱した日本の経済の真実が見える!! 資本主義の発生の起源を明らかにするアーレント哲学!! MENU 第2章 公的領域と私的領域 |
谷川うさ子・哲学入門 29回目 平成23年9月10日 第2章 公的領域と私的領域 |
①私たちが前に社会的なるものの勃興と呼んだ事柄は、歴史的にみると、私有財産をただ私的なものと考える態度が、財産を公的な立場から考える態度に変わったことと時を同じくしていた。社会が最初公的領域に入ってきたとき、それは財産所有者の組織という形をとっていた。この財産所有者たちは、自分たちには富があるのだから当然、公的領域に入る権利があると要求したのではなかった。そうするかわりに、彼らはむしろ、もっと多くの富を蓄積するために、公的領域からの保護を要求したのである。ボーダンの言葉によれば、統治は王のものであり、財産は臣民のものであったから、臣民の財産を守るために支配するのは王の義務であった。最近指摘されたように、「国家(コモンウェルス)は主として共通の富(コモン・ウェルス)のために存在した」。 ②この共通の富は、以前は家族の私生活の中に閉じこめられていた活動力が生みだしたものである。それが、今や、許されて公的領域を引き継いだとき、私的所有物は、世界の耐久性を掘り崩し始めた。なぜなら、共通世界は、必ず、過去から成長し、未来の世代のために永続するものと期待されるが、これにくらべると、私的所有物の方は、本質的に、永続性がなく、所有者が死すべきものである以上、その死によって滅びる。なるほど、富というものは、個人が一生かかっても使い尽くせないほど蓄積することができるものである。その場合、個人ではなく、家族が、その所有者となる。それでもなお、富は、どれだけ多くの個人の一生がそれによって維持されるにせよ、やはり使用され、消費される何物かであるという点に変わりはない。ただ、富が資本となり、その資本が主要な機能として、ますます多くの資本を生むようになったとき、はじめて、私有財産は、共通世界に固有の永続性を獲得し、あるいは、それに近づいた。しかし、この私有財産の永続性は、共通世界の永続性とは異なった性格のものである。それは安定した構造の永続性ではなく、むしろ、過程の永続性だからである。蓄積の過程がなければ、富はただちに、使用され、消費されて、蓄積過程とは逆の分解過程に立ち戻るだろう。 ③したがって、共通の富は、私たちが共通世界について語るような意味で、共通になることはけっしてありえない。それは厳密に私的なものに留まっていた。むしろそうなるように期待されていたのである。私的所有者は、できるだけ多くの富を獲得しようと競争しながら闘争する。そこで彼らを相互に保護するために政府が任命される。したがってこのような政府だけが共通のものであった。いいかえると、人びとが共有するものは、ただ、その私的な利益だけである。マルクスは、この近代的な統治概念に見られるはっきりとした矛盾に頭を悩ませた。しかし、私たちの場合には、もう頭を悩ませる必要はない。なぜなら、私たちは、近代の初頭に典型的であった私的なるものと公的なるものとの矛盾は、一時的現象にすぎず、私的領域と公的領域の相違は、やがて完全に消滅し、両者はともに社会的なるものの領域に侵されてしまったことを知っているからである。公的なるものは私的なるものの一機能となり、私的なるものは残された唯一の公的関心になった。このため、生活の公的な分野と私的な分野はともに消え去った。だから、私たちは、その結果、それが人間存在にどのような影響を与えたかということについても、マルクスよりはるかによく理解できる地点にいるのである。 ④この観点から見ると、近代が親密さを発見したのは、外部の世界全体から主観的な個人の内部へ逃亡するためだったように見える。この個人の主観は、それ以前には、私的領域によって隠され、保護されていたものである。私的領域は社会的なるものに解体したことは、不動産が動産にだんだんと変わっていった過程に最もよく見られるだろう。この変化の結果、財産と富の区別や、ローマ法でいう「代替物(フンジビレス)」と「消費物(コンスンプティビレス)」の区別は、まったく意味のないものになった。すべての触知できる「代替(ファンジブル)」物が「消費(コンサンプション)」の対象となったからである。「代替」物は、その場所によって決定される私的な使用価値を失い、逆に、たえず変動する交換率によって決定される完全に社会的な価値を獲得した。この交換率の変動は、貨幣という公分母に結びつけられて、ただ一時的に安定するだけである。財産概念にたいする近代の最も革命的な貢献は、このような、触知できる「代替」物がいわば発散して社会的なものになった事情と密接に結びついている。近代の財産概念によれば、財産とは、その所有者がいろいろな方法で獲得した、しっかりと一定の場所を占めている世界の固定した部分ではなかった。そうではなく、財産の源泉は、人間自身の中にあった。いいかえれば、それは、人間が肉体を所有していることの中に、そして人間がこの肉体をまちがいなく所有していることの中にあった。マルクスは、それを「労働力」と名づけた。 ⑤こうして近代の財産は、世界的性格を失い、人間そのものの中に場所を移し、個人がただ死ぬときに失う肉体の中に場所を移した。ロックは、人間の肉体の労働こそ財産の起源であると述べた。歴史的に見ると、この仮定は大いに疑問である。しかし、この仮定は本当になるかもしれない。なぜなら、私たちはすでに、実際、自分の頼れる唯一の財産が自分の能力と労働力であるような状況のもとで生きているからである。富は、公的領域に係わるようになって以来、成長し続け、今では、それを私有制度によって管理することができないほどになっている。まるで、自分の私的利益のために公的領域を使用しようとする人びとにたいし、公的領域が復讐しているかのようである。しかしこの場合、最大の脅威は、富の私有制度を廃止することにあるのではない。そうではなく、自分自身の触知できる世界の場所としての私有財産を廃止することにある。 |
ご案内します ●時代背景 ・中世 ・近代 |
●財産が社会の中に入ったことの意味 今回の「谷川うさ子哲学入門」は、『人間の条件』第二章、「公的領域と私的領域」の第九節、「社会的なるものと私的なるもの」に入ります。 |
●人間の身体は最後の財産である。これを価値あるものにすることが自由への道 この一つめの革命の意味するところを、アーレントは著書『過去と未来の間』の中の「自由とは何か」で、次のように述べています。 |
●富は、蓄積過程というプロセスの上でのみ存在しうる 彼らイギリス議会は、18世紀と19世紀に、ようやくヨーロッパに市民革命の嵐が吹き荒れる頃、今度は、大陸の影響を受けてさらなる法律の改正を続けて徐々に変化してゆきます。概略を述べます。1832年、第一次選挙法改正により、都市で経済力をつけてきた裕福な市民階級にも選挙権が与えられます。そして彼ら産業資本家層が、直接議員として国政に参加するようになりました。その結果、政党が再編されました。地主の利益を代表するのが保守党、商工業者の利益を代表するのが自由党という、ふたつの政党によって政策が争われるようになります。政策の大きな流れは、自由党が主導権を握り、産業資本家(ブルジョワジー)に有利な法律が制定されていきます。時おりしも産業革命によって生産力が史上かつてないほど増大していました。自由党の政策は、自分たちの作った商品をどんどん海外に売って儲けたいという帝国主義的な富の蓄積の必然を政治化するものでした。 |
●失業、無職、ワーキングプアの本質は、最後の私有財産の喪失!! なお、マルクスは、このように「人間が私的な富(利益)を求めて共通の政府を作る」という事態の矛盾に頭を悩ませたということでした。これは、「社会的なるもの(国家の家計化)」と理解すれば矛盾ではなくなるとアーレントは説明します。 |
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