■ 相談の事例
「私は、人と話していても妙な距離感を感じています。話している最中にも別のことをあれこれと考えて空想してしまいます。そのせいで、熱意とか、好奇心とか関心がうすくて、奇妙にクールで醒めています」
(栗田真沙子。24歳。女性。会社員。大阪府牧方市)
(お知らせ。人物は仮名です。特定の人物、地域、団体、職業とは無関係です)。
■ 相談の内容
私は、自分では暗い性格だとは思っていません。あっさりした性格だと思います。
でも、私自身も思っていて、他人も私について言うことですが、少し、人と違っていると言います。何年一緒にいても何を考えているのか、どういう女の子なのかが分からないと言います。
私自身も、自分が一体、何を考えているのか、何をどうしたいのか、自分がどうなっていくのか考えてもよく分からないのです。考えるとそれだけ、根本から分からなくなってきてよけいに不安になります。
私は、今までずっとこの性格だったのかというとそうではありません。
中学の2年生のころからこんなふうになったのです。それまでは本当に活発でした。人前に出るのもけっこう好きでクラスのことをやるときも自分から率先してとりくむ方でした。友だちもたくさんいて、自分で言うのもなんですが、みんなに好かれていました。男の子ともよく遊べて、みんなの中でもよく話せていました。
中学2年生になったときクラスに気の合う子がいない暗いクラスでした。じとーっとしていました。メールなどで妙ないじめがとびかっていました。すると、今まで仲の良かった友だちともなんかうまくいかなくなった気がして、急に淋しく、孤独な気分になりました。
表面的には何も変わってはいないように見えたようですが、私は、心の内にこもるようになりました。学校が終わってもすぐに家に帰ってインターネットなどをおもしろくもないのにながめたりゲームをやったりして外に出るのが嫌な性格になったのです。家でボーッとして、ケータイをいじりながらゴロゴロしていて、体がだるく、何もおもしろくなく何も感じないようになりました。
友だちは、静かになったね、どうしたん?ほんま、話さんようになったやんかと言います。自分でも何とかしようと思えば思うほどうまくいかなくなります。
気がついたときは、何ごとにも冷たく、醒めてしまっている性格になりました。いつも何かに夢中になったり、いろんなことを感じることが少なくなりました。友だちと話していても、いつも、それがどうしたんだろうと考えついて気がつくと会話をしていなくて、一人で空想の世界に入っているのです。だから、友だちといてもつまらないことが多くなりました。一人でいた方が楽で、楽しいと思えるのです。
でも、私は、頭の中で友だちがほしい、心や気持ちを打ち明けたりいろんなことを感動し合ったりできる友だちがほしいといつも思っているのです。
時々、すごく孤独な自分に泣くこともあります。インターネットの何とか出会い系とか、何とかの趣味のサークルとかをのぞいても、私と同じように孤独な気持ちをかかえている人の顔がパラパラと思い浮んで、背中が寒くなってきます。ああ、こんなにはなりたくないなと思って、ポルソナーレに相談することに決めたのです。
大学時代は、サークルに入ってみました。いつも醒めた目で見ているせいか、すぐにやめてしまいました。キャーキャーとさわいでいる子を見ると、うらやましいけども、どうしてあんなに浮かれてウキウキと何も考えずにさわげるかが私には分かりません。かといって一人でうつむいてケータイをじっと見つめている子もブキミで、どこか別の世界の人のように思えるのです。バーチャルな世界にも「あちら側の世界」ってありますか?
かといって私はといえば、現実のいろんなことから逃避しているように思えます。空想の世界に入って現実というものを見つめずにいつもボーッとしています。動作にもきびきびしたところがなく、体がだるく感じて、少し何かをしたら疲れるといった具合です。いろんなことに楽しんでいる人を見るととてもうらやましくなります。
私は、人の中に入っていくのが怖いのではないのです。何にたいしても感じたり、楽しんだりする心が欠けていることが怖いんです。
私は、この世界に生きていても生きているような感じがしないのです。私ひとりが実体がなくて、存在していない、影がないようなそんな気がするのです。もちろん、まわりの人には、私がこんなことで悩んでいるようには思われていません。あんまり悩みなんてなさそうだね、とも言われますし。
私の心の中では、情緒的な部分と冷たく醒めている部分とが相反して並んでいるように思えます。そのバランスがとれなくて自分でもどうしていいか分からなくて困っています。
今の私は、心と身体がバラバラで現実に焦点が合っていないようなのです。
私は、もう何年も前に手に入れたポルソナーレが出している『性格と心の世界』を何度も読み直しています。私と同じ何も感じない、醒めた性格のことで悩んでいる人のことが書いてあります。私だけが特別ではないことが分かって安心します。自分がどうしてこうなっていて、どういう過程でこうなっているという順序が分かって安心しました。私にも、この人のようにものを感じたり現実を見つめることができる手立てをお教えください。
● ポルソナーレの「指示性のカウンセリング」とはこういうものです
(1) 人間は、人間と関わりをもつ、現実と関わりをもつ、という欲求や必要性を内発的に感じて行動する、というしくみをもっています。そのしくみの世界をつくるのが「視床下部」です。
充足すればドーパミンが分泌します。ドーパミンを分泌させる脳の部位は「前頭葉眼か面」「扁桃核」「中隔核」の三つです。
この相談者の女性は、視床下部が正しく機能していなくて「前頭葉眼か面」(気分という気持ちの世界)と「扁桃核」(心情という気持ちの世界)からドーパミンが分泌されずに、孤独感を感じる、とのべているのです。もちろん、「中隔核」からの幸福のボタン押しのドーパミンは分泌しています。それが「空想にひたる行為」です。この「幸福のボタン押し」は、社会性の世界との関わりを切断するともっと多く分泌します。その世界をこの女性は「あちら側の世界」と見て怯えているのです。
(2) 人間の欲求には、生理的身体に感じる欲求と、心や精神に感じる社会的な欲望との二つがあります。人間は、どちらの満足でも生きていくことができますが、しかし、社会的な充足による満足を得られないとき、そこは「あちら側の世界」(ピック病)によって満足する病気の中の生き方であることはうたがいありません。この事例は、そういうことを教えてくれているのです。
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