全日本カウンセラー協会 ポルソナーレ

うさぎです。 ポルソナーレ

新・脳の働きと心の世界

「個人べつの症例とカウンセリング」
その2

バックナンバー No.10~
No.10 「母親をどうしても憎む私」へのイメージ療法
No.11 赤面、人の目が気になる、過食と拒食、人から悪く言われている、などいくつもの悩みをかかえている私の脳の働きはどうなっているのでしょうか?
No.12 私は、心身の症状を抱えている看護婦です。お見合いで婚約中ですが、打ち明けるべきかどうかで悩んでいます。私は、このまま結婚してもいいのでしょうか?
No.13 「私は対人緊張がひどくなって、大学も、仕事も辛くなっています。死ぬしかないと思っていますが、こんな私にも未来はありますか?」
No.14 「私は、外出しようとするとトイレに行きたくなります。いつまでもトイレに入りっぱなしになっています。外出先でもトイレに入って、いつ出ればいいのか分かりません。私の脳の働きは一生このままでしょうか?」

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個人べつの病気と症状の傾向はこちら→
ポルソナーレには、この30年間くらい、たくさんの心のトラブルにかんするご相談をいただいています。
そこで、日本人の心の病いとはどういうものか?
その脳の働き方とは、どういうものか?
このインターネットの時代で、ひとりひとりの心の世界はどうなっているのか?
を個別の相談に即してのカウンセリングをご紹介します。

なお、ご紹介する個別のご相談はいくつかの相談を合成しています。ある特定の個人とは無関係です。住所、年齢、職業もつくり変えられています。連載に先立ってあらかじめお断りいたします。

No.10 「母親をどうしても憎む私」へのイメージ療法
■ 相談の事例
 「私は高校生の女の子です。いつも母親とぶつかってケンカします。許せないという気持ちと憎む気持ちがいっぱいです」(下川恵理。高3、女子。北海道函館市時佐町)。
(お知らせ・人物は仮名です。特定の人物、地域、団体とは無関係です)

■ 相談の内容
 私は、高校3年生の女の子です。私の悩みは、母親との関係です。母親は働いています。学校の教師です。だから、なかなかしっかりしている人間なのです。父親も母親の話す時は、何も言いません。母親と二人でいるとケンカになってしまいます。どうも自分の思うとおりにしないと全部が悪いかのようなものの言い方をするからです。
 彼女は、昔かたぎのところがあります。
 明治的というか封建的なものを愛しているふうです。私は、現代に生まれ育っているので、話が合いません。
 私は、2年前に、彼女に日記を読まれました。それ以来、彼女を許せないのです。日記の中には、当時の男友だちのことが書いてありました。日記はブログとは違うので勝手に見ていいものじゃありませんよね。プライベートなことへの侵害です。彼女は、日記を見たことについて「あんなに目につくところに置いたのが悪い」と反省の色もありません。その上、書いている内容のことに触れてお説教までしたのです。以来、彼女のことが信用できなくなりました。性のタブーがどうの、と色メガネで見るではありませんか。私は、そういう言い方をされると、反発して、本当に性のタブーがどんなものかと自分の思うとおりにしたくなります。こういうこともあって私は、せっかく付き合っていた恋人とも別れました。
彼女のことを思うと腹が煮えくりたぎって、いつもは穏和なはずの自分と全く違う悪魔のような嫌な人間になるのです。いつか彼女を殺してしまいそうな気がしてゾッとします。
 今のところ、他人にたいしては冷酷な感情はいだきません。でも、いつの間にか母親と性格が似てしまっていて、父親が母親に言うように「みんなから嫌われるぞ」と言われても全く耳をかさない、全く理性のない人間になってしまうのではないかと心配です。私は、母親へのこの憎悪の気持ちをどう処理したらよいのでしょうか。

◎ ポルソナーレの指示性のカウンセリング
「ポルソナーレ式イメージ療法」シミュレーション

● ポルソナーレのカウンセリングへのご招待

 みなさんは、高校3年生の相談者の女の子の相談のあらましを読んで、どういう感想をもたれるでしょうか。おそらく、相談の内容をイメージして二つの印象をおもちになられることでしょう。一つは、「日記を黙って読むことはいけないことなので、娘の怒りもよく分かるよな」というものでしょう。もう一つは、「娘は、男友だちをつくったり恋人をつくることに関心があるようだ。学校の勉強とか、これからの人生に役に立つ知的な活動や社会的な能力は後回しにしている。母親にやりこめられてばかりいる父親を頼りにしているふうでもないし、母親への反撥を動機にして恋愛の道をまっしぐらに突っ走っていきそうだぞ」という印象でしょう。
 相談者が母親へ怒りの気持ちを向けている状況のイメージは、主観的な経験といいます。そして「娘が人生の歩みを踏み外していく光景のイメージ」は、客観的な体験です。高校3年生の女の子の相談は、主観的な体験のイメージが頭の中にあふれかえっていて、客観的なイメージは、はるか彼方の遠くにある山々の木々のように背景の色の中に溶けこんで、ぼんやりとかすんでいます。主観的な体験のイメージは荒々しく、活気があって、「母親を殺すかもしれない」というどす黒いエネルギーをまき散らしながら勢いづいています。「意思」をもってしゃべり、娘に母親への暴力をほのめかしていることが分かるでしょう。
 「そんな考えをいつの間にか言葉にしている自分にゾッとする」というのが客観的な体験をイメージする「もう一人の自分」です。これも「意思」をもって思考しています。

● 「イメージ療法」こそが日本人に残された最後の救出方法

 「イメージ療法」は、この二つの「意思」、二つの「自分」のせめぎ合いをどんなふうに、どちらを支援するか?が療法のテーマになるのです。あなたは、どちらの人格(もうひとりの自分)を支援すべきであると考えますか?
 もし、主観的な体験の「人格」という「もうひとりの自分」を支援すればどうなるでしょうか。こういう「もうひとりの自分」という人格は、誰の脳の中にもつくられています。もちろん、あなたの脳の中にもつくられています。「イメージ療法」をとおして相談者の「脳の働き方」をご一緒に観察してみましょう。

● イメージ療法・ステップ1

 まず、「母親が日記を手に取って読み、性にはタブーがあるのよ!! 高校生の身分でそういうことに興味をもちすぎるなんて、一体、何を考えているのよ、とお説教をしている場面を思い浮べましょう。そこには、あなた自身が当事者として立っています」と指示します。これが指示の1です。
 具体的な状況を当時者として思い浮べることが非常に重要です。
 相談者の下川恵理さんは、この指示のとおりに過去の体験を思い出して、母親が下川さんの日記を手に取って「性的なふしだらを批難している」という場面を思い浮べます。
 「当事者として」という主観的なイメージが思い浮べられているかどうかをチェックします。
「その場面は、どんなふうに見えますか?
また、当事者としての自分の身体は、どんな感じですか?」
 どんなふうに見えるか?という問いは、見えている画面は、暗いか明るいか、ボンヤリしているか、鮮明か、大きいか、小さいか?といったことです。自分の身体の感じはどんな感じか?というのは、症状についての問いかけです。
 痛い、苦しい、心臓が止まりそうだ、緊張している、叫びそうだ、といったことです。

● イメージ療法 回答・1

 「場面はとても明るいです。母親の顔が大きく見えます。怒って、憎んでいるような形相です。私の身体は、ヒミツを見つけられてとても驚いて、恥ずかしさと怒りで身体がふるえています。バカにされているようでミジメな気分でいっぱいです。とても荒々しい感情がどんどんこみ上げてきて、暴力をふるいたい気分です」(下川恵理さんの答え)。
 このイメージは、記憶にもとづいています。
 デッチ上げの空想ではないことはあなたにもよくお分りのとおりです。記憶とは、どこでどのように記憶されるのでしょうか。
 「大きく見える。明るく見える」というのは「右脳・ブローカー言語野」の3分の1の記憶の中枢神経のゾーンで記憶されるのです。「身体がふるえそうだ。暴力をふるいそうだ」という記憶は、「右脳・ウェルニッケ言語野」の触覚の認知をおこなう記憶の中枢神経が憶えているのです。この「右脳・ウェルニッケ言語野」は、触覚だけを記憶します。手で触れる、ニオイを嗅ぐ、皮ふに感じる暑さや寒さ、冷たさや熱さというのが「触覚の認知」です。触覚の認知は、なんの視覚のイメージも思い浮べません。そこで「右脳・ブローカー言語野の3分の1の記憶のゾーン」に「大きくクローズ・アップさせる」という「視覚のイメージ」を借りて「触角の記憶」を思い浮べさせるのです。
 お分りのように、下川恵理さんは、「右脳・ブローカー言語野の3分の1の記憶のゾーン」に「母親の顔、母親が日記を手に持ってのぞきこみ、批難の言葉を口に出している」というイメージが大きく、クローズ・アップされて思い浮べられると、「憎い」とか「殺してしまうかも」といった激情にかられることが分かります。母親の態度、批難の言葉が大きく、クローズ・アップされるということは、「右脳・ウェルニッケ言語野」の触覚の認知の記憶にむすびついているからです。これは、同化、一体化という認知の仕方です。下川恵理さんの身体に母親の批難や娘の性行動をよこしまで邪悪なものだと排斥する感情がくっついて、遠ざけられているかのように認識されているのです。

● 日本人の身近な人へ病理を感染させるしくみ

 あなたご自身もきっとご経験がおありになるにちがいありません。たとえば恋人、あるいは夫と妻の中で、10数年来の付き合いのある友人、そしてきょうだいなどから「軽い批判」や「ケチをつけられる」などという経験です。
 ひょっとして、相手の人がきわめて正当なことを話していると分かっている時に「相手の話すコトバ」のイメージではなくて、「批難されている」という声の調子や声の響きが大きくクローズ・アップしたイメージを思い浮べるという体験です。このようなときは、下川恵理さんと同じように、「本来は、自分を安心させて、喜ばせてくれる皮ふ感覚を感じるべきだ」という同化の期待が裏切られたかのように感じます。下川恵理さんの怒りや憎しみも、あなたが感じた「期待した皮ふ感覚とは違う」というものでした。自分の感じていた「男友だちとの中での喜び」や「恋人とのめくるめき快美感」がガラクタのように指摘されたのです。「あなたの行動は、クズよ」と汚いものでも追っぱらうようにミジメなものとしてさげすまれたと思ったのです。日本人は、身近な人からは、つねに「気持ちの安心を享受するのが当りまえ」という前提をつくっています。その人から「あなたの行動はクズも同然よ」とか「今、説明していることが理解できないのは気持ちの安心を享受する資格がない」というように解釈されるメッセージを受け取ったと認知すると、「右脳・ウェルニッケ言語野」の触覚の認知はいきなり冷たい水を浴びせられたとか、がけっ淵から突き落されたかのような身体症状を感じるのです。呼吸が停止しそうになったり、血圧が急に上がって手足が冷え冷えとなって胃もキリキリと痛みます。自律神経の交感神経が過緊張の状態になるからです。すると、脳の働きは防衛機序を起こして「逃げ出せ、近づくな」とか、「ほら、また近づいてきたぞ、追っぱらえ!」という新たな「クローズ・アップ」を記憶させます。

● 脳の働き方が痴呆や脳梗塞をつくるメカニズムとはこういうものです

 自律神経がなぜ、過緊張の状態をつくるのかといいますと、脳の防衛機序の働き方は、必ず逃避先を用意するからです。逃亡先といってもいいのです。それは、脳幹に「A9神経」というドーパミンを分泌させる神経伝達の回路が起動します。ふだんは、「A6神経」とセットになって「A10神経」がドーパミンを分泌します。「A10神経」は「右脳・聴覚野」にドーパミンという脳内麻薬を分泌させます。おもに言葉によるイメージが思い浮んだ時に分泌するのです。
 おもに、というのは、正規の左脳の言葉がなくても、自分が空想などでつくり出した言葉によっても「右脳・前頭葉」にドーパミンが分泌することがあるという意味です。「宗教」や「分裂病の妄想」の場合です。脳の逃避の指令は「A9神経」を発動させることです。大脳辺縁系という脳の下の奥の中央部に「逃避の部位」があります。「幸福のボタン押し」といわれる「中隔核」です。
 この中隔核は、別名「幸福のボタン押し」といわれるくらい脳内で最も強力な快感をつくり出す中枢神経です。「A9神経」がいちどでも働くと、「この快感を手に入れつづけるためには手段を選ばないぞ」という「快感報酬の原則」が働きます。ちょうど、映画や小説で、「麻薬患者」がヘロインやコカインを手に入れるために全財産を失ってもまだまだ麻薬を買いつづける、というストーリーをお読みになったことがおありでしょう。それと同じことをつくるのが「A9神経」が発動したときの「幸福のボタン押し」です。「学校に行かない」「仕事に就かない」「勉強など見向きもしない」「一日中、寝たきりになる」などがドーパミン効果です。

● あなたの脳が「逃避・逃亡」に向かって誘いこまれるメカニズム

 この中隔核がある脳の部位は「トカゲの脳」とも呼ばれています。「うまい話にダマされる」とか「短期利益を欲して、株のデイトレードをくりかえす」というのは、「トカゲの脳」で「幸福のボタン押し」がひんぱんにくりかえされているからなのです。この「トカゲの脳」に血流が集中して集まると自律神経の交感神経が過緊張状態になるのです。すると、「心拍が低下する」とか「無呼吸症になる」とか「胃が痛くなる」などの過緊張にともなう症状がひきおこされます。これが自律神経の症状です。すると、脳の中の「血流」は、「トカゲの脳」ばかりに集まることに気がつきませんか。
 「A6神経が全く働かない」ので、「左脳」とか「前頭葉」には、脳の栄養の酸素やブドウ糖などがストップし、停滞します。「痴呆」(ボケ)とは、こんなふうにして始まるのです。

● 親がつくる子どもの「社会不適応」のしくみを教えます

 下川恵理さんは、「恋人と別れた」と書いています。これは、「左脳・前頭葉」が全く働かなくなったためなのです。高校生や大学生の恋愛は、「学校の勉強がなかなかうまくいかない。学校という社会性の世界から孤立しそうだ」という動機がおこなわせるのです。学校の勉強は左脳のブローカー言語野で憶えますが、暗記中心の教育の中では、憶えた教科書の言葉の意味を「右脳・ブローカー言語野の3分の2の記憶のゾーン」にイメージをつくりません。イメージがつくれないとは、「A10神経」がドーパミンを分泌させないということです。すると、「A6神経」の神経伝達物質のノルアドレナリンの作用で、全身が緊張状態になり、学校の勉強がそこで止まります。このような事態を防ぐために「恋愛」による快感物質のドーパミンの分泌が欲求されるのです。下川さんは「恋愛」を止められたので自動的に「学校の勉強」との関わりも形ばかりのものになってしまったのでした。すると、「恋愛をする動機」も失ったのです。
 もちろん、「恋愛」だけがドーパミンを分泌させるのではありません。下川恵理さんがポルソナーレに入会して勉強しているように、別の知性の言葉もドーパミンを分泌させます。

● イメージ療法・ステップ2

 下川恵理さんへの「イメージ療法」は、こういう脳の働きの事情を分かったうえで、「母親の表情とその日記をもつ手のクローズ・アップ」を後退させることがテーマになります。「母親を憎み、憎悪して、ひょっとして殺すかもしれない」という「もうひとりの自分」(人格)が、脳の働きをコントロールして支配することに制限を加える「イメージ療法」です。次のように「指示」します。
 「母親と自分が向かい合っている状況の画面を右の上に移動させてください」
「右の上」とは、左脳にイメージさせるということです。げんみつにいうと、「左脳・ウェルニッケ言語野」から「右脳・ブローカー言語野の3分の2のゾーン」にイメージするということです。
 ここは、「遠くに見る」しかも「理性的に見る」「客観的にとらえる」という効果をもたらします。頭がカッと熱くなるとか、不安感がつのってきて心臓がドキドキする、といった症状が消えるのです。これだけを20秒間を5回ほどくりかえすだけで、「不安」とか「恐怖」は解消します。
 しかし、下川恵理さんのもともとの「不安」や「怒り」の記憶は、「憎悪」とか「殺したくなる」という強い感情をともなうくらい強いものです。「右脳・ウェルニッケ言語野」の触覚の認知でも記憶されているからです。これは、大脳辺縁系(トカゲの脳)の「扁桃核」で「好き」「嫌い」「敵」「味方」という価値決定の中枢神経でも記憶が強化されているからです。ここに、さらにもし下川恵理さんがじっさいに母親に暴言を吐くとか、暴力をふるうなどの行動を起こすと「扁桃核」の価値決定は「行動を起こす」という「側坐核」による記憶も加わります。
 「好き」「嫌い」「敵」「味方」のいずれかの価値決定は行動をともなう表現になるのです。

● イメージ療法・ステップ3

 そこで、下川恵理さんへの「イメージ療法」は、さらに次のように指示されます。
 「次に、右の上に移動させた場面を自分を除いて、母親と日記、その状況を黒い枠でかこみます。中を白黒にしてください。枠の外に自分を立たせて、カラーにしましょう。枠の外は明るくしてください」。
 黒い枠でかこみ、白黒にすることを不吉だと考える人もいますが、ここでは、脳の中の記憶のメカニズムを正しく理解しましょう。「右脳・ブローカー言語野の3分の1の記憶の中枢神経のゾーン」は、「大きく見える」「クローズ・アップした視覚のイメージ」「明るい」「鮮明である」ということが記憶の特徴でした。こんなふうにイメージされることが「母親が憎い」「母親を殺したくなる」という強い感情をひきおこしたのです。
 この強い感情を中和させるために「白黒」にします。枠をつけるのは、対象を特定化させるためです。「母親に悪い感情を抱くのは止めよう」「母親を憎んで殺すなどというようにダーティな感情に発展させることは止めよう」というように脳の働き方をコントロールすることが目的です。このような脳の働き方を正しい記憶としてしっかり定着させるために、次のように指示します。

● 日本人の脳の働き方を変えるにはこんな工夫とテクニックが必要です

 「自分を枠の中に入れて白黒にしましょう。そして、また枠の外に出して自分をカラーにします。これを合計、3回くりかえして、最後は、自分を枠の中に入れて白黒にしてください」。
 このイメージ療法のプログラムは「自分の右脳のウェルニッケ言語野の触覚の認知」に記憶されている対象との同化、一体化というむすびつきを低下させるためです。全くゼロにするというのではありません。同化や一体化によって対象との関わりが自動的になっているものにコントロール可能な関係にすることが狙いです。
 道具が手になじむと、自分の身体の一部のように感じられるでしょう。
 たとえば、ケータイ(携帯電話)やパソコン、テレビゲームなどが好例です。
 薬物療法の「薬」も長い間、服用しつづけると「飲む」ということと「薬」とが身体に同化して、一体化します。タバコやアルコールの場合も同じです。全く止めなくても、コントロール可能な状態にするにはこの「イメージ療法」が非常に有効です。

● 過食症・拒食症を治すイメージ療法

 「過食症」を治す時は、「食べ物」を白黒にする、手を伸ばした「自分の手」を白黒にするというテクニックとして用いても効果は同じです。ちなみに「拒食症」の場合は、過食症と正反対です。その人のイメージでは、「食べない自分がクローズ・アップされている」「食べ物が白黒」になっています。そこでこの記憶のイメージを逆転させることで拒食症が治るのです。
 下川恵理さんの「母親が憎い」というほどの強い感情をひきおこす脳の働き方は、さらに、次のようなプログラムを指示します。
「白黒の枠の中にいる自分を枠の外に出してカラーにします。そのまま、バックで後退させてください。画面の下まで後退させて、下にきたらくるっと正面向きにして白黒の枠に背中を向けましょう」
これは、距離をとって遠ざかるというイメージ療法です。日本人の脳は、相手と自分が密着して距離のない関係を当り前としています。ここでは、距離意識を変えます。距離をとるということは、脳の働き方を社会化するということです。理性的、知性的な脳の働き方に変えるのです。このプログラムのステップまでくると、母親への強い悪感情はほとんど消えます。冷静になれるのです。人によっては、「今まで、なぜ、わたしはあんなにもこだわっていたんだろう」と憑き物がポロリと落ちた気分になる人もいます。そこで、このステップの仕上げとして次のプログラムの指示をおこないます。

● イメージ療法・ステップ4

 「次に、右の上の枠つきの白黒の画面を、もっと上の方に遠ざけてください。ちょうど、空にタコをあげたときのようにどんどん高く遠ざけて小さくしましょう。そして、枠のついている白黒の画面をバターが溶けるようにボンヤリとにじませてください。かすかにしか見えない、というようにしてください」。
ここで大事なことは、白黒の画面を消してしまわないことです。自分にとって不安や緊張の対象は、自分にとって何が危険か?を認識するための重要な記憶になるからです。自分の身を守るために、不安や恐怖、緊張の記憶は残しておく、というように理解しましょう。

● イメージ療法・ステップ5

 これで下川恵理さんへのイメージ療法は完成したのか?というと、まだ完全ではありません。「殺したい」「憎い」という言葉がありました。これは、視覚のイメージではありません。「聴覚」です。人間は、コトバによって意思をあらわします。「殺したい」「憎い」というコトバをあらわす意思(主体)がまだ脳の中に形成されています。
 そこは、「右脳・聴覚野」です。
 「頭の中のイメージ」でいうと「左の下」に「もう一人の自分」の意思が形成されています。イメージ療法のプログラムは次のように指示します。
 「今までの画面はそのままにしてください。
 次に、左の下に、母親に悪く言う声を聞いてみましょう。これをラジオのボリュームを上げるようにどんどん大きくしてください。どういう言葉が聞こえるか、教えてください」

● あなたの脳の中の「もうひとりの自分」との対話の仕方のイメージ療法

 すると、「母親はキライだ。顔も見たくない。ぜったいに許せない」などの声が聞こえます、という回答になります。
 「その声に頼んでみましょう。下川さんのためを思って言っていることはまちがいないと思うのですが、母親とはなんとか仲良くやっていけそうなので、そこを分かってほしい。そして、協力してくれませんか。それには、声を小さくして、大きな声を出さないでほしいのですが、と頼んでみましょう」。
この声の主体が「キャラクター」(自然な血スジの気質)です。
 もうひとりの自分の「人格」です。うまくいけば、この頼みを聞き容れてくれて「声」、「言葉」を小さくしてくれます。もし、抵抗があるようならば、ラジオのボリュームを小さくするように、声をどんどん小さくしてかすかにしか聞こえない程度にします。

● 誰でも体感できるこの劇的な効果

 ここまできて、「テスト・チェック」をおこないます。プログラムはこれで終了したからです。指示はこんなぐあいです。
 「もういちど、初めの母親と日記の場面を思い浮べてみましょう。怒りに身体がふるえるという症状を感じますか?」
 答えはもちろん「いいえ」です。
 念のためにいいますと、記憶の脳の働き方が変わったのですから、母親と顔を合わせても下川さんは再び、「母親が憎い」という思いや悩みにとらわれることはありません。仮に、母親が下川さんの「日記」を再び見ても「怒りにとらわれることはない」のです。「できればプライバシーは、尊重してくれませんか」という社会的な表現が口から出ることでしょう。

学習に役立つ書籍



No.11 赤面、人の目が気になる、過食と拒食、人から悪く言われている、などいくつもの悩みをかかえている私の脳の働きはどうなっているのでしょうか?

■ 相談の事例
 「私は高3の女子。女ばかりの家庭で育ちました。中学のころからガス症、過食、拒食、そして赤面症、人の目が気になる、人の悪口が気になるなど、いくつもの悩みをかかえています。私の脳の働きはどうなっているのでしょうか?」
(丸川準子。高3、女子。兵庫県西宮市)。
(お知らせ。人物は仮名です。特定の人物、地域、団体とは無関係です)。

■ 相談の内容
 私には、父親はいません。私が生まれる前に離婚したそうです。
 母方の祖母、祖母の妹のおば、母親、私の4人の女ばかりで生活してきました。
 私の家族は、女ばかりということもあってか、夏などは下着姿のままでいます。お風呂上がりのときは、裸のままで寝るまでそのままでした。私も、長い間同じことをしていました。ヨソの家の中のことは知らなかったのでこれが普通だと思っていました。裸のままゴロゴロしたり、お菓子を食べたり、夕食を食べたりします。テレビを見て、パソコンやケータイをしてフトンに入って寝るという生活でした。冬は寒いので服を着ます。

 中学一年生のころ、クラスの女の子から「あんたのことキライやいうとる男の子がおるんよ」と言われたことがきっかけでした。ショックでした。
 このときから私は、クラスの男の子のことを意識してなるべく近づかないようにしました。クラスの男の子のみんなが私のことをキラっているように思えたからです。今にして思えば、女ばかりの家で育った私は、男の子にも女の子のときのように距離がなく接して、不安を与えたのかもしれません。中2の時に、「好きやから付き合うてほしいんねん」と言われた男の子から突然、抱きつかれて胸も触られキスされそうになったからです。このときから男子はコワイと思うようになりました。そして、男の子のみんなから「変なヤツ」と思われていないか?と心配になりはじめました。
 中3になってダイエットを意識しはじめました。朝は少ししか食べず、お昼も少ししか食べず、夜もゴハンを少しとおかずを少しということをやりはじめました。するといつも頭の中には食べ物のことばかりが浮びます。便秘にもなり、ガスが出るようになりました。
 授業中、みんなが私のことを「くさい」と言っているように思いました。

 高校になっても「ガス症」は治りませんでした。それと、突然、過食症になったのです。ものすごくガマンできなくて夜に、食べ物を探してお腹いっぱいに食べたのです。食べてから、トイレで吐きました。一年間くらい食べては吐く、ということをくりかえしました。お菓子を食べれば、ガマンできなくて10袋くらいいっぺんに食べて、それから吐くのです。
 トイレに行って、便を出したくなるというのが一日、3回か4回あります。
 授業が終わるとすぐにトイレに行きます。
 休み時間は、いつもトイレに行っていました。
 今は、吐くことはなくなりました。食べると太ると思いながら、食べると満足するようになりました。

 あるとき、インターネットで誰かが、誰かの悪口を書き込みしているのを見ました。すると、私のことを悪く言われているのではないかとすごく気になりはじめたのです。肩は痛くなるし、頭がしびれているような変な感じになりました。気になると夜も眠れません。勉強もできなくなりました。
 集中できないのです。ムリに机に向かうと体が「金シバリ」のようにガチガチになって気になっていることが次々に頭に浮びます。息も苦しくなってしまいます。マンガを見て気を休めようとしますが、インターネットで私の悪口を言っていないか?を探します。

 ひとりで家にいるとき、クラスの男の子から「変なやつだ」と思われていないか?と想像していたら、顔が赤くなりました。一歩、家の外に出ると周りの人の視線が気になりました。すれ違う人が「私のことを見ている」と思ってしまうのです。
 知っている人にあいさつをすると緊張し、赤面するようになりました。
 学校に行っても、みんなの視線が気になります。悪口を言われていないかと気になるのです。男子が私のそばを通るときに赤くなるので、「みんな、私があの男子を好きだと思ってやしないか?」と考え、まわりをキョロキョロと見渡します。

 家でも、母とおばが話をしていると、とても気になるのです。「私のことを話しているのではないか?」と少し離れた所でじっと隠れてこっそりと何を話しているのか?と聞いていることもあります。
 高校2年になってから、生理になると、前と後にふだん以上に眠くなるようになりました。多少、お腹も痛くなります。ふだんでも授業中に眠くなりますが、生理のときは頭が揺れているようで恥ずかしくなります。席の後ろは男子なので、ひどく気になります。

 私は、食べることがいけないことのように思えて吐いていました。身体が細くなったらみんな私の悪口を言わないだろうと思っていました。でも、今は、誰と話しても赤面するので自信がなくなり、トイレに行けばやせられると思ってしょっちゅうトイレに行っています。男子とちょっとだけ話すと「私のこと、好きなのかしら」と瞬間的に考えてしまいます。「でも変な奴だと思われていないか」と思うと身体がふるえてくるのです。髪の毛を長くして顔を見られないようにしているのですが、「見られている」ようで気になってしかたがありません。

 女子と話しても、ちょっと明るくて優しそうな子には打ちとけるのですが、こんどは、その子から変に思われていないか?と気になります。するとその親しい子ともしゃべれなくなり、下を向いて沈黙します。このときも「変に思われていないか」とそればっかりを気にしているのです。
男子が私の側を急いでサッと通りすぎていくと「私のことを嫌いと思っているにちがいない」と思ってその男の子のことをじっと見つめているのです。ここでも赤くなるので「あの男の子のこと、好きなんやで」と思われていないかとまわりをキョロキョロしてしまうのです。

 ポルソナーレのゼミのニューズレターを友だちに読ませてもらったら、脳の働き方が問題だと書いてありました。病院で安定剤とかもらいましたが、全然治らないので止めました。大学に行っても、自分に自信がないので行きたくないと思っています。私の脳の働き方はどうなっていますか?学校に行けない、仕事にも行けなくて家にいる人が多いって聞きますが、私は、家にいてもいても立ってもいられない気持ちになります。家にいれば安心、という人がうらやましくてしかたがありません。

◎ ポルソナーレの指示性のカウンセリング
● 今の日本では、心の病いは治りにくくなっています

 今から約10年くらい前までは、このような心身の不安は、少しずつ治っていく道をたどっていました。ここでご紹介している相談者は、今、高校生ですから、こんなふうに自分の心身の悩みがまだ言葉に言いあらわせているのです。高校を卒業して大学生になるとか、もしくは就職して社会人になるなどの「社会性の世界」へ入っていくという現実の道が意識されているからです。
 相談の内容をしっかり観察しながらお読みになれば分かりますが、ご紹介している女性は、クラスの男の子にたいして「好かれているのかな」という気持ちと「いや、嫌われているにちがいない」という二つの相反する気持ちの中で「人の目」を意識しています。「好かれている」も「嫌われている」の気持ちも、境界がはっきりしていないことがよく分かります。
 もし、自分は「人から嫌われている」と思えば、緊張症がひどくなり、学校へ行くことも苦痛になるでしょう。ところが、「いや、自分は、好かれているかもしれない」という気持ちが、身体を緊張症が支配することをまぬがれて学校へ行くことを可能にしています。

● 「A9神経」にスイッチすると「トカゲの脳・人格」に変わります

 人間の脳は、「快感報酬」を原則にして働いています。快感とは、ドーパミン分泌のことです。通常は、「A10神経」によって右脳・前頭葉に分泌されます。「A6神経」が左脳の前頭葉から頭頂葉や側頭葉、後頭葉の全域で働いて、現実とのかかわりをなり立たせて、その成り立ちの報酬として「A10神経」からドーパミンを分泌させるのです。相談者の女性は、「大学に行く」とか、「仕事の世界に行く」などの現実参加の道を歩いているので、「A10神経」が働いていて、「A10神経」もドーパミンを出すというように働いています。
 このまま、しんどくても辛くても現実参加の道を歩いていけば、「A6神経」が働きつづけて、いつか、どこかで「対人緊張」や「心身症」が治る可能性が残されています。

 しかし、お気づきのように、相談者の女性は、「あの男の子は、私のことが好きなのかしら」とか「拒食症」が治って「食べること」のみに集中する「過食症」に変化しています。
 これは、ドーパミンを分泌する回路が「A10神経」から「A9神経」へとスイッチしていることを意味するのです。「右脳・ブローカー言語野」の「3分の1」の記憶のゾーンに「ヒモ」と定義される「A9神経」専用のドーパミン分泌のための「快感のための対象とそのイメージ」が記憶されたことをものがたります。「A9神経」は「トカゲの脳」ともいわれる大脳辺縁系(大脳基底核)に入りこみ、中隔核でドーパミンを分泌します。「幸福のボタン押し」といわれる脳内で最強の快感のドーパミンを分泌します。

● 自分の気持ちを安心させるものは、人とのかかわりを止めるものか?それとも、密度を深めるものか?

 人は、この楽しみさえあれば辛くてもがんばれる、というものをもって自分の心の支えにします。音楽が好きな人は「音楽を心の支え」にするでしょう。文学を愛好する人は、文学を心の拠り所にするかもしれません。このような場合も「右脳・ブローカーの3分の1」で「ヒモ」の記憶になります。「気持ちの安心の経路」でいうと「気分」の経路に当ります。また、「恋人」や「友人との語らい」「学的な知性」を橋渡しにしての仲間とのコミュニケーションは、「心情」の経路をとおして気持ちを安心させます。
 しかし、相談者のケースのように、生理的身体にじかに「安心」をもたらすものを「快感のための記憶のヒモ」にする場合、これは、「右脳・ウェルニッケ言語野の触覚の認知」の記憶になるので、このケースは、「A9神経」にスイッチされた快感のドーパミンを分泌します。

● 「トカゲの脳・人格」への転落かどうか?の判定の基準とはこういうものです

 この快感があるから「人との関わりを止められる」「この気持ちの満足があるから、社会参加などの行動を止めても危機感を感じない」「この快美感があるから、話しかけたり、対話したり、出かけたりするという行動を止めても孤立感を感じない」というものが「トカゲの脳・人格」を主体とする脳の働き方といえるものなのです。相談者の女性は、「父親不在という社会性の欠如」(パーソナリティの欠如)、「女性ばかりの生活環境の中で、社会意識の柱の秩序意識の欠如」(パーソナリティの不全)の中で、なお、インターネットやケータイによって「ものごとをクローズ・アップさせて視覚のイメージにする」という「右脳・ブローカー言語野の3分の1の記憶のゾーン」のみを働かせることを強化させています。これが「トカゲの脳・人格」をよみがえらせるというように、触覚の認知のための「ヒモ」の記憶の対象を招き寄せ、強化させているのです。

● パーソナリティの発達のための学習ができなくなると、誰でも「トカゲの脳」(人格)に支配される

 「パーソナリティ」とは、「左脳・聴覚野」でつくられて発達させられる「社会的な人格」のことです。
年齢でいうと男性なら25歳、女性ならば22歳で確立されなければならないという性質のものです。
「ものごとを合理的に、論理的に考えられる知的な精神性」というものの学習がパーソナリティの人格の中心点になるのです。学校の勉強、仕事のコトバ、などは、「パーソナリティ」を発達させるための形式的な輪郭であるといえます。
 このような「パーソナリティ」の発達に背を向けるとか、そのための道を踏み外す、ということがおこなわれたときに、一気に「トカゲの脳・人格」の奈落の底へと失墜していきます。
 ご紹介している相談の事例は、その転落のきわどいガケ淵に立っていて、失墜の瞬間を描出しているといえるものなのです。

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No.12 私は、心身の症状を抱えている看護婦です。
お見合いで婚約中ですが、打ち明けるべきかどうかで悩んでいます。
私は、このまま結婚してもいいのでしょうか?

■ 相談の事例
 「私は、心身の症状を抱えています。看護婦です。お見合いで婚約中です。相手に打ち明けるべきかどうかで悩んでいます。
 母親は話すな、と言います。私は、このまま結婚してもいいのでしょうか?」
(黒井さおり。24歳。女性・看護師。香川県普通寺市)。
(謹告・人物は仮名です。特定の人物、地域、職業、団体とは無関係です)。

◎ 相談の内容
 私は、24歳の女性で看護師の仕事をしています。仕事はずっとつづけていきたいと思っています。できれば、ポルソナーレのカウンセリングもつづけてカウンセラーにもなりたいと思っています。こんな私ですが、母親から責められてお見合いをさせられました。3人の方とお見合いをしました。一人めの人は、一回だけお会いしたら相手の方から断られました。母親がまたどこからかお見合いの相手を見つけてきて二人目の男性とお見合いをしました。
 この人は、一目見て「自分には合わない」と感じたのですぐに断りました。またしばらくしてお見合いをすることになりました。
 母親が、見合いをしないのなら家を出ろとうるさく迫ってきたからです。
 看護学校を卒業したときに家を出ようとしたのですが、このときは、母親から引きとめられました。母親の言いなりになっている気がしないでもないのですが、三回めのお見合いをしました。こんどは、うまく断る理由が見つからなかったので結婚を承諾したのです。断ると「母親がまた誰かを探してくるにちがいないと思ったのが承諾した理由かもしれません。

 婚約してからしばらくして、私は自分の脈が飛ぶことに気がつきました。脈が飛ぶというのは分かりづらいかもしれませんが、4回正常にトントントンと打ち、一回休んで、トントントンと3回が正常で、ここで一回休んで、トン、というような脈の打ち方です。少し運動をすると、トン休み、トン休み、トントントン、休み、というように脈がそろわないのです。どういうふうに分かるのかというと首の喉のあたりで、脈が飛ぶときは脈の打ち方が強くなるのでドキッとするので分かります。胸が詰まった感じがして、ドクッと大きく脈打ちするのです。いつも一分間に5,6回、多いときは10回くらい脈が飛びます。ふだんは一分間に、2,3回飛んでいます。一日の脈拍数は10万回くらいで、脈が3000回くらい飛んでいることになります。寝ているときや、安静にしているときは飛んでいる回数も少ないようです。
 自分の病院の内科の医師に相談して診てもらいました。ダイナミック心電図というのがあって、一日中の心電図を測定する装置で調べてもらいました。
 心臓で刺激をつくるところが二ヵ所になっているというものでした。心室性期外収縮というものだということでした。
 これは、多源性と、単源性の二つがあるとのことですが、私の場合は、単源性なので良性の不整脈だという説明でした。

 自律神経の問題で、心筋梗塞とか動脈硬化による不整脈ではないという医師の話です。スポーツをしてもよく、結婚生活に支障がでるというものでもないということです。仕事の夜勤にもさしつかえはないと言います。脈が飛んでいるから夜勤の仕事がしんどくなることはなく、しんどいとするとそれは、仕事じたいのためだとも言います。薬は、飲んでも飲まなくてもいいが、副作用を気にするなら飲まなくてもいいとつけくわえます。

 しかし、不快感はあります。この不快感は経験してみないと説明がつかないものです。
 母親に話しました。「あんた、相手に、心臓が悪いから止めます、結婚生活はムリなんですと言いなさい」、と言われました。「でも、医者には、結婚には支障はないと言われたんだろう?」とも言われました。ときどきデートするのですが、隠しごとをしていると思うと暗い気分になります。母親は、「彼の方ははりきって、のり気でいる。もし、言うのなら、結婚してからにしなさい」と言います。
 私は、これが恋愛結婚なら言えたかもしれないと思います。言わないのは、「今さら何を言い出すんだ」と責める材料にされるかもしれないと思うからです。ちょうど、再婚の人のような気持ちかもしれません。
 だから、結婚の日取りも決まっているのに、キスまではできるのですが、胸を触られるのが嫌なのです。敏感な人なら、脈が飛んだという異常に気づくかもしれないと思うからです。キスをされたときも、ドキッとしました。私は、不整脈のことが分かったらどうしようとハラハラしました。セックスも誘われましたが、強くこばみました。「性格が固いね」と言われました。セックスのときに、脈が飛んで乱れたらどうしようと考えてしまいます。

 母親は、「みんな、そういうことは結婚してしまってから打ち明けるものだ。結婚したら、受け容れるしかないじゃないか。結婚したら、その前に病気でも介護でも、看護でもせざるをえないんや。精神に問題があっても同じやろ」と言います。「そういうことは、お互いさまなんやで」とも言います。
 友人に相談したら「今、結婚をとりやめたら、近所の人に笑われるよ。打ち明けていないのは、あなたも彼のことが好きで失いたくないと思っているからや。今、止めたら違約金もとられるよ」と言います。
私は、このまま何も言わずに結婚するのがいいのでしょうか?

◎ ポルソナーレの指示性のカウンセリング
● 女性にとって恋愛と結婚とは、どういう自分になることなのか?

 この相談では、恋愛や結婚についての二とおりの考え方が交錯しています。一つは、「結婚とは、恋愛の過程をふくめて心の関係が重要だ」とするものです。相談者の女性がこの考え方の立場に立っています。
 もうひとつは、「恋愛も、結婚も、社会的な契約上のことで、食べて寝るという生活の義務を果させることだ」というものです。
 前者の考え方は、「話し合う」というコミュニケーションの上で心の関係は成り立っていくものだという考え方です。
 ところが、後者の場合は、「自分に不利なことは黙って隠しておいて、結婚という契約が実行されたならば、多少自分に不利なことでも話してもいい。
 その上でゴタつくのは、結婚という法的な約束ごとの中のことだから、相手もしぶしぶにしろ受け容れざるをえない。
 それは、立場を変えれば相手にとってもいえることで、じつは、どういう意外なことが隠されているか分かったものじゃない」と考えられています。
 みなさんは、どうお考えになりますか?

● 母親と密着しすぎると、心臓と脳にダメージをつくっていく

 ここでは、「結婚」について、娘と母親の両方の女性のものの考え方がぶつかって錯綜しています。娘の考えとは、自律神経が原因で心身症ふうの不整脈がひんぱんに起こるという欠陥が自分にはある、と負い目を背負っているというものです。もともとは、母子関係があまりにも密着しているので、女性としての気持ちの世界の能力が正しく発達していないので、ストレスにたいして抵抗力がなくなり、ハイパーリラックスの状態に陥っているというところに不整脈の原因があります。この女性以外の人ならば、ちょっとしたことで緊張しやすくて、すぐにドキドキする、こわいイメージが思い浮んで呼吸困難になる、という症状になるのかもしれません。パニック障害や強迫性障害の症状と共通しています。すると、現在の日本では、大なり小なり、この相談者の女性と同じような症状を抱えている人は多いということに気づかれるでしょう。

● 自分の秘密を、恋愛の相手に打ち明けるべきか?どうか?

 ここでは、何が問題になるのでしょうか?
 自分の抱えている問題を、恋愛なり、結婚する相手に打ち明けて話すべきか、どうか?が目の前の問題になっています。この女性は、母親とか、友人、医師には話しています。しかし、「婚約者」には話せていません。日本人の「対人意識」の原則にもとづくと、彼らは、「右手と左手の関係」にあって、同じ地つづきの関係にあると考えられているから話せています。「距離のない関係」といいます。擬似血縁意識のことです。母親や医師は、「右手の位置」に立つ人で「自分の自我」を滅していく「甘え」の対象です。友人は、自分が「右手」であれば、相手は「左手」の位置に立つ人です。すると「自分の思うとおりに相手も考えるべきだ」という了解が伝わる相手であることになります。
 このような考え方の基準に立って考えてみると、この相談者が自分の不整脈という欠陥を話せていないのは、「性の関係が無いからだ」ということにもなります。距離の無い関係が成立すると、母親のいうように「自分という自我を滅していくという甘えの関係になる」ので、相手は、これを受け容れざるをえない、という考え方です。
 これを、脳の働き方から見ると「右脳・聴覚野」でつくられる「人格」の「キャラクター」との同化というのです。

● 「結婚してしまえば、相手の男は、何でも受け容れざるをえない」という母親の考えは正しいか?

 母親が「いったん結婚すれば、相手は、どんな病状でも受け容れざるをえなくなる」と言うのは、本当のことでしょうか?これは、本当のことなのです。「右脳・聴覚野」とは、擬似血縁関係の相手(自分が、距離がないとみなした相手)をクローズ・アップして大きく見る、と了解しています。このクローズ・アップは、「右脳・ウェルニッケ言語野」の触覚の認知で生理的身体と同化します。ちょうど「そうじ器のコロコロ」にゴミがくっつくような感じの同化です。ここには、会話とか対話のコミュニケーションはありません。
 「言語が不在」の関係です。すると、相手のどんな病的な症状も「自分にも同化しているもの」と認知されますから「治す」とか「治してやりたい」などの知的な対象にされることはありません。
症状が理由で、相手を見捨てようとすることは、自分も相手から孤立することになるので、「相手」から危害を加えられてこれが自分の孤立につながるという「危機感」を感じることがないかぎり、どこまでも許容されていくのです。これが日本型の「非社会性の世界」の自滅と滅びの構造です。

● パーソナリティとの関係を喪うと、自分は非社会性の世界へと沈んでいくという心配が悩みの核心です

 では、この相談者は、性の関係に入ることをためらい、自分の欠陥の症状を打ち明けることを、なぜためらっているのでしょうか。
 人間の脳の働き方には、もう一つ、「パーソナリティ」という「人格」をつかさどるところがあります。
「左脳・聴覚野」でつくられて発達します。これは、「社会性の知性」のコトバの学習によって成長し、発達していくという「人格」です。この「パーソナリティ」との関係意識が保たれているので、「相手は、自分のこの欠陥の不整脈を、知的に正しくとらえるという関係性をつくってくれるだろうか?」ということを心配しているのです。
 つまり、「結婚」によって、自分は「トカゲの脳・人格」の生きる「非社会性の世界への転落を余儀なくされてしまうのではないか?」という不安が動機になっています。

 「もし、相手に、パーソナリティという人格がしっかり確立されていなければ、相手の男性は、キャラクターという右手と左手の関係だけを強いてくるだろう。
 すると、今の自分と母親との関係のように、自分の自我というものを喪った関係になる。また、友人の言葉のように、目先のお金の損得だけにとらわれて、長い人生の中の心身の健康という真の幸せを見失う人格をもつ人間に、変身してしまうかもしれない」。
 つまり、文字どおり、日本型の「非社会性への転落」をおそれているというのが悩みの動機です。現在、唯一もっている仕事と、ポルソナーレのカウンセリングの勉強という「パーソナリティ」の発達との「関係性」を、ひょっとして根こそぎ喪って「言語障害の闇の世界の奈落の底へと落ちていくのではなかろうか?」ということが心配で「私は、このまま結婚してもいいのか?」と訴えているのです。

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No.13 「私は対人緊張がひどくなって、大学も、仕事も辛くなっています。
死ぬしかないと思っていますが、こんな私にも未来はありますか?」
(23歳。女性。大学生)

■ 相談の事例
 「私は、対人緊張がだんだんひどくなって大学や仕事でも人から孤立して、人と接することが辛くなっています。死ぬしかないと思っています。こんな私にも未来はありますか?」
(川村登利子。23歳。女性。大学生。高知県高知市)。
(お知らせ・人物は仮名です。特定の人物、地域、職業、団体とは無関係です)

◎ 相談の内容
 私は、23歳の大学生です。親元から大学に通っています。
 私の姉は、以前ポルソナーレの通信教育を受講していました。その姉が見かねて、ポルソナーレが発行している『続・性格と心の世界』という本を貸してくれました。その本を読むと、まるで私のことを書いているかのようなカウンセリングの事例が載っていました。「性格にもとづく悩み・6」の「MOさん」の心の悩みとそっくりなのです。読んですごく共感しました。可能ならば、会って話を聞いてアドバイスがほしいと心から思わず思いました。

私も『続・性格と心の世界』のMOさんふうに自分の状態を箇条書きにしてまとめてみます。

  1. 他人と何を話せばいいか分からないのです。
    話しかけられても、話しかけられても、変なことを言ったり、反応できないことがあって会話がつづきません。人といてもお互いに気まずくなります。私は、その人に変な人、病気じゃないの?と思われただろうと感じて傷つき自己嫌悪になります。相手のことがよけいに怖くなります。

  2. 集団に入っていけずに、いつも孤立しています。集団のノリやテンポについていけません。自分一人だけ暗くなります。表面的にはなんとか笑顔でいますが、目はひきつっています。
    たまに気の合う人と話せることがあります。楽しく会話していてももう一人、別の女の子が来て会話に加わると、とたんに話せなくなるのです。自分一人だけ、パッと態度をひるがえしてその場から何も言わずに立ち去るので、ひんしゅくをかってさんざん嫌われます。とにかく私は、黙って姿を消したり、メールをいくらもらっても返事しないことが多いのでそれで嫌われるのです。
    わかっているのだけれども、その時は、どっと無気力になって何の考えも浮びません。

  3. 私は、自意識がとっても過剰です。誰かと話しているとします。
    自分たちの会話が聞こえる範囲に見知っている人がいると、聞こえているだろうなあ、変なことを言っていると思われているんじゃないかなと、気になってしかたがありません。会話に集中ができなくなってうわの空になって相手の人も変な、浮かない表情をするようになるのです。

  4. 人から、仕事のことを命じられたり、知的なことを言われたりすると、とっても緊張して、あがります。相手の人がしゃべっている言葉を、最後までまともに聞けないのです。聞いて分かっているような返事はしているのですが、言葉を憶えていないので仕事にミスが起こります。書店でバイトをしているのですが、接客の仕方を教えられても、自分流の自己中心のやり方になってしまっていて、いつも後から注意を受けます。明るく、楽しげに人と話すことを、話しながらおこなうことができません。そういう人から話しかけられるとプレッシャーを感じて非常に疲れます。

  5. 私は、人に弱味を見せたくないという思いもあるので、たまに開き直ることがあります。ごくたまに心が安定したときなどです。もうだいじょうぶ、治った、これで安心だと思って希望で明るくなることもあります。しかし、こういう状態が保たれるのはせいぜい1日か2日、長くて3日です。すぐに、人といることに疲れてしまうのです。人と話すのも嫌、人が話しかけてくるのも嫌、という泥沼のような状態がやってきます。こういう時に人と付き合うと話もできない状態になるので、どんなに親しかった人とでも気まずくなります。この気まずい状態を回復させることもできないのです。

  6. 私は、自分の現実が辛いのでマンガ、ゲーム、インターネットなどに浸ってしまいます。これらのものが精神安定剤の代わりになっていると思ってしまいます。すると、本物の精神安定剤はどんなにかいいかもしれない、などと想像します。こういうものがないと不安でたまらなくなるのです。
    しかし、実際に楽しいかというと頭の中では、何か感動が薄くなっていて、楽だという感覚もマヒしている気がします。

  7. 今では、他人が自分の視野に入ってくると強く意識して緊張します。ケータイの電話が鳴っても怖くなり、ドキッとします。だんだん神経が正常でなくなっていくのが今でもよく分かって、もう死ぬしかないとも思いこみます。
    大学も、これ以上休めないところまで休んでいます。就職活動をしても断られたらどうしようと不安になって応募する気にもなりません。私に、未来ってあるのでしょうか?

◎ ポルソナーレの指示性のカウンセリング

 この相談者の女性の相談の内容には、家族構成から生育歴の中の母親との関わりや、父親との関係がくわしく説明されています。その内容は省略しています。小学5年生の頃までは好きなアニメやマンガと楽しくかかわっていて、人間関係に悩むことは全くなかった、とのべられています。事態が変わったのは中学2年生になってからだ、ということです。

 いつものように、数人の友人の集まりの中に加わって話しかけようとしたとき、なぜか、頭の中がまっ白になり、言葉が思い浮ばなくなったことがそもそもの始まりだった、ということです。
 中学2年生から今の23歳の現在まで、箇条書きにまとめられているように「人と話すこと」「人の話を聞くこと」の障害がエスカレートしています。他者と「社会的な関係性」を積極的にとりきめることができなくなるまでに事態が悪化しています。

 みなさまに注目していただきたいのは、この相談者の脳の働き方です。人と向かい合い、会話をしようと思っている局面で、「しゃべらなくては!」と意思している主体と、「あっ、何をしゃべればいいのか?」と困惑している意思の主体の二つが同時に並んで並列して立っていることがよくお分りでしょう。
 「学校に行かなくっちゃ」と意思する主体と、「いや、行けない!」とブレーキをかけて制御をかける意思の主体です。前者の意思の主体は、他の友人も会話に加わり、互いに共通する話題を分かち合うということを考える意思の主体です。後者は、他者と向かい合っている関係の中に立っているにもかかわらず「パッと態度をひるがえしてその場から黙って立ち去る」とか「話している相手の言葉が分からない」と辛くなったり、自分の辛い身体の症状をつよく意識してもっと怖くなったり、不安を感じている意思の主体です。二つの「人格」が並行してものを考えたり、その場や、そのときの状況について判断していることがよくお分りでしょう。こういう脳の働き方にぜひとも注目していただきたいと思いました。

 お友だちと会話したり、学校に行って勉強する、ということを意思する主体を「パーソナリティ」といいます。社会的な人格のことです。デカルトは、「理性を主体とする意思だ」とのべています。

 いっぽう、「人の言葉が分からない」「命じられた仕事のコトバを忘れた」「もう辛いからこの場から逃げ出さなくっちゃ」と意思する主体を「キャラクター」といいます。デカルトは、視覚や聴覚を中心とする「感覚」を主体とする意思だと定義しています。脳の働きで感覚をつかさどるのは「右脳」です。「右脳」の聴覚野に「キャラクター」という人格はつくられているのです。

 「キャラクター」は、視覚と聴覚の感覚がつくる人格です。「この人はこわい」「学校に行くのは今日もやめよう」というように考えるのは「視覚の中枢神経」ではありません。
 「右脳・聴覚野」が、「左脳の聴覚野」のコトバの機能をいそいで借りに行って、コトバを後付けにして言語化しているのです。
 「しゃべらない」「問いかけてもじっと黙ってしまう」「うつむいて相手の話しかけに反応しない」というのは、「左脳・聴覚野」に急いでコトバを借りに行くということがおこなわれていないということを意味します。「キャラクター」(人格)が脳の働き方の中で優勢になっていて、「パーソナリティ」(人格)の働きを「おら、おら目ざわりだ、あっちに行け」と追いやっているという状態が起こっているのです。

 「おら、おら、あっちに行け」という追いやりは、「友人」「学校」「学校の勉強」「仕事を命じる人」との関係性の糸をパッと離した瞬間に起こっています。「関係性」という意識がつくるのが「パーソナリティ」なのです。この「関係性」という意識が乏しくなり、稀薄になると、「左脳・聴覚野」に出かけていって「コトバを借りてくる」ということもなくなります。このなくなる、ということの最初のあらわれが「人が怖い」「嫌だ」「辛い」といったワンパターンの言葉のくりかえしです。ワンパターンの行動がくりかえされます。「行かない」「避ける」「放置する」「忘れる」「ミスを起こす」などがワンパターンの行動です。これを「常同症」といいます。ふつう、「強迫性障害」ともいわれています。

 この常同症が起っているときが「人格」の変わり目です。「コトバのない人格」に変質します。「右脳・ウェルニッケ言語野」の触覚の認知を意思の主体にした「人格」に変わります。ここが「トカゲの脳・人格」なのです。ここまで「人格」が変質すると、「死ぬしかない」と思うようになります。人間は、デカルトのいうように「理性」(パーソナリティ)をこわしては生きてはいけなくなるからなのです。

 この相談者の女性は、ポルソナーレの「イメージ療法」で脳の働き方を変えて「パーソナリティ」を回復させました。
「理性」との関係性を回復させたのです。あと少し、イメージ療法の実施が遅くなると「トカゲの脳・人格」が「幸福のボタン押し」を押してあらゆる言語を拒絶するところでした。デカルトのいう「理性」との関係づけがうまくいって、「理性」を中心とする「人格」の回復に成功したのです。

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No.14 「私は、外出しようとするとトイレに行きたくなります。いつまでもトイレに入りっぱなしになっています。外出先でもトイレに入って、いつ出ればいいのか分かりません。私の脳の働きは一生このままでしょうか?」(43歳。女性。主婦)

■ 相談の事例

 「私は、高校の頃からひんぱんにトイレに行くようになりました。トイレにいったん入ったら、いつまたトイレに入りたくなるか?が心配で自信をもてるまでトイレに座りつづけます。薬を飲んでも治りません。私は、なぜこんなにもバカげたことが止められないのでしょうか?」
(伊藤幸美。43歳。主婦。千葉県八日市場市)
(お知らせ・人物は仮名です。特定の人物、地域、職業、団体とは無関係です)

◎ 相談の内容

 私の悩みは、人から見るとたいしたことはないと思われるかもしれません。じじつ、夫に話してもそんなふうに言われます。
 だから、ひとりで考えこんで絶望的な気持ちの毎日をおくっています。

 私は、どこかへ出かけようとすると、神経が働いてお腹の具合が悪くなります。痛くなって、下痢みたいになります。とくに、仕事、病院、子どもの学校などに行くときは、出かける直前に気持ちも悪くなるのです。
 自分では「だいじょうぶだ」と言い聞かせるのですが、とくに病院に行くとなると神経が勝手に働いてこんなふうになるのです。「嫌だな」とか「行きたくないな」「やりたくないな」と思っただけでお腹の具合がダメになります。緊張すると、なおダメになってしまいます。

 出かけることが決まっているときは、何回もトイレに行きます。いったんトイレに入るとなかなか出てこれません。これでトイレに行きたくはならないという自信がなく、きまりもつけられず、出かける時間のギリギリまでトイレの中にじっと座りつづけています。

 ことの始まりは高校2年生のときです。
 卒業式の集まりの中でトイレに行きたくなったのです。トイレに行きたいのがガマンできずに式を抜け出しました。このときのことがいつまでも忘れられません。
トイレをガマンできなかった、またあのときのようになったらどうしよう、嫌だ、くりかえしたくないという思いが頭の中にこびりついています。

 こんなことをくりかえしてはいけない、体のためにもよくない、体がおかしくなってしまうと思い、何度も止めようとしました。でも、外出の場面になると止めることができません。トイレに行けない場所があるかもしれない、いったんトイレに入ったらなかなか出てこれなくなると困る、と思いトイレに行きます。
行った先でトイレに行かなくてもすむようにと、家で腸が空っぽになるまで出してしまいます。

 でも、行った先で緊張するとやはりトイレに行きたくなります。トイレに行って、もう出ないというまで無理に出してしまいます。でも、まだ出るような気がしてくるのです。もうだいじょうぶと思い、きまりがつけられません。早くトイレから出なくてはと焦ります。もうどうしていいか分からなくなります。

 最初の頃は、トイレに行くのは尿を出したいからでした。しかも、空になるほど何回も無理に出していました。
 ところが、尿がいつのまにか便に変わったのです。前よりもひどくなってこじれてきた気がします。

 最近は、身体の具合も悪くなっています。
 あっちこっちが痛くなって5年か6年くらいです。とくに「右下腹部の痛み」「胃の症状」「頭痛」「肩コリ」がひどいです。おもに、「右側の身体」の状態がおかしくひどくなったりもします。病院に行ってもべつにこれといって悪い所はないと言います。神経系の薬をくれるだけです。飲んでもいっこうに治らないばかりか、別の症状も増えてきたように思います。フラフラするとか、息が苦しくなるとかです。副作用のせいでしょうか?

 痛くて、辛くて、悲しくてたまりません。いつになったら抜け出せるのでしょうか。このまま治らないのではないか、この痛みとともに生きていかねばならないのかと思うと、あまりにも辛くて生きていく希望も自信もなくなります。私よりももっともっと辛く苦しい思いをしている人がいるということは分かりますが、今の私には何のなぐさめにもなりません。
 今の私の悩みをなんとかしたい、どうにかして治したいという一心でいっぱいです。私は、何を、どうしたらいいのでしょうか?

■ ポルソナーレの指示性のカウンセリング

 この女性の相談者が、最初にトイレに行きたいという生理的な欲求をガマンできなかった場面は、高校2年生のときの「卒業式」です。高校3年生の先輩の卒業式でした。どうしてもガマンできないと思い、式を抜け出します。これは、「社会性の世界」の「知的な形式」との関わりを切断したという意味をもつのです。

 なんどもなんどもトイレに行く、くりかえしてトイレに居つづける、というのは初めにお話した「ピック病」の症状の一つによく似ています。「ピック病」というのは、「学習性の絶望」とも呼ばれています。びっくりしたときに身体が凍りつき、固まって動かないといった最も原始的な反応のことです。人によって、何にたいして「ピック病」の症状をあらわすかはそれぞれですが、「一瞬にして超リラックス状態を求める」という行動パターンが共通しています。
 その場から逃げだす、という回避行動が「超リラックス状態」です。「ガマンする」というのは、理性が働いている状態です。したがって「学習性が成立している」といいます。「学習性が絶望状態」にあるので「若年性の痴呆」(若年性の認知症)ともいわれているのです。

 くわしい脳の中のメカニズムは、なんどもポルソナーレのゼミの中で説明していますので、ここでは、簡単に脳の働き方をお話します。人間が、理性を働かせて、なお知的に活動するというのは、「前頭葉」がつねに働いている状態のことです。「A6神経」が前頭葉で正常に働いています。
 正常というのは、ものごとを「関係性」をとりきめて維持することと、その「関わったものの中身をちゃんと分かる」「第三者にコトバで伝わるように説明できる」ということの二つです。この二つがちゃんと働いて「知的」といいます。
 ところが、相談者の説明にもあるように、知的能力をつみ上げている人はガマンして関わりを維持しているのに、自分だけは「関わり」を放棄する、というときは正常でなくなります。その場から逃げ出す、人が話しているのにさえぎってしゃべり出す、決めている約束をくりかえして一方的に中止する、といっ たことが「社会性の知性」との関係性を切断することになります。
 こういう思考のパターンや行動のパターンをもっている人が「ピック病」の症状をもっている人になるのです。
 「A6神経」が「前頭葉」に向かわずに大脳辺縁系に入りこみ、「線状体」に血流を送りこみ「常同症」をつくり出すのです。

 今、ポルソナーレのゼミでレクチュアしている「脳の働き方」に即していうと「キャラクター・人格」が「トカゲの脳・人格」に移行する過程で「ピック病」の症状が発現します。
「社会性の世界」とその「知性の対象」との関係性を遮断したときに「学習性の絶望」というピック病がつくられます。

 お分りのように「トイレに入ってじっと尿なり、便なりを出しつづける」というのは「快感行為」といいかえることができます。原始的な「幸福のボタン押し」を押して快感のドーパミンを分泌しつづけようとしています。学校とか仕事というものとの「関係性」を切断して「超リラックス状態」の中に逃げこんでいるということがよくお分りでしょう。

 「ピック病」というのは、「脳の働き方」でいうと「関係性の病気」です。「関係性がなくなることの病気」です。
 きまりきったことしかしない、同一のことを反復してくりかえすなど「ワンパターンの行動」がその病理の実体です。こういう病理は、仕事に行かない、学校に行かない、日々、何の知的な学習もしていないという中では自覚できないままに進行していきます。しかし、相談者のように「主婦」とか「働いている」という状況の中でも出現します。仕事と「形式」にしか関わっていなくて、「仕事の中身」との関係性が切断されつづけていても、やっぱり「ピック病」は症状をあらわすのです。

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ポルソナーレのゼミの様子をYouTubeに公開しました。

脳を発達させる日本語トレーニングペーパー 谷川うさ子王国物語

一部公開しました。
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学習内容(サンプル) 「言葉」 日本語の影響。その仕組みと感情、距離感、人間関係について
「脳を発達させる日本語トレーニング・ペーパー」の役立て方の資料
『分裂病の自己診断表と自己診断』
男性に嫌われない女性の話し方
女性に嫌われない男性のしゃべり方
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