「不安なるもの」の脳の働き方を分かることの必要とはこういうものです |
「不安とは何か?」ということについて、ポルソナーレは「分からないことが最大の不安である」と定義しています。「分からなさの不安」といいます。人間は、何について分からない場合に「不安」を感じるのでしょうか。それは、人間なら誰もが自分にとって価値と見なしているものについて分からない場合です。価値とは「生きていくうえで、誰にとっても必要とされているもの」のことです。『ハーバード流交渉術』(フィッシャー・ユーリー、三笠書房)では、次の5項目のことだと説明しています。
- 「安全であること」
- 「経済的福利」
- 「帰属意識」
- 「認められること」
- 「自分の生き方を自分で決定すること」
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ハーバード大学の基準から見た「不安」のメカニズム |
よくお分りのとおり「安全であること」とは病気にならない、ケガをしない、身体が老化しても独力でトイレに行けて食事も摂れる、といったことです。
また「経済的福利」とは、現実の経済社会に参加して収入を得つづけられること、が最も望ましいモデルになります。社会福祉は、このモデルを基準にして相互扶助を社会制度にしたものです。「帰属意識」とは、「人間は、社会性の世界から離れて孤立しては生きられない」という知的な精神の在り方についての定義です。ユングの心理学の中に「砂漠の中で、たった一人で生活している女には決して近づくな」というエピソードがあります。「どのように美人で魅力的でも、その人は危険な女だ」というものです。人間の知的な心のエネルギーは、関わりをもつ人間の数と量だけ大きく成長する、ということのエピソードです。100人の人間と関わりをもっている人間の度量の器(うつわ)は100人分だけ大きくなる、しかし、他者との関わりを拒絶して孤独に生きている人間の心の世界には、邪悪な悪意の目をもつ蛇がとぐろを巻いてうねうねとうごめいており、近づいてきた人間に飛びかかって取り憑くのだ、という主旨が語られています。
社会的な価値をもつ組織、団体、共同体に属することは、自分が、「砂漠の女」に変質することを防ぐのであるという価値の実体に裏付けられています。「認められること」の基本的ニーズの意味とは、何でしょうか。誰もが花を見れば「きれいだなあ」と思います。夕焼け空を見れば、気持ちがほのぼのとするでしょう。「今日はお会いできて楽しかったです」という言葉と笑顔を見れば、心の中が暖かく感じられるでしょう。「認められる」とは、きれいなお花を見たり、すてきな夕焼け空を見て「明日もがんばらなくっちゃ、ね」と勇気と希望が心の中にあふれ出てくるときと同じように、生きていく自信と、希望と、勇気がみなぎることをいいます。
明日、そして将来という「未来」に向かって前進していける実行の意欲が感じられることをいいます。「自分で、自分の生き方を決定する」とはどのような必要のことをいうのでしょうか。人間には「自我」(じが)というものがあります。「自分の気持ちは、自分で安心させられる能力」と「自分の行動は、自分の思うとおりにあらわす能力」の二つが「自我」(じが)です。人間は「気持ちが安心した状態」でなければ、ものを正しく考えることはできません。ポルソナーレが「離人症」のことを説明するときに用いる比喩(ひゆ)に「テレビを見ている」という状況があります。
心配ごとをかかえながらテレビの画面を見ているという状況です。心配なことのイメージが「右脳」のブローカー言語野(3分の1のゾーン)に表象されつづけているでしょう。
すると、テレビの画面を身体の目は見ているのに心の眼は見ていない、という分離した関わり方が生じます。これは、離人症(りじんしょう)ということはすでによくご存知のとおりです。離人症は、自然な一過性の状態と、長く続いていて支障感を感じている場合との二つがあります。いずれも「不安」を感じます。
この不安を解消するのは「自分」でなければなりません。どのように解消するのでしょうか。頭の中に思い浮ぶ心配ごとのイメージをなくすことも一つの方法です。テレビの画面という中身にストレスを感じていることが原因ならば、このストレス関係を安心関係に変えなければなりません。いずれにしても、自分の気持ちが安心しなければ、正常にものを考えることができないという支障がつづきます。この支障をコントロールするというのが「自分で自分の気持ちを安心させる」という「自我」(じが)の能力です。「自分で自分の生き方を決定する」というこの必要の核心はここにあります。 |
「生きていくこと」は「未来に向かって行動する」に不安の根拠がある |
生きていく人生の日々とは、毎日、必ず「気持ちの世界に揺らぎが生じる」というリアルな現実のことでもあります。自分の気持ちの世界に分からなさに由来する揺らぎが生じるのがあるがままの現実の姿です。「自分で自分の生き方を決定する」とは、「生きるのも自由、死ぬのも自由」という二つの自由の中で、いかに「不安」の暗黒の世界への失墜を切り抜けていくか?の能力と実力の習得のことを意味します。
「不安」とは、どこから来るのでしょうか。安心の経路が三つあるように、不安の経路も三つです。「気分」「心情」「感情」の経路のことです。
気分の経路の「不安」とは、「行動」が止まったか、止まりつつある時の「負の行動のイメージ」です。
「行動」には、必ず「言葉」が必要です。この「言葉」が「記号としての言葉」であるとか、「号令としての言葉」である時に、支障や障害を体験した過去の記憶のイメージが右脳に思い浮びます。「表象」(ひょうしょう)といいます。大脳辺縁系の「線状体」が表象させます。
これが一つ目の不安の姿です。
「心情」とは、「相手が喜ぶから自分も喜ぶ」という人間関係から享受する安心の能力のことでした。「人が自分をどう見ているのか?」「人は自分を嫌っているのではないか」「自分は見離され、見捨てられているのではないか」などの対人関係の「不安」が「心情の経路」からの不安です。これも「行動が止まった」か止まりつつあるときの「負の行動のイメージ」です。大脳辺縁系の「扁桃核」が表象します。
「感情」とは、生理的身体に感じる「安心」のことです。
「休息欲」「食欲」「性的欲求」の三つに集約されます。休息欲とは「眠って安心する」ことと、その対極の「ガマンして安心する」の二通りです。したがって不安とは、「眠れない」「ガマンの能力が乏しくて無呼吸状態で心停止の不安を無意識に感じてパニックになる、もしくは逃避する」ことです。
「食欲」は、胃や腸の自律神経状態が「安心の状態」です。「不安」とは、交感神経が過緊張状態になっていて血流障害が起こっているか、過度に副交感神経が働いて、脳梗塞を招いている状態のことです。動脈硬化が原因です。
「性的欲求」は、大脳辺縁系の「中隔核」からのドーパミン分泌が「安心」の状態です。性的欲求の実現の「性的な快感」とは一体、何のことでしょうか。女性にとっては「心臓の心拍の低下」にともなう知的精神活動の能力の水準を上げていくことが「安心」の本質です。男性にとっては、知的精神活動にともなう「無呼吸症」がつくる臨界線を引き上げて、A6神経の働きを無限大に拡張していくということが「安心」の本質です。男性も女性も、大脳辺縁系の「側坐核」と「扁桃核」が、特定化した性の対象を記憶して「右脳」に表象させます。 |
性の関係がつくる「安心」と「不安」のメカニズム |
「安心」の場合は「右脳・ブローカー言語野の3分の2の中枢神経」の域に、性の対象が表象されるでしょう。おもに、「初めての性の関係の相手」か「媒介として思想、哲学、倫理を相互に成立させ合っている相手」が「右脳・ブローカー言語野の3分の2のゾーン」に表象されます。「不安」の場合は「右脳・ブローカーの3分の1の領域」に、性の対象の相手が表象されます。性の対象の相手の「思想」「哲学」「倫理」という人間的な価値を特化しない場合です。性の「行動」だけが成立していて、性の言葉の「内容」が「記号化」している場合に、「孤立している自分」が表象されるのです。「孤立している自分」とは、「相手の姿が思い浮んでもその相手の前に自分は居ない」か「相手と自分が思い浮んでも、辛くて哀しい愛の物語のエピソードが海馬から想起されて、相手と自分は、不快と損をしている状況の中に立っている」というイメージのことです。 |
「不安」は「A6神経」の働きのねじれがつくり出す |
ここにご紹介している「不安」についての分類をごらんいただくと、「不安」には、発生の経路と由来は多岐にわたることがお分りいただいていることでしょう。
すると、「共通することはないのか?」とお考えになられるはずです。
共通することはあります。
脳幹にある青斑核からスタートするA6神経が分泌する「ノルアドレナリン」(猛毒のホルモン)の分泌が共通項です。
「A6神経」が「首から上」に働く場合は「上向システム」です。
「首から下」に働く場合は「下向システム」です。
この「A6神経」が、人間の基本的ニーズの「安全であること」「経済的福利」「帰属意識」「認められること」「自分の生き方を自分で決めること」の五つのうちのどれか一つにでも「未来形の言葉」をもっていなくて、「行動が止まること」が「今日」から「明日」の未来に向けられているときが「不安」です。「不安」の総和を「全般性不安障害」というのです。
「全般性不安障害」におちいっている最大のケーススタディが元・首相の「安倍晋三」の突然の「総理大臣辞任」です。
『文藝春秋』(二○○八・二月号)に寄せられている「独占手記」から「全般性不安障害」に該当するところをとり出して、要約してご紹介します。 |
『わが告白・総理辞任の真相』
(『文藝春秋』二○○八・二月号、安倍晋三) |
- 私はもともと「潰瘍性大腸炎」 という持病を抱えていた。
これまで、公にこの病気について話したことはない。政治家にとって病気はタブーだからだ。病名や病状が公になれば、政治生命を危うくすることさえあるからだ。
今回、総理大臣を突然、辞任したことの理由を理解してもらうには、この持病のことを包み隠さず告白すべきだと、考えた。
- 「潰瘍性大腸炎」は、厚生労働省が特定疾患に指定している難病だ。いまだに原因は解明されていない。
初めて発症したのは17歳の頃だ。
その時の衝撃は今も忘れられない。尾篭(びろう)な話を許してほしいのだが、激しい腹痛に襲われてトイレに駆けこむと、下血がひどく、トイレが真っ赤になった。この病気は、精神的に落ち込みやすい病気だといわれている。トイレに行くたびに下血を見るから気が滅入った。
- もう少し、くわしく説明したい。
「自己免疫疾患」というトラブルだ。自分の免疫が、腸を異物ととらえて攻撃する。
すると、腸壁がはがれ落ちる。
そして潰瘍になる。ただれて出血する。腸壁が刺激されるたびに30分に一度くらいの頻度で便意をもよおす。
夜もベッドとトイレの往復で、とうてい熟睡などできない。
内視鏡で大腸内を見たことがある。ショックだった。腸壁はボロボロに傷ついて、はがれ落ちていた。
- 初めての発症以来、年に一度はこの病気に悩まされてきた。だいたい、二週間ほどで治まる。長い時は一ヵ月以上つづくことがあった。最初の頃は、医師も、病名が分からなかった。「潰瘍性大腸炎」と診断されたのは社会人になってからだ。何の前触れもなく発症する。そして治る時はピタリと嘘のように治まる。
- 治療にはステロイドを使う。ステロイドを一度使ってしまうと、量を減らすのが難しい。減らすスピードが早いとすぐに再発する。
長く使うと副作用が強い。
顔がむくむ。ムーンフェイスになるし、骨ももろくなる。
- 今から10年ほど前、「自民党国対副委員長」を務めていた頃は、三ヵ月近く入院していた。発症して腰痛も併発した。入院の当初は歩くこともできなかった。
二ヵ月間は、口から物を食べることができなかった。点滴だけだった。60キロだった体重が53キロになった。
- 腸の全摘手術が検討された。
大腸ガンのリスクがあるからだ。
だが、全摘手術は、胃と違って代わる臓器がない。するとトイレの回数の問題が出てくる。一日に何度もトイレに行くと、選挙運動など政治活動に支障が出てくる。
- その後、時に発症することもあったが、新薬の開発がすすんで、しだいに症状をコントロールできるようになった。
「官房副長官」の時代に発症したのを最後に、再発しなかった。「幹事長」「幹事長代理」「官房長官」を務めたが、一度も再発しなかった。この病気を克服できたと考えた。そこで、一昨年9月に「総理大臣」の立候補を決意した。
- 昨年7月29日の「参院選」は、自民党にとって37議席という衝撃的な結果になった。
これまで橋本龍太郎元総理や宇野宗佑元総理など、「参院選」の敗北が原因で職を辞したケースはあった。だが、私は辞職するつもりはなかった。「ここで小泉純一郎総理から引き継いだ改革路線を変えてはいけない」と続投を決意していた。誰にも相談せず、自分自身の判断で決めた。中川秀直幹事長がやってきた。「総理、続投されるんですか?最後は総理のご判断ですが、それは茨の道ですよ」と言った。気持ちはゆらがなかった。
- 8月5日に胃と腸に異変を感じた。広島に原爆死没慰霊式に行く前日だった。食欲が全くなくなった。何を食べても身体が受け付けない。味も感じられないし、美味しくない。
それでもムリして食べた。ムカムカと気持ちが悪くなった。嫌な予感がした。
- 8月中に、慶応大学病院の主治医・日比紀文医師に診察してもらった。「機能性胃腸炎」だと言われた。血液検査で炎症反応を見れば、「潰瘍性大腸炎」かどうかはすぐ分かる。
ひとまず胸をなでおろした。
「潰瘍性大腸炎」の発症を抑える薬も処方してもらった。
- ところが、この「機能性胃腸障害」が少しも良くならない。
食欲不振がつづく。お粥(かゆ)しか喉を通らない。
お粥(かゆ)ばかりを食べていた。お粥も食べられない日があった。病院に行って点滴で栄養物を摂った。
日程の中に「会食の予定」が入っている。キャンセルできるものは断った。どうしても断れないものもある。出席した。無理やりに飲み込んだ。
- 「参院選」の後には「内閣改造」をする予定だった。
9月の「臨時国会」に向けて「所信表明」の演説の準備のしなければならない。
8月19日から25日までの外遊を控えていた。インドネシア、インド、マレーシアへ行くのだ。
インドネシアでは「アジア政策」の演説の予定がある。
これらの準備がある。8月の「お盆休み」を返上して仕事をした。今にして思うと、この時、3日、いや、2日でも静養していればよかった。
- インドネシア、インド、マレーシアに行って病状が一気に悪化した。「ウィルス性の大腸炎」にもかかった。下痢が止まらなくなった。晩餐会(ばんさんかい)ではよくエスニック料理が出る。残せば失礼にあたる。無理して食べる努力はした。だが、食べられなかった。
日本に帰国後も、「下痢」はなかなか止まらなかった。
- 「総理大臣を辞める」という考えが頭に浮びはじめた。
だが、8月27日には「内閣改造」が控えている。改造だけやって「辞めます」など考えられない。弱気の気持ちをふりはらった。
- 9月1日。「防災訓練」の最中に「遠藤武彦農水相」(当時)の「補助金不正受給問題」の一報が飛び込んできた。
- 9月7日から9日までは、オーストラリアのシドニーで「アジア太平洋経済協力会議」(APEC)が予定されていた。
- 帰国当日の9月10日。「所信表明演説」が予定されていた。
シドニーへの出発前の9月6日には、「所信表明演説」についての懇談会が開かれた。懇談の相手は、マスコミ各位の論説委員の人々だ。
この9月6日頃から食欲不振と睡眠不足がひどくなった。座っているのも辛い。テキパキしたやり取りができにくい。この頃から「体調がよくなくて、相当に深刻だ」という情報が広がりはじめた。
- シドニーでは、アメリカのブッシュ大統領やロシアのプーチン大統領との会談があった。
なんとか緊張感をもってやっとの思いで乗り切ることができた。体調はどんどん悪化した。
- 9月10日。早朝5時に帰国した。
この時、帰りの政府専用機の中で、ついに初めて辞任について考えた。この日は、午後2時から「所信表明演説」が予定されている。疲労はピークに達していた。
飛行機の中では一睡もできていない。なにしろ食事がまるで摂れていない。一ヵ月で体重が、70キロから63キロまで落ちた。食事が摂れないと、体が重く感じられる。気力も萎えた。思考能力も、自分でそれと分かるくらい鈍ってくる。まともな判断がだんだんに難しい状態になっているのが分かる。
結局、午後からの「所信表明演説」に臨んだ。
- 「所信表明演説」は、最悪の結 果になった。「衆院」で演説した時にはまだ張りのある声で読み上げることができた。だが、「参院」で演説する段階では体力的にしんどく、集中力も続かない。ついには、演説の草稿の文書の「3行」を読み飛ばしてしまった。読み飛ばした「3行」とは、「来年の洞爺湖サミットに向けて、リーダーシップを発 揮してまいります」という文だ。20分くらいの演説でこういう無様な姿をさらしたのでは、その後につづく「代表質問」(約3時間)、「予算委員会」(7時間)の拘束にとうてい耐えられないのではないか。「辞任しよう」と決断したのは、「3行の読み飛ばし」が決定的な要因になった。
- 自民党の役員会で「読み飛ばし」について謝罪した。「麻生幹事長」を呼び止めて部屋に残るように伝える。「体力、気力が衰えた。職務を遂行することが難しい」と話した。
麻生氏は驚く。「テロ特措法ならなんとか乗り切れる。今は辞めるタイミングではない」と必死に慰留された。
- その夜。病院に行き、主治医の診察を受けた。家族に「総理を辞める」と話した。
「もう充分にガマンしてきたのだからそれでいいと思う」というのが家族の言葉だった。
- 9月11日。「もう後戻りはできない」と腹をくくって公邸を出た。麻生氏や連立与党を組む公明党の太田昭宏代表と会って「辞意」を伝えた。
「いや、ぜひとも続けていただきたい」と言われた。この日は、午後5時に病院に行った。「すぐに入院すべきだ」と言われた。
- 9月12日。「民主党の小沢一郎氏と会ってテロ特措法の成立と引き替えに、総理を辞めよう」と考えていた。小沢一郎氏の返事しだいでは「今日だけ、代表質問を受けよう」とも考えていた。
だが、小沢一郎氏の返答は「まるでとりつくシマがない」というケンもほろろの態度だった。これで「辞意」が決定的になった。
その後、与謝野官房長官、麻生幹事長ら党役員を次々に官邸に呼んで正式に辞意を伝えた。このときは「健康問題が理由だ」とは伝えなかった。辞める名目は、「テロ特措法を可決させるために、自分が辞めることで局面を打開する」ということにした。
午後2時に「記者会見」をおこなった。ここで「辞める」と言ったが、「国民の皆様への謝罪の言葉」を言うことを忘れてしまった。これが心残りだった。9月24日になってようやく謝罪会見をおこなうことができた。
- 昨年の12月(平成19年)。
私は官邸の元スタッフと一緒に東京・八王子の高尾山に行った。途中を休みながらだが、標高599メートルを踏破することができた。登山途中では多くの人に出会った。
「お元気になって良かったですね」「心配していたんですよ」と声をかけていただいた。とても嬉しかった。
辞任から三ヵ月が経った。体調はほぼ回復した。
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「上向システム」としての「A6神経」の働きの「ねじれ」とは「言葉を記号として憶える」こと |
元・総理大臣、安倍晋三の「わが告白」のリポートを時系列に整理して、要旨となるところをご紹介しました。
ここでは、「不安」ということがどのように心身に波及していくかということがよく見て取れます。
「不安」は、元・総理の安倍晋三が自ら説明しているとおり、「脳幹」の青斑核からスタートする「A6神経」が正常に働いていないことから始まります。
「A6神経」は「左脳」のブローカー言語野で、「言葉」を学習して、「左脳系の海馬」に記憶させます。
元・総理大臣の安倍晋三は、どのように「左脳のブローカー言語野」に「言葉」を学習していたのでしょうか。すでに、ポルソナーレのカウンセリング・ゼミでお伝えしているとおり、「A4のペーパー2枚くらいなら10分くらいで暗記できる」というような「言葉の学習の仕方」でした。「言葉」を「記号として丸暗記する」という記憶の仕方でした。
「言葉」を「記号として暗記する」ことがなぜ、「潰瘍性大腸炎」を引き起こすのでしょうか。 |
言葉を「記号として憶える」ことがつくる病理のシステム |
「言葉を記号として暗記する」こととは、「言葉のもつ意味」が「分からない」ということです。
例をあげてご一緒に考えてみましょう。
「最後」という概念と「最期」という二つの概念を例にあげてみます。どちらも「さいご」と読みます。おそらく読めない人はいないでしょう。「読める」ということは何のことでしょうか。「A6神経」が働いて「これは」「何である」と認識するということです。「右目」「右耳」のX経路が働いて、「右脳のブローカー言語野の3分の1の領域」でクローズ・アップのイメージとして表象するということです。すでに、本ゼミでも、くりかえしてお伝えしてきているとおり、この「クローズ・アップの視覚のイメージ」とは「右脳・ウェルニッケ言語野の触覚の認知」の代わりに「思い浮べられるイメージ」のことでした。「触覚の認知」とは何のことでしたでしょうか。
「自分の生理的身体と同化する」ということです。「自分の皮ふ感覚にぴったりとくっついて一体化したり、吸収された」という了解の意識の完成のことです。「水を飲んだ」「アンパンを食べた」「入浴した」「手袋をつけた」「性をした」などというのが「触覚の認知の完成」です。
「最後」「最期」の字形の形象や線のいりくみ、形象性のもつ「記号ふうのイメージ」(形象性)の抽象が「記号」です。人間は、パンやリンゴ、水、油、といった具体物も触覚(手や指の触覚)で認知しますが、これらの具体物の形や形象の構成を「抽象化した形象」も認知します。それは、「クローズ・アップ」という視覚のイメージとして記憶して、表象(ひょうしょう)することで可能です。
日本人は、この「クローズ・アップさせて思い浮べる」という脳の働かせ方を「システム」としてつくり上げてきています。それは、人間関係を血縁関係としてだけ認知して、社会の中の他者も「擬似血縁関係」として認知する、という脳の働き方のシステムのことです。
「相手と自分は、自分の身体にぴったり同化している」という認知の仕方です。
認知の仕方では、「A6神経」は、どのように働くのでしょうか。
「左脳」ではなくて「右脳」で働くのです。「右脳」には「言葉」を学習して、憶えるというメカニズムはありません。
「言葉」(言語)を「記号」として憶えるということは、目、耳の受容器から入ってきた知覚情報は、大脳辺縁系に伝わり、「視床」で「右脳」へとふるい分けられて、「右脳系の大脳辺縁系」に送りこまれるのです。
すると「記憶する」ことのために「A6神経」も「大脳辺縁系」にスイッチします。神経伝達物質のノルアドレナリン(猛毒のホルモン)を送りこむのです。 |
言葉の意味を学習する能力の無い人は、「半行動停止の人」である |
もういちど「最後」と「最期」の二つの概念をごらんになってください。この二つの概念の「意味」はどういうものだとお考えになるでしょうか?正解をいいますと「最後」とは「ものごとのいちばん終わりのこと」が意味です。「最期」とは、「人間が死ぬ直前のこと」です。
「臨終」の意味でも表現されます。
「最」とは、「第一」という意味です。「最後」は「いちばん遅れている」「もっとも遅れた」という行動の完結を意味しています。「期」とは、もともとは「一ヵ月」のことでした。ここから「ひと区切り」の意味もあらわすようになりました。
「最期」は、「命が尽きるとき」のことです。「勇士の最期」「最期を遂げた」など、努力して生きた人の命の終わり方を表現する場合に用います。引きこもって20年くらい経って、餓死して死んだ、などのような状況を「最期」とは表現しません。
「言葉」を「記号として暗記する」という脳の働かせ方は、このような「言葉の意味」は学習されません。すると、「その行動が最後って言うのは、どういう意味?」「その最期って言いあらわした人は、どういう社会的な価値の足跡を残した人ですか?」と問われる時に、「話す」「説明する」「交渉する」「自分の仕事を発展させるためにプレゼンテーションをおこなう」などの局面で「行動が止まる」でしょう。
「その意味は?とか、具体的にはどういう状況ですか?とか、その根拠はどういうものですか?……などと質問されると、生き恥をさらすことになるぞ」と考えたのが、元・総理の安倍晋三だったのです。
本ゼミでは、「半行動停止」という脳の働き方を説明してきています。「行動」の本質は、「自分に楽しいことがもたらされる」か、「自分にとって得することがもたらされる」という「未来性の価値」をつくるのが「行動する」ということです。「記号としての言葉」は、「最後」「最期」の二つの概念の事例をご一緒に考えて分かるように、現実の中でまちがいなく不適合を発生させます。「生き恥をさらした自分を、誰もが見て、指をさすぞ」という「不安」や「リスク」を発生させるでしょう。 |
A6神経のねじれの「下向システム」が身体に症状をつくるシステム |
「記号としての言葉」を「行動」にむすびつけて無理に行動すると、一体どうなるのでしょうか。自律神経の交感神経が「過緊張状態」になるのです。胃や腸は、副交感神経支配です。
「A6神経」は副交感神経支配です。この「A6神経」の「下向システム」が、胃や腸では働かなくなるということは、誰の目にも一目瞭然です。なぜならば、「A6神経」は「左脳」ではなくて、「右脳系の大脳辺縁系」にシフトされているからです。胃や腸は一体、何のために働くのでしょうか。「左脳がつくる未来形の行動」のエネルギーの消費と安定供給のために働いているでしょう。A6神経は自律神経です。知性や精神活動を支えるという恒常性(ホメオスタシス)として機能しています。この「A6神経」が「記号としての言葉」を憶えたり、ひょっとして1日24時間のうちに3時間しか寝ずに精神活動をおこなうと、生理的身体の「活動」のためにだけ自律神経が働きます。交感神経優位となり、胃や腸に「血流障害」が起こるでしょう。すると、細胞の死滅が起こり、リンパ球が不足して、顆粒球が死滅した細胞を排除するとか、ヒスタミンや細胞のまわりの酸が出てきて胃や腸の「皮ふ」を崩壊させます。いわばアレルギー疾患の状態になるのです。アトピー性の皮ふ炎と同じメカニズムです。元・総理の安倍晋三の「機能性胃腸障害」の実体とはこういうものでした。全ての身体の病気は、細胞の崩壊です。脳の働き方に起因する身体の病気は、「細動脈」の血管が遮断されて「毛細血管」へと血液が流れなくなって「細胞」への酸素や栄養が供給停止になり、「細胞の死滅」が起こることが原因です。
ここで、ひとまず、まとめをお伝えします。
「全般性不安障害」の脳の働き方のメカニズムについてお話してきています。ひとことでいうと「全般性不安障害」とは、「A6神経」の「ねじれた働き方」のことです。「不安」の由来と経路でお話したとおり、「A6神経の働きのねじれ」は多岐にわたります。
「行動停止」が対人関係に由来すれば「バッド・イメージ」をつくって中隔核を「毒トカゲの脳」に変える「全般性不安障害」になるでしょう。一方、日本人の全てを「下流化している階層分化」は、「元・首相の安倍晋三型」の「未来型の行動をつくる言葉」を長期記憶として学習していないことによる「全般性不安障害」に原因があります。 |