「恐怖症」とは、「半分行動している」「半分は行動が止まっている」のに、なおも「行動を止めずにつづけている」ことです。「行動」の本質は「楽しいこと」「自分に利益が得られること」です。「行動が止まる」とは「負の行動のイメージ」が「右脳」に思い浮ぶ、が本質です。ここで「認知的不協和」の法則で「不安」が拡大されます。ここで無呼吸症も深化して、「心停止の不安」とともに「呼吸ができない」というパニックが起こるのが「恐怖症」です。 |
不安恐怖症は、 不安の記憶の拡大が原因です |
男性恐怖症は、 「お風呂に入ったら熱湯だった」という記憶の想起と、 モニタリングの病理です |
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不安は、行動に「楽しさ」「自分にとっての利益」が見込めないのに「行動している」ことです。「負の行動のイメージ」が「右脳」に思い浮んでいます。「不快」「自分は損をしている」というイメージです。このイメージは、過去の不安の「経験」のイメージを想起します。「経験」の記憶の想起は、「記憶のモニタリング」という作り変え、拡張がおこなわれます。ここで、無関係なもの、類似した場面が「不 安の対象」として認知されるのです。このような「不安」の拡張活動が「恐怖」の実体です。対策は、過去の記憶の修正が必要です。 |
日本の女性は、対人意識を「私は右手。あなたは左手」と血縁の地続き意識で「認知」しています。父親不在の女性は、この「認知」が絶対化されています。生の感情と欲求を言葉(記号としての言葉)にして男性に近づくと、「オペラント条件づけ」により「行動停止」が起こります。ここで「右脳」に思い浮べられる「不安」が「父親不在」の記憶を想起します。「父親不在」が不安の記憶をもつ体験の時、男性にたいして「お風呂に入ったら熱かった」という「恐怖」のイメージになります。対策は、「お風呂は気持ちのいいお湯だった」という記憶の再想起です。 |
社会恐怖症は、 「非言語活動」を体験した人の「社会不適合」の病理です |
自己視線恐怖症は、 距離をとるイメージづくりで 解消します |
右脳の「聴覚野」だけを働かせてきた人は、「社会恐怖症」になります。音楽、絵画、丸暗記型の語学、特殊な宗教、Y経路(視覚の経路)中心のPC、ケータイなどです。「左脳の聴覚野」で社会の言葉(概念)を学習していないので、「触覚の認知」しか働きません。「そうじ器のコロコロ」のように他者とくっついて血縁意識を求めるので、「孤立の不安」を思い浮べます。「認知的不協和」によってどんなことも不安の対象にします。これが「恐怖」の内容です。対策は「左脳の聴覚野」を働かせること(本の読み聞かせなど)が必須の条件です。 |
「人の目が見られない」「視野に人が入る」などの病理です。「右脳のブローカー言語野」(3分の1のゾーン)に、相手の喜びの表情、まなざしが思い浮ばない不安の累積が原因です。「自分は左手(子ども意識)」という対人意識を変えない限り、依存と甘えの「イバリ」をあらわして、「外出不安」をつくります。距離をとる「イメージ療法」でスピード解消します。 |