みなさん、こんにちは。
全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。
●あなたの日本語は役に立っていますか?
ポルソナーレの実践実技の通信講座では、「あなたに役に立つ日本語の能力づくり」を教えています。
あなたは、ご自分が毎日、使っている日本語に自信がありますか?
次のように考えてみましょう。
●「私はリンゴは嫌いだ」
あなたが、今、誰かと向かい合って話しているとします。
ここで、目の前の人に「私は、リンゴは嫌いだ」と言ったとしましょう。
この「私は、リンゴはキライだ」という日本語は、文法上は何の問題もありません。語っている内容にもかくべつの問題もないように見えます。
しかし、ここには、日本語に特有のメカニズムがあるのです。
この「私は、リンゴは嫌いだ」の文には、助詞の「は」が二つあります。「リンゴは」の『は』と、「私は」の『は』の二つです。
「私は、女は嫌いだ」
「私は猫は嫌いだ」
というような文例が考えられるでしょう。
国語学者・大野晋は、「私は」の『は』を題目を提示して、下の文で提示したものの答えを示すための助詞だと説明しています。
「…は嫌いだ」の『は』は「対比の『は』」といって、比べるものがあるときに用いられると説明しています。(『日本語練習帳』岩波新書)。
「嫌いなもの」は語られていますが「好きなもの」はのべられていません。リンゴは嫌いでミカンは好きだ、猫は嫌いで犬は好きだ、女は嫌いで男は好きだ、というように「対比するもの」があって「嫌いなもの」だけが話されています。
●主観的表現
こういう日本語の表現を「主観的な表現」といいます。
次のような状況を想定してみましょう。「私は……は嫌いだ」と表現する場面です。
●三つの状況を想定する
A・「会社の会議」の場面。上役や同僚が複数いるという状況です。
B・あなたが好意をもっていて、これからも大切にしたいと思っている人に向かって話す、という状況。
C・あなたが、就職したいと思っている会社の「面接の場面」で。
あなたはこのA、B、Cのどの状況でなら「私は、リンゴは嫌いです」と発言できるでしょうか。
A、B、Cのいずれの場面でも「私は、リンゴは嫌です」と「言える」と回答した人は、Aの状況では「仕事をミスしたり、ひどい失策を起こす」と考えられます。Bの状況では、「好意をもっている人」と親しく、仲良くしていくことは難しいでしょう。
Cの状況では、「もし入社したとしても職場に適応することはできないのではないか」と判断されます。
日本語は、もともとの日本語は「和語」(やまとことば)といいます。
国語学者・大野晋の解析によると、日本語は、「内輪の人間」とだけ話をして人間関係をとりきめるためにつくられて成り立ってきたといいます。
「内輪」とは、自分の居る場所、位置のことです。大野晋は、自分の家の垣根の内側のことだといいます。日本の古代の原始社会では、自分の家の垣根の内側が「内」で、垣根の外は「外」でした。「遠くのもの」、「遠くにあるもの」のことです。
この「内」(うち)では、お互いは相手のことをよく知っています。
互いのことをよく知り尽しているというのが「内なる人間どうしの人間関係」です。知っていることはわざわざ言わないというのが日本人の対人意識です。ここでは、説明の言葉が省略されます。
●省略表現
「涼しくなりましたね」
「そうですね」
この会話のパターンが省略です。そしてこの省略を成り立たせるのが「主観」です。
「主観」とは何のことでしょうか。
あなたが学校の体育の教師であるとしましょう。
生徒が整列しています。
「右向け、右」と号令をかけるとしましょう。このときの「右」は、生徒から見て「右」でなければなりません。これは、「生徒」の立っている状態を頭の中でイメージして、生徒から見ての「右」だから、自分は「左の方を見なければならない」と判断するでしょう。これが「客観的な思考」です。しかし、主観的にしかものごとを見ることができない人は、「右向け、右」と号令をかけて自分だけ「左」を向くでしょう。
こういうときの言葉を「自己中心の特殊語」といいます。「自己中心の特殊語」の一般的な言葉は「指示代名詞」です。「あれ」「それ」「どれ」「これ」のような代名詞が自己中心の特殊語です。
自分が見ているもの、自分がイメージしているものを、相手もまた見ているし、イメージしているだろうという判断のもとで言いあらわされたり、書かれるのが自己中心特殊語です。
●自己中心特殊語
「私はリンゴは嫌いだ」
「私は猫は嫌いだ」
「私は、女は嫌いだ」
のこの三つの文例は、自己中心の特殊語のカテゴリーに入ります。主観的な表現の典型文です。
日本語は、内輪の人間どうしで話すという文法体系になっています。この前提の中でわざわざ「私は」と言っているので、「私」という「自我」がことさらに強調されていることになるのです。
「リンゴは嫌いだ」「猫は嫌いだ」「女は嫌いだ」という文体を比べてみましょう。
「私は」という「主語」が省略されると、たまたま、今だけ偶然にも思いついたという了解を求めていることになるでしょう。
しかし「私は」という「主語」を加えると、「ここには、あなたの知らないもうひとりの『私』という自我があるんだぞ」という「自我」を、ぬーっと登場させています。
「嫌い」とは自分の身体から遠ざけて、自分の目に触れないところで消滅してしまえ、という選択と結果のことです。これは、リンゴや猫や女を無用の存在とみなして、取るに足りないものだと価値判断していることになるのです。大野晋は、このような「内輪での扱い」のことを「愛狎」(あいこう)と言っています。愛狎とは「尊大表現」の一つです。ここから一歩進むと「侮蔑」となり、相手を見下し、存在そのものを否定する関わり方になるのです。
●能力の高い日本語の表現のテスト
では、先にあげたA、B、Cの三つの状況では、どのような日本語の表現が望ましいのでしょうか?
A・「会社の会議の場面」で。
- 「リンゴをあまり召し上がらない方もいらっしゃるかと思いますが」
- 「リンゴの季節になりましたが、ミカンの季節もやってまいります」
- 「リンゴも、梨や桃とミックスするとなおおいしさが増すようです」
正解…(1)30点、(2)60点、(3)100点
B・「好意をもっている人」と話している状況で。
- 「赤ちゃんは丸いものをよく認知するので、この記憶がもとになって、大人になるとリンゴによいイメージをもつ方が多いようです」
- 「日本の戦後『リンゴの気持ち』という歌が流行しました。好きな人と明日の希望を見つめたいという思いが歌われていたようです」
- 「『白雪姫』は、リンゴで不幸になりましたが、そのリンゴが縁でステキな王子さまと結ばれたようです」
正解…(1)100点、(2)60点、(3)30点
C・就職の面接の場面という状況で。
- 「私は、リンゴのようにコロコロと転がって職場のどなたのところへも行ってよく学びたいという決意です」
- 「私は、リンゴのように、アップルパイ、ジュース、生で食す、サラダと、いつどこでも、どなたにも喜ばれる人間です」
- 「私は、世界の誰でもよく知っているリンゴのように、なお競争力を高めて買っていただける商品をつくることをお手伝いしたいと考えております」
正解…(1)100点、(2)30点、(3)60点
●中立の文体が客観的な表現になる
正解の基準は「中立的な表現の文章」で「客観的に説明していること」です。
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