■相談の事例
「私は、高校2年生の女子です。毎日、学校に行くのが辛くて、悩みで頭がいっぱいで、授業も上の空で聞いています。毎日、頭の中が疲れています。友だちはいますが、心の中は寂しくてしかたがありません」
(後藤由美。高校2年生。女性。大分県大分市)
(注・人物は仮名です。特定の人物とは無関係です。また、特定の地域、団体、職業とも無関係です。
相談の内容も、いくつかの内容を合成して再構成しています)。
■相談の内容
私の父親は、自営で塾を経営しています。自宅が仕事場です。母親も手伝っています。私は、妹と二人きょうだいです。部屋は、妹と共有しています。
生活のパターンは、朝6時ごろ起きています。遅刻ギリギリで登校します。帰宅は7時ごろです。食事、入浴後、勉強します。毎日、二時間くらいは予習や復習をします。だいたい12時ごろには寝るという生活です。部活は陸上をやっています。パソコンやケータイのメールは必要最小限しかやりません。
私の悩みの原因は、人にたいしてビクビクしていることだと思います。人にたいして心が開けません。疑い深く用心深い性格です。ものごとをどんなことでも悲観的に考えます。神経質で人にすごく気をつかいます。人にたいしていつも遠慮して、自分を抑えこんでしまいます。自分に自信がないことが全ての原因だと思っています。
私は、毎日、ため息と泣きたい心境で学校に行っています。とても悲しいことです。グループの女の子たちが楽しく話しているところへ私が行くと、雰囲気がガラリと変わります。冷たいムードになるのです。私は、学校に行っている間に、心から笑えたことは一度もありません。このままでは、自分のカラに閉じこもってしまいそうです。そういう自分が怖くてたまりません。
私は、妹といっしょに父からひどい仕打ちを受けてきました。父は塾の先生をしています。相手が自分の子どもだとつい、感情をムキ出しにしてものすごく怒ることがありました。「こんなものも分からんのか、バカ」「アホが」とますますヤル気をなくすことを言うのです。
頭をなぐったり、机をドンと叩くこともありました。見るに見かねて母親がかばってくれたことが何度かありました。妹と別々の部屋に閉じこめられてムリやり勉強をさせられました。勉強を押しつけられた2年間は、相当に長く感じました。
高校入試の三ヵ月くらい前から勉強に手がつかなくなりました。親せきの人に勉強を習って、なんとか合格できたのです。
入試の一日前に父がやってきて私たちに課題を山のように与えました。「問題が分からない」と私が言うと、父は、私をなぐったのです。
入試前の体調のコンディションをととのえていたので本当に嫌なものでした。
今は、もうこういうことはなくなりました。高校に合格したからです。でも私は、この時以来、ずっと父が嫌になりました。父を避けるようになったのです。私は、父にあいさつができません。でもポルソナーレの教えに「父親にあいさつ」とあったので、これからは嫌いにならないようには努力しようと思います。さすがに、「あいさつ」はできませんが。私は、私の悩みが解消しないのは、「父とうまくいっていないこと」が原因なのかなあと思っています。
私は、クラスの人たちと話している時にたいてい、話にのめりこんだり集中していません。話しながら頭の中では話の半分も聞いていません。頭の中で考えていることは「この話がとぎれたらどうしよう?」「沈黙がコワイ」ということです。相手の表情が少しでもつまらなそうにしていると「あーあ、やっぱり私と話しても楽しくないんだね」と思ってしまいます。
相手が笑顔で話しかけてきてくれると嬉しいんだけど、心の底で疑い深くて、心が開けません。
相手の話に笑顔で応えられません。相手を疲れさせて、自分も疲れてしまいます。だんだん人と話すことを避けてしまっています。
これではいけないと自分から話しかけると、顔がひきつるのを感じます。
クラスのみんなを見ていると、みんなおしゃべりをして楽しそうです。
私だけがとり残されていて悲しい気持ちで、やっと一日が終わっています。
●ポルソナーレの「指示性のカウンセリング」とはこういうものです
相談の事例は、「父親不在」の具体的な内容です。
「父親不在」とは、単身赴任とか別居、離婚、母子家庭のことが思い浮べられがちです。
しかし、どういう理由であっても、「父親との距離がない状態」もまた「父親不在」です。その理由は、「父親」は、「母親」にたいしてもともと距離があるのがあたりまえの存在だからです。
なぜ、父親は距離があるのが当り前の存在なのか?というと、子どもにとっての「脳の働き方」のソフトウェアとしてのシステムづくりのために、「距離があって動くもの」という存在が絶対に不可欠だからです。これは、「子どもの言語能力と、行動する能力づくりの素材になるのです。
「父親」は、ものごとを「認知」するにあたっての「いつ」「どこで」「どのように」という言葉のパターンに相当する「言葉」を学習して記憶します。「母親」は、「何を」と「どうした」もしくは、「何を」と「どうする」という言葉を学習して記憶するための素材になるのです。素材というのは、「視覚」と「聴覚」の「認知」と「認識」の記憶を「行動」のためにつくり上げていく、という意味です。「父親」が「全くいない」という不在であったり、「子どもとの距離がなくなるくらいに近い関係を記憶した」と、「いつ」「どこで」「何を」「どのように」という言葉の説明の内容にかかわる「言葉」の記憶がなく、したがって、他者の話す「どのように」に該当する言葉を記憶できません。このような「聴覚障害」になってしまいます。
「どのように」に該当する言葉は、内省や反省、教訓の言葉でもあることがお分りでしょう。すると、「父親不在」は「明日のこと」や「将来のこと」についてのことを考える力が全くない、ということと同義です。計画を立てる力、目標を立てる力、目的を立ててたどって行動していく力が欠如していることになるでしょう。
相談の事例では、母親は、父親の娘へのかかわりを見かねていさめていますが、しかし、「受験のため」という名目に妥協して、積極的に協力していることが分かります。このように「母親が父親不在」を支えて、肯定している場合が、「全般性不安障害」になります。「どのように」という言葉にかかわる「未来形のある言葉」を記憶できなくなるのです。「何を」「どうした」という「過去のこと」しか考えられなくなって、過剰なトカゲの脳の幸福のボタン押しにしがみつくようになるのです。これが「全般性不安障害」の脳の働き方のシステムの作られ方の骨格です。 |