日本人の心の病いの主流は 「全般性不安障害」です。 |
本ゼミでは、「うつ病」や「強迫性障害」(対人恐怖などの不安がくりかえし思い浮ぶ。不安の常同症)や「社会恐怖」(緊張とともに手足、声が震える)などとともに「全般性不安障害」についてなんどかご説明してきています。
「全般性不安障害」は、「うつ病」のように「死にたい」とか「無力感におちいって絶望する」といったような目立った症状をあらわしません。しいて特徴的な病的な症状をあげるとすると、「自分勝手に不安なイメージを思い浮べて、この不安を理由にしてヒステリーを起こす、突然に攻撃的な態度をあらわす、口汚くののしりはじめる」といったようなことです。
怒りっぽい、人の話に疑いの目を向けて受け容れない、イライラした表情や感情を隠さない、といったことが特徴的な現象です。
この「全般性不安障害」の病的な特質は、自分の疑いを支える不安をもとにしてどんなことにも「疑い」の目や言葉を向けて、関係を壊すことです。しかし、「全般性不安障害」の病理者は、自分が壊した関係性の後のリスクや損害にたいして何も感じません。そして、自分がつくり出す「リスクの状況」にたいしても何かを思うことはありません。「迷惑をかけた。申し訳ないことだ」「こんなにもお世話になってきたのに、助かったとあんなにも思ったのに、後ろ足で砂をかけるようなことをしてしまうなんて、なんてヒドイことをしたのか」などと内省して、人間としての倫理をひもどいて反省する、ということができません。
「全般性不安障害」は、典型的には「大阪池田小学校事件」として日本中の人を震え上がらせました。 |
「全般性不安障害」は日本の国民病 |
しかし、その後、よく日本中で起こる事件や社会問題を観察すると、類似した病的な現象が数多く起こっていることに気づきます。「職場や学校でのいじめ」やいっこうに減らない「自分の子どもへの虐待」などです。そして「家に引きこもって、家族を支配して依存する、引きこもっている子どもをバカにして放置したままにする、不快感を感じると強制入院させたり、薬物療法でシバりつける」なども「全般性不安障害」です。「全般性不安障害」のきわだった特徴は、「手が震える」とか「恐怖の症状を心臓に感じて病院にかけこむ」とか「憂うつ感がひどくて薬を飲んで落ちつかずにはいられない」などのような自覚症状があるわけではないことです。せいぜいのところ、「眠りにくい」「朝早く眼が醒める」といった症状がある程度です。また、疲労感のために日常の仕事や学校での行動がキレギレで集中力に乏しい、といったことが感じられるくらいです。
しかし、「全般性不安障害」の病的な行動は際立っています。
自分、もしくは他者を危機的な状態にまきこんで「これは危ないことだ」とは全く思わない行動が水際立っています。人を攻撃するにあたり、相手の弱点をえぐり出してしつように痛みを引き出してわくわくする喜びを感じる行動の暗さに目が鮮やかに輝くことが際立っています。「行動そのもの」がこの「全般性不安障害」の病理の特異性を示します。
このようにとらえられる「全般性不安障害」が、今の日本では「インターネット」「ケータイ」の中によくあらわれています。そこで、事例をいくつかとりあげて、この「全般性不安障害」の脳の働き方についてご一緒に考えてみましょう。
なぜ「全般性不安障害」なのでしょうか?それは、「いじめを止めなさい」、「虐待を止めなさい」と口で、言葉を尽して語りかけても、人の話す言葉が記憶されず、瞬時に忘れ去られているということが起こっているからです。 |
脳の働き方からしか解明できない病気である。 |
このような信じられないような事態になっていることは、おそらくポルソナーレだけしか気づいていないはずです。ポルソナーレが、「脳の働きのソフトウェアとしてのメカニズム」の解明に踏み込んだのは、「人の話す言葉」を耳で聞いているのに「聞いていない」(もしくは、聞けていない)という事実が多くの日本人に起こっていることを前提にしています。「脳の働き」は、一体、どのように「知能をつくり出すのか?」、そして「知能の素(もと)の言葉をつくり出すのか?」、さらに「行動をつくり出すのか?」について解明すると、「脳」の働きに原因があるという問題の所在が明らかになります。これは、万人にとって普遍的なものの考え方の基準を明らかにすることになります。
「人の話が聞けない」「人の話を聞いているのに次々に、相手の言葉を忘失する」という病いの頂点に立つのが「全般性不安障害」です。この病理は、今、「インターネット」「ケータイ」を遣う人々の中に露出しているといわれています。 |
『週刊ダイヤモンド』(2007・12月22日号)の
『子どもを襲うネットの裏、ケータイの罠』
(清水量介、深澤献)をケースとしてご紹介します。 |
- 今、子どもたちに大人気のイン ターネットのサービスは「プロフ」だ。「プロフ」とは「プロフィール」の略だ。
パソコンや携帯電話から「ネットのページ」に自分のプロフィールを書き込む。すると、自分の実名、学校名、自宅のおおよその住所、バイト先の店の名前、所在地などが記載される。自分の友だちの写真まで無防備に載せる子どももいる。これを友だち以外の「他人」が見る。
- 「プロフ」のサービスは、見られる回数、書き込み数、などでおこなわれる「ランキング」だ。
この「プロフ」には、多くクリックされると収入になる、という「アフィリエイト」というネット広告が仕組まれていることも多い。
すると、子どもたちは「自分のプロフ」をより過激にしていく。
「女の子は、プロフで注目を集めようと、服を脱いだ写真を載せる。まるで売春営業サイトを作っているようなものだ」(群馬大学・社会情報学部大学院教授・下田博次)。
- 年間三、○○○件の「いじめ」の相談を受ける「全国webカウンセリング協会」の安川雅史理事長の話。
「学校関係者を悩ませているのが、学校裏サイトだ。裏サイトとは、学校が公式に提供するもの以外のサイトのことだ。生徒、先生の悪口が書き込まれていることもある」。
ネットに流通する情報は、簡単に消せない。劣化することなく、転送、再掲載がくりかえされる。
「就職先から内定をもらった大学生がいる。彼は、ブログなどに非社会的な内容を書き込んだことが、ネットで問題になり、特定された。就職内定先に通報された。内定を取り消された。こういうケースが後をたたない。今、企業は、ネットで何を書いたのか?を可能なかぎり検索して調査する企業は多い。小学生、中学生のころに書いた、もしくは他人になりすまして書いた内容が、一生涯にわたって本人を悩ます可能性がある」。
- 2007年7月に、兵庫県神戸市の私立高校で、いじめられていた男子生徒が自殺した。
「子どもらがよく言う『嘘をついたら一万円』というフレーズも、口で言われるのとメールで文字のみで伝えられるのとでは受け取る印象が全然違う。口で言われると、相手がどの程度、本気で言っているのかが分かる。ところが、自宅で風呂に入ってリラックスしている時に、突然、メールが届いて『50万円よこせ』と書かれているのとでは、心に入るキズが全く異なる。逃げ場がないし、制御のしようがない」(教育評論家・尾木直樹)。
- 子どもに「正しい携帯電話の使い方」を講義している「モバイル社会研究所の遊橋裕泰主任研究所員」の話。
「小学生に『メールはすぐに返信しなくてもいい。本来、好きな時に返信すればいいものだ』と話した。子どもたちは『信じられない』と驚く。会場は驚きでざわつく」。
「小学生から高校生まで、約80%が10分たってから返信するのでは遅い、と感じている。また、大事な用件は電話ではなくてメールで伝える、と考えている」。
「半数近くが、携帯メールを面倒だ、と考えている。しかし、止めたくても止められない、とも考えている」。
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インターネットの本質は「マトリックス」です。 |
パソコンや携帯の「メール」を運ぶインターネットの本質とは、何でしょうか。それは「マトリックス」といわれる「物理的な距離の短縮」のことです。わかりやすい例をあげます。
「新幹線の乗車券を購入する」という行動を想定しましょう。インターネットがない時代は、駅まで歩いて購入のためにおもむきました。この時の所要時間は30分間から1時間ほどであるとしましょう。インターネットでは、これが「数分」で完了します。仮に「5分」としましょう。
1時間から5分間を差し引いた時間の短縮が「マトリックス」です。この「マトリックス」は、単に「到着時間」が省略された、という意味だけのことをいいません。短縮された時間は、「電話でセールスをおこない、10人の人に商品を購入してもらう合意を得た」という「価値を生む」というのが「マトリックス」の本義です。「マトリックス」の原理的な説明に用いられるのが、「工場で生産をおこなった場合」というケースです。「10人の人で100個の製品を生産した」と考えてみます。「マトリックス」は、「1人の人間が100個の製品を生産するという価値を生み出す」のではありません。「1人の人間が200個の製品を生産する価値を生み出す」というのが「マトリックス」の原理です。
では、パソコンや携帯の「メール」による「マトリックス」は、どういう価値を生み出すのでしょうか。 |
ヘンリー・ジェンキンス(マサチューセッツ工科大学(MIT)比較メディア研究責任者)は、こんなふうにのべています。 |
- 「インターネットの普及にともなうデジタル世界の膨張で、子どもも大人も対面でのコミュニケーションを避けるようになった」と聞く。
それは、本当にとんでもない誤解だ。多くの先進国では、引っ越しは日常のことだ。マイホームを3年か、5年くらいで変える。すると今までの付き合いは減る。日本でも転勤、異動、進学、転職などで対面していた関係が変わるのではないか。このような中でデジタルメディアは、人々の孤独感や疎外感から救い出している。オンラインで結ばれた人間関係は、カメが背中に甲羅を背負うように持ち運びが可能になっている。
- このことをよく分かっているのが子どもたちだ。昔は、近所の子としか遊んでいなかった。今では、同じ趣味をもつ世界中の子どもが、ネットワークを通じてつながっている。コスモポリタニズムの体現だ。
アメリカのある女の子は、日本のアニメや漫画にはまった。本場のオンラインコミュニティに参加したいと考えた。そのために、真剣に日本語を学んだ。今では、いろんなコミュニティに、日本語で参加している。
- しかし、もちろんいいことばかりではない。つねにインターネットに接続している子どもと、一日に、学校で10分間しかアクセスできない子どもとの経験の格差だ。前者は、世界中の子どもにつながる。後者はつながらない。このギャップこそ、将来に禍根を残す国際的に深刻な教育問題だ。
- われわれ大人が背負っている責務とは、子どもたちにこの新しい表現モードの積極的な生産者、重要な消費者になってもらうことだ。
具体的には、デジタルイメージを作ることでもいいし、オンライン形式で意義深い文章を書けることでもいい。これによって子どもたちは、この新たな世界でよい労働者であり、よい市民であり、そしてよい表現者になることができるはずだ。
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マトリックスの価値とは「行動」のための「言葉」である。 |
ここでは、何が言われていることになるのでしょうか。「行動が可能になる」と言われているのです。「行動」のカテゴリーの中に、「よい人間関係をとぎれることなく持続させること」「新たな人間関係と出会い、わかち合いや共有によって関係が深められること」、「国境を超えて、ひょっとして一生出会うこともなかった人間との出会いやコミュニケーションが成り立つこと」などがあげられています。
そして「よい表現者になれるかもしれない」という脈絡の中で「よい労働者」「よい消費者」になれる、という「価値」が想定されているでしょう。これは、ポルソナーレのカウンセリング・ゼミが解明した「人間の脳の働き方」の本質に見合っています。すなわち、「脳は、行動を生み出す」、「行動の本質とは、自分に楽しいことか、自分が得することをもたらすことをいう」、という本質に見合っています。
「表現」もまた「言葉」による「行動」です。実際の身体は動いていなくても、「行動」にむすびつく「言葉」による表現は、それは実際の「行動」と同じように「左脳系の海馬」に「記憶される」ものです。たとえば、数十年も前の「体験」を書いたドキュメントの文章を読んだとしましょう。これを書いた人が見たもの、感じたこと、耳で聞いたことが「右脳のブローカー言語野の3分の2の中枢神経の域」にイメージされれば、それは、今「読んだ人」にとっても同様の「体験の記憶」になっていることになるのです。これが、「行動する」ということの「価値」です。
しかし、日本人の「インターネット」をとおしての「行動」は、必ずしも「脳の働き方」から見た「行動」の本質には沿っていません。「負の行動のイメージ」が、パソコンや携帯電話によるメールによって、「右脳」に表象(ひょうしょう)されています。 |
『新潮45』(2007・11月号)に特集されている
『インターネット13の怪事件簿』
のいくつかの事件を要約してご紹介します。 |
- 「ドクター・キリコ」の青酸ネット宅配事件(駒林吉重リポート)
「毒物宅配事件」と呼ばれている。平成10年12月24日のことだ。
東京都杉並区に住む女性が、「青酸カリのカプセル」を飲んで死亡した。送ったのは、札幌市の27歳の塾講師だ。彼は、他にも6人の人間に、青酸カリのカプセルを送っていた。
本名は「草壁竜次」といった。
インターネットの自殺系サイトで「ドクター・キリコ」と称していた。
草壁は、メールでカプセルの成分についてのくわしい説明を送っていた。そして「これを飲んだりしないように」の取り扱い説明文を送っていた。
草壁は、青酸カリのカプセルを「うつ病」の人が「死なないためのお守り」として送っていた。「決して使わないでくれ」と伝えると、相手は使わないものだ、と疑っていなかった。
しかし、送った7人目の女性が死んだことを聞くと、草壁も青酸カリのカプセルを飲んで自殺した。
「ドクター・キリコ」は、手塚治虫の『ブラック・ジャック』に登場して「安楽死」を施す医師からとった名前だった。
- 「佐賀バスジャック犯少年」の「2ちゃんねる犯罪予告」(福田ますみリポート)
2000年5月。佐賀駅バスセンターから出発した「わかすく号」が「バスジャック」された。
17歳少年が逮捕された。佐賀市内に住むサラリーマン家庭の長男だった。
3人の女性が牛刀で刺されて死亡した。
少年は、「インターネットをやりたい」と親に言い、パソコンを買い与えられた。高校1年生の時だ。
少年は、最初はアニメのエッチな画像を見ていたが、やがて「2ちゃんねる」で「キャットキラー」「ネオむぎ茶」などのハンドルネームで書き込みをするようになる。
「2ちゃんねる」に犯行を予告して「2ちゃんねる」の知名度が上がった。
2000年9月。家裁の審判は「解離性障害」を認めた。
医療少年院送致となる。
6年後の2006年1月。
元少年は仮退院した。少年は、今もどこかで「2ちゃんねる」を見ているだろうと伝えられている。
- 「出会い系サイト」女子高校生殺人(上條昌史リポート)
「出会い系サイト規制法」が施行されたのは、2003年9月である。だが、5年たった現在も「出会い系サイト」にからむ事件は後を絶たずにつづいている。
警視庁によると、2002年の上半期に「出会い系サイト」に関連した検挙事件は793件だ。
前年同期の2・6倍に増えている。このうち半数の400件は女子高校生、4人に1人は女子中学生だった。全体の約94%が「少女の側」からの勧誘だった。
金銭の支払いを条件に援助交際を求めるものだった。
おもな「出会い系サイト」をめぐる事件は次のようなものだ。
2001年4月。北海道出身の18歳の少年が、高校在校時にネットで知り合って交際していた主婦(28歳)を刺殺して逮捕された。
2001年4月。フリーターの男が、「メル友」の京都の女子大生(19歳)を殺害して宇治川に遺棄した。
2001年7月。「出会い系サイト」で知り合った19歳の女性と金銭的トラブルになった埼玉県立高校の教師(37歳)が、女性の知り合いの暴力団員に監禁されて殺害された。
2002年3月。鳥取県の元建設作業員(32歳)が携帯サイトで知り合った女性から金銭を騙し取り、殺害している。
2002年7月。和歌山県で女性が「男性」を装って別の女性に交際を迫った。この女性は同意した。すると、この女性は、金品を奪って殺害した。
2007年9月。札幌市で主婦(37歳)が殺害された。事件に関与した男性は、「出会い系サイト」を通して主婦と知り合った。この男性は、事件を否認している。主婦には7歳の長女がいたが、重傷を負わされている。
2002年8月。栃木県宇都宮の高校1年生の女子(16歳)が殺害された。容疑者は元会社員の菅原幸司(30歳)だった。2人は「出会い系サイト」をとおして知り合った。
菅原幸司は、同年4月まで中古車販売会社に勤務していた。彼は、地元の高校を卒業してのち、運送会社などの仕事を転々としていた。まじめで、きちんと仕事をすると評価されていたが、突然、無断欠席をして退職する。逮捕後、アパートからは女性の下着が大量に発見された。女性社員の下着を盗んでいたのだ。
殺害された女子高校生は、母親が二度、離婚している。祖父母に、養女として引きとられていた。母親と小3の時に一緒に暮らすが、半年間もしないうちに祖母の家に戻っている。高1の時に「もう勉強などしたくない」と言い、家を飛び出した。
菅原容疑者とは、いつ、どこで、どのようにして知り合ったかは定かではない。「出会い系サイト」で知り合ったことは確かだ。殺害された時女子高校生は、友人と電話で話している。
「ホテルにいる。でも、相手の男からまだ、お金をもらっていないのよ」。
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「全般性不安障害」は、他者と自分に危機やリスクをもたらす病気である。 |
ご紹介したケースは、「全般性不安障害」の病理の特徴をよくあらわす事例です。初めにお話いたしましたとおり、「他者」にも「自分」にも危機的な状態をつくり出している、という「行動」が共通しています。「危機的なリスク」にたいしてマヒしていて、現実的な意味で無感覚であることがよくお分りでしょう。ここでは、「殺害した」とか「自殺した」といった危機の終着点にのみ注目せず、「行動の仕方」に病理の特質を見ることが大切です。すると、「自分はこんなにまでヒドイことはしないよ」とか「自分の場合、ここまで壊れているわけじゃないよ」といった「程度性」や「比較しての度合い」によっての「解釈」を排除することができるからです。「危機に無感覚」「リスクの招き寄せに全くの無自覚」という「全般性不安障害」の病的な特性にしっかり目を向けて注目なさってください。みなさまも、平成19年12月に放映された『NHKスペシャル』という番組で「年金問題のトラブルは、このようにしてつくりつづけられた」というドキュメントを見た人もおられるでしょう。ひとくちにいうと、「問題の所在は分かっていたが、年金の支払いまでにはまだ時間がある。今は忙しいので、何もしなくてもいい」とか「こういうふうに仕事をすれば楽なのよ」などという恣意的な解釈の言葉で、ごく上辺だけの仕事の仕方をしてきた、ということに原因がある、と説明されていました。リポーターの女性は「無責任の組織のあり方にそもそもの問題がある」と語っていました。しかし、組織も個人の男性や女性がになっています。
ひとりひとりの「行動」と「言葉」を観察すると、「危機を見ない行動の仕方」「危険な状況を、言葉で解釈して全く別のものに変容させる」ということが一貫しています。
そのような暮らし方、そのような生き方になっています。これが「全般性不安障害」の病理の実相なのです。
ご紹介したケースには、どれも「危機をつくり出す」という現象が見られます。これは、「行動が止まること」によってあらわされています。 |
「行動」の価値とは「未来形」の言葉のことである。 |
「行動が止まるといっても、いろいろな行動があるではありませんか」とお考えになる人もいるかもしれません。このようにお考えになる場合は、「脳の働き方のソフトウェアとしてのシステム」がつくり出す「行動」の本質は、何であったのか?の基準を立てていただく必要があります。
「行動」の本質とは、「自分に楽しいことがもたらされる」か、「自分に得することが実現する」ということでした。これは、「行動」の本質の「今日」と「明日」の「楽しいこと」や「得すること」です。「未来形の言葉がつくる行動」のことです。「未来形」とは、何でしょうか。『カウンセラー養成ゼミ』では、「胎児」「乳児」の「初期・脳のソフトウェアのシステム」の生成と発達についてレクチュアしています。「胎児」「乳児」の脳の働き方は、「3歳で決まる」といわれているように、その人の「一生」を支える「脳」のソフトウェアのシステムデザインを完成させます。この位置に立ってみると脳の働き方にとっての「未来形」とは、当然、数年後には終わる、というものは、人類の「類」(るい)を消滅させることを意味するので、「そんな短い期間のことを意味しない」と誰にも分かります。脳の働き方にとっての「未来形」とは、さしあたり一人の個人にとっては「一生の距離」を意味することがお分りでしょう。「楽しいこと」「得すること」も「一生の距離」の中で享受されるものです。このような「距離」を現実に置き換えると「社会性」といいます。
この「社会性の中に入っていく行動が止まる」のです。それは、ケースの中では「学校を辞める」「学校に行かない」「他者に悪口を言って自分から遠ざける」「相手との関係を拒否する」「相手との関わりを見限り、放置する」などが該当します。
「止める」「辞める」「行かない」「放置する」などの「言葉」を考えたり、言ったり、書いたり、そしてこの言葉のイメージをずっと持ちつづけることが「行動が止まる」ということの定義です。どういう理由でも「社会的な意義や価値をもたらす対象」との関わりを放置したり、放棄するという「投げ出し」は、「行動停止」と理解なさってください。その典型を社会保険庁の「国民の年金管理」の形骸化のさせ方に見ることができましょう。このような形骸化した「行動」のことを「半行動停止」といいます。「半行動停止」とは、「物理としての身体は動いていても、その行動のための言葉は、単なる記号としての言葉であるにすぎない」ということでした。
「行動停止」は、「負の行動のイメージ」を「右脳」に表象(ひょうしょう)させます。「右脳」のブローカー言語野の3分の1の中枢神経に、クローズアップの視覚のイメージが喚起します。喚起とは、内発的な必然によって意識される、ということです。これは自律神経の恒常性(ホメオスタシス)がつくり出すことは、よくお分りでしょう。脳の大脳辺縁系には「視床下部」があります。恒常性(ホメオスタシス)をになっています。視床下部は自律神経の「中枢」です。
体温調節、空腹感、満腹感、性的な欲求、などを「右脳」に喚起させるのです。
同じように、「負の行動のイメージ」は、「行動が止まった」もしくは、「行動を止めたい」という「行動停止」によって大脳辺縁系の「線状体」が「不安のイメージ」を「右脳」に喚起させるのです。「右脳」にイメージが思い浮んだ時が「表象」(ひょうしょう)です。 |
「止めたい」「放置する」「辞める」という思考と言葉を抱える人は「全般性不安障害」である。 |
「行動停止」とは、どういう意味でも「行動」を過去のものに押しやります。「どういう意味でも」というのは、「学校を辞めようかな」とちらっと「考えただけでも」ということを意味します。これは「楽しいこと」「得すること」が「過去のもの」になって、「楽しいことが欠如している」「自分の得することも欠如している」という負の行動をイメージするということです。これは、いいかえると「安心の欠如感」のことでもあります。
人間は、「自分は安心していない」という意識をもつと、「自分は立ち往生している」と考えます。「分からなさの不安」のことです。真暗な闇の中の道路を全力で走っているというメタファーが「分からなさの不安」です。「何かにぶつかるのではないか?」「下りの坂道に突っこんで転げ落ちるのではないか?」という「恐怖のイメージ」が喚起します。「分からなさの不安」とはこういう自己破壊のイメージに連鎖します。
すると、このような「不安」という「安心の欠如」の意識は、恐怖への連鎖から逃れるために「現実」の中に、「今すぐ安心を得たい」という対象を見出すでしょう。この対象が「オペラント条件づけ」として「右脳」に表象(ひょうしょう)されます。快感の対象になるのではないか?!と思ったときにその対象となるものがイメージされると、「ドーパミン」(快感ホルモン)が分泌されます。そのような対象として選択されやすいのが「お金」であったり「性」であると『新潮45』のリポーターは書いているでしょう。『新潮45』のインターネットを利用した病理の「行動」は、「オペラント条件づけ」によって条件づけられた「快感によって得られる安心の欠如を満たす対象」を求める「行動」のことです。すると、インターネットを利用して「全般性不安障害」の病的な行動をあらわす人は、「行動停止の人である」ということが分かります。「行動停止」を「右脳」に表象させる人は、誰であろうとも、必ず「インターネット」に関わると「中隔核」のトカゲの脳が分泌する脳内で最強の快感のドーパミン分泌を志向するといえましょう。トカゲの脳の分泌するドーパミンは、「幸福のボタン押し」といいました。 |
「全般性不安障害」の人は、どんなに快感を得ても「不安」から逃れられない。 |
ここでゼミ生の皆さまは、「幸福のボタン押し」で快感にどっぷり漬かっているのに、なぜ、「自分が死ぬ」とか「他者に危害を加えるのか?」と疑問をおもちになるでしょう。この疑問には「この人は、行動停止の人なのである」ということをあらためて思い起こしていただく必要がありましょう。
「行動停止」は、それが「半行動停止」であっても、つねに、いつでも、どこでも「線状体」が「不安のイメージ」を表象させつづけます。インターネットの「出会い系サイト」で勧誘する95%の女性(中学生、高校生の女子)の直接性の「性」や擬似恋愛の中の「快感」は、「線状体」が喚起する「不安」によって打ち消されていたのです。
「行動停止」とは、その人が、どんなに「おもしろく、おかしくて、愉快な思い」をしていても、たちどころに「不安のイメージ」で包み込んで、永続的に「安心の欠如感」を意識させます。
「全般性不安障害」の病理の特徴の「疑い深い」「なかなか信用しない」「自分はダマされているのではないか?と過度に警戒する」という特性はこの「安心の欠如の永続性」にあります。「全般性不安障害」の典型的なモデルの「社会保険庁による長い間の年金の実務管理の自己破壊」のように、どんなに正しくて、どんなに現実的に有用で、長期の有効性をもつということが分かる知的な言葉でも受け付けられなくなるのは、「線状体」の喚起する「安心の欠落感のイメージ」が理由なのです。
「行動停止」の人の身体は、このような状況にあってどういう「行動」を起こすのでしょうか?すぐにお分りのとおり、「快感の対象」を現実的に入手することで、「線状体」の喚起する欠如感と不安を排除しようとするでしょう。「快感を手に入れること」が唯一の目的になるのです。「行動」のための「合目的化」といいます。
これは「手段を選ばない」という「オペラント条件づけ」のことです。ここで「売春」「暴力」「悪口を書き込む」「いじめ」などが、ネットに露出するのです。
ここでの「オペラント条件づけ」とは、「安心が無い」と感じれば、即座に「不安」と因果づけます。
これは、「線状体」ではなくて「中隔核」に「エピソード記憶」として記憶されているというように「快感を入手することの動機づけ」になるのです。「行動停止」のつくる「線状体の不安のイメージ」は、「行動を止めた対象」にむすびついています。「仕事がおもしろくない」「学校がつまらない」「あの人が嫌だ」などです。ここから進行した「中隔核」の「不安のエピソード記憶」は、「父親不在」や「母親不在」がつくる過去の記憶です。このエピソード記憶が、「自分は叩かれた」というものであるならば「人を叩く」というバッド・イメージを想起します。「合目的化」された「手段を選ばないトカゲの脳の快感」の入手のために、「バッド・イメージ」のとおりに「身体」を行動にかりたてると、「露骨な悪口」や「あからさまな嫌味」の言葉となり、しだいにエスカレートした「バッド・イメージ」を想起させて、「他者」でなければ「自分」に危害を加える身体活動になるのです |