みなさん、こんにちは。
全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。
●日本人の対人恐怖のしくみ
精神科医の笠原嘉は、『青年期』(中公新書、昭和52年)で、日本人の対人恐怖の特徴について書いています。要点は、次のようなものです。
- 半知りの人が苦手(にがて)……親、きょうだい、恋人など親しい人の前では、赤くなったり緊張して話ができないということはない。見知らぬ人、人ごみの中、電車の中の人に緊張することもない。
ニガテとする人は、その「中間の人」だ。「半知りの人」のことだ。
「半知りの人」とは、近所の人、同級生、親戚の人のことだ。同一人物でも、初対面はいい。
まだ知らない人のグループに入るからだ。しかし、二回目から、三回、四回目に会って話すと意識して緊張する。
- 同年齢か年齢が近い人がニガテ…半知りの人でも自分よりも年をとった人(老人、明らかに中年の域の人)や「赤ちゃん」には不安を感じない。
自分と似た年齢の人と話すと苦痛を感じる。
異性はニガテだが、同性でも年齢の近い人と話すと顔がひきつったり、こわばったりと落ちつかなくなる。
- 少人数でいるときが不安を感じる。同年齢の人が5人から10人くらいの人数で、お互いの顔を見るという状況で不安を意識する。発言を指名されたり、順番で話すというときに自分の番になると思うと頭の中がまっ白になる。ドキドキしたり、何を話しているのか分からなくなることがある。
- 2人で向かい合って話しているときはいいが、3人になると息苦しくなって耐え難くなる。
2人で話している状況に、後から誰かが加わってくると、その誰かが、「誰である」ということにかかわりなく「その人にどう思われているか?」ということが不安になる。また、その「3人目の人」が自分を見るという視線が気になり、恐くも感じる。
- とりとめもない話が苦痛になる。特定の話題の無い状況だ。間がもてないという状況だ。自分から話題を出しにくく、かといって沈黙も苦痛になる。冗談を言ったり、自分のことをあけすけに話す人がうらやましいと思う。
- 自分だけで一方的に話す人の話を聞くことが辛い。切れ目なく、エンドレス・テープのように果てしなくしゃべりつづける人の話を聞きつづけることに苦痛を感じる。
●日本語(和語)の「文法」が対人恐怖の根拠
■国語学者・大野晋によれば、日本人の対人意識は、次のようになっています。
- 「内の人」か「外の人」かで区別する。
- 「自分より上の人」か、「下の人か」で区別する。
この二つが、日本語の「敬語表現」の体系の基礎になっています。
日本語の敬語は、少し複雑です。
- 自分と相手、というように向かい合っている関係で、相手を「内の人」か、「外の人」か、「上の人」か、「下の人」かを区別して、その扱い方を敬語表現であらわす。
- 自分が相手と向かい合って話しているとき、自分の話の中に登場させる人を、目の前の人に対して、「上」「下」「外」「内」のどれで扱って表現するかを判断する。その判断を敬語表現であらわす。
◎例
- 母親「先生、うちの子どもの○○が申すには、どうも英語がニガテらしゅうございます」
- 母親「先生ね、うちの子どもったら、英語が好きじゃないと言ってましてね、どうも困ったもので、なんか言ってやってくれませんか」
●あなたは敬語表現をいくつ見つけられましたか
■1のケースの母親も、2のケースの母親も学校の教師と話をしています。
1のケースの母親は、学校の教師を「外の人」「社会的に地位のある人」「いつも、自分の子どもが世話になっていて、かくべつの教育的な価値を与えてくれている人…自分と子どもは、その無形の価値を与えてもらっている立場にある」と認識しています。
このような状況では、「相手を高く扱う」「ていねい語を使う」というのが、日本人の対人意識の基本型です。
例の2の母親は、「先生ね」「うちの子どもったら」「なんか」「くれませんか」という「情意表現」を言いあらわしていて、「申す」「ございます」といった敬語表現がなされていません。
「日本語」の敬語表現は、「動詞」と「名詞」であらわす、という文法上のルールがあります。
◎例…谷崎潤一郎の『少年』の中の一部をご紹介します(大野晋の『日本語練習帳』より)。
「ねえ、荻原の坊ちゃん、家の坊ちゃんと御一緒にお遊びなさいましたな。実は、今日(こんにち)手前どもにお祭りがございましてね、あのなるべくおとなしいお可愛らしいお友だちを誘ってお連れ申すようにお母さまのお言いつけがあったものですから、それで坊ちゃんがあなたをお誘いなさるのでございますよ。ね、いらしって下さいましな。
それともお嫌でございますか。」
- 話しかける相手への敬語…「なさいましな」「ございましてね」「あったものですから」「ござます」「下さいましな」「ございますか」
- 動詞につける敬語…「ございましてね」「なさる」「下さいましな」
- 名詞につける敬語…「御一緒」(漢語は御をつける)「お祭」(和語は『お』をつける)「お連れ」「お母さま」「お言いつけ」「お誘い」「お嫌」「お友だち」「お可愛らしい」「あなた」
- 謙譲語…「申す」
●日本語の「敬語表現」のメカニズムを知っていますか?
■日本語の「敬語表現の体系」は、次のようなメカニズムになっています。1から9まで順々に「外扱いから内扱い」へと進行していくというメカニズムです。
◎「外扱い」の段階
- 恐怖…「近づかない」「避ける」「逃げ出す」
- 畏怖…「成り行きをじっと見る」「手を加えない」「話しかけず、沈黙する」「返事をしない」「かかわりにならない」(注・ケータイやパソコンのディスプレーをじっと見て、相手のことをあれこれ想像する)
- 畏敬…「価値があるものと認めて、なんとかかかわりをもちたいと願う」「伝わってくるものは、直接ではないので高く評価して見たり、読んだりして、所有する」
- 尊敬…「実ったもの、作品、発言をいただく」「かわりにお礼を言ったり、労力を提供する」「相手の喜ぶ態度、ふるまいをあらわす」
- 敬愛…「自分だけのために何かをしてくれていると受け取り、自分の所有感になる心情、感情を向けてその相手をイメージする」「自分が近づけば受け容れてくれる、という確信をもつ」
◎ここから「内扱い」の段階
- 親愛…「自分と相手は距離がなく、地つづきの関係だと思うこと」「『マジで』『ていうか』などの省略語、記号表現でも伝わるという人称不在、人物不在、相手の意思不在で通じ合うとする同化意識」「気になる、気にするというイメージが常に表象しつづける」
- 愛狎…「子どもがペットとじゃれ合うように、相手を自分の感情の投射対象とみなす」「相手がどう思うか?などを全く考慮せず、自分のために相手は存在すると扱う」「依存、甘え、など快楽の対象としてのみの価値を見出す」
- 軽蔑…「相手を見下し、高見から扱う」「相手の価値を認めず、無価値な存在であるかのように発言する」(女性の『男コトバ』遣いの『…だよ』『…なのか』『…だ』などが該当する)(悪口の『てめえ』『じじい』『ばばあ』『コワイ』などがこのパターンの好例)。
- 侮蔑…「相手の病理状態を放置する」「引きこもり、不登校、ニート、フリーター、薬物療法の状態を許容する」などの扱いのことをいう(相手の身体はさしあたり面倒を見るが、内面の心や精神の病理状態を死に向かっていく状態となすがままに放置する、という扱い方のことをいう)。
●対人不安をもつ人は、「相手の人」を見下して、存在や社会的価値を壊しています
■日本人の対人不安などの「対人恐怖」は、「外扱い」をすべきところで、その相手を「内扱いする」という日本語の「文法意識」がつくり出しています。とくに、「敬語表現」の日本語の文法意識が身についていない人は、相手の社会的な価値よりも「外意識」の方が優先するので、社会的な能力や社会性の能力が無価値に見えて、「うつ病」や「自律神経の中枢神経の症状」をつくりやすいのです。
今の日本のように、パラダイムの変換がすすんでいる状況では、一人一人の人間の自立した知性がゆいいつの投資の対象になっています。そのような知性の能力の二極化と解体がすすんでいます。
これが、日本語の「主観表現のメカニズム」を「客観表現の能力」に変える必要と根拠です。
■ポルソナーレの『谷川うさ子王国物語』は、そのためのテキストです。
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