みなさん、こんにちは。
全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。
●「コミュニケーション」とは何か?
平成21年11月8日(日)の日本経済新聞の文化欄に、作家の瀬名秀明が「人間の想像力」という題で「コミュニケーション」について書いています。次のような内容です。
- 現在、千葉工業大学に所属する古田貫之さんの「ヒト型ロボット」を最初に、間近で見た時は驚いた。抱えられるくらいの大きさのロボットがすばやい動きで空手チョップを繰り出す瞬間、空気の切れる音が聞こえた気がした。
- 人間と機械の違いを突き詰めるために、できる限り、人間そっくりの外観を持つロボットをつくった研究者もいる。CG技術は年々、進歩し、もはや映像を見ただけでは本物の人間なのか、CGなのかわからないものも現れた。
- ここ一年ほどでようやく気づいたのは、「生命」と「コミュニケーション」とは違うものなのだ、という当り前の事実だった。私たち生物は有史以来、コミュニケーションできるものは生命あるものだ、という前提のもとで進化を続けてきたのだと思う。
- 私たちは、相手が生命(体)でないと知っても、従来どおりコミュニケートできるようになるのか、それともいままでと違う感覚のコミュニケーションを受け入れてゆくのか、これから体験してみないとわからない。
●「言語学」による言語のとらえ方
■瀬名秀明がここで書いているのは、「生命体」と「コミュニケーション」とは別ものだ、ということです。
こういうことを取り上げるのは、「コミュニケーション」とは何か?ということを正しく分かる必要があるからです。
言語社会学者の鈴木孝夫は『新潮45』(2008・8月号)の「日本語万華鏡」の中で「人間のことばと動物のことば」というタイトルで「ミツバチの言葉」を紹介しています。
オーストリアの動物言語学者カール・フォン・フリッシュの観察の内容です。ここで鈴木孝夫は、「ミツバチ語」というものはいくつかの「8の字ダンス」を指すものだが、それは「構造的写像性」というもので、人間の話す言葉の「オノマトペア」(擬声語、および擬態語)と類似する構造をもつものだ、と説明しています。
「オノマトペア」とは、「ピカッ」とか「ポンポコリン」「テクテク歩く」「スタスタ歩く」「サッサと歩く」「トンカラリンと機(はた)を織る」といった擬音や擬態の言葉のことです。大野晋(国語学者)は「光」という漢字は、もともとは「ピカッと光る」の「ピカピカ」に原義がある和語(やまとことば)だと説明しています。オノマトペアは、日本語ではたくさん作られていますが、南アジアにも多くあるとのべています。欧米語には少なく、むしろ珍しい表現の仕方だということです。
●言葉は「構造的写像性」と「構造的非写像性」で成り立っている
「言葉」には、「構造的写像性の言葉」と「構造的非写像性の言葉」の二種があるということをお話しています。
「オノマトペア」は「構造的写像性の言葉」です。
では、「構造的非写像性の言葉」とはどういうものでしょうか。
鈴木孝夫は次のように説明します。
- 「大きい」「小さい」という形容詞を発音する時、必ずしも「大きい」を大きな声で発音するわけではない。同じように、「小さい」という形容詞を言う時に小さな声でささやくように発音するわけではない。
- 同じように文字で書く時に「大きい」という形容詞を大きな字形で書きあらわす、ということはしない。「小さい」と同じくらいの大きさで書く。これが「構造的非写像性」ということだ。
- 「構造的非写像性」とは、例えば「ゾウ」「イヌ」「ネズミ」という名詞を言いあらわす時に、「ゾウ」は大きな声で発音し、「イヌ」は普通の大きさで発音して、「ネズミ」は、小さな声で発音することはしない、ということだ。このような言語の本質を明らかにしたのは、スイスの言語学者「F・ド・ソシュール」(1857~1913)だ。
●人間の言葉は「構造的写像性」から出発する
■鈴木孝夫がのべているのは、言葉は、「構造的写像性」と「構造的非写像性」の二通りがあるということです。
なぜこうなっているのか?というと、言葉は、「記憶」によって成り立ち、つくられるからです。何を記憶するのか?というと、人間の場合は「母親の存在」を記憶するのです。いいかえると、「生まれてからすぐ」は、自分一個(一人ではなく)の力で生きてはいけず、保護を必要とする「生き物」は、全て、「親の存在」を知覚の次元で記憶します。
知覚とは、人間でいうと「視覚」「聴覚」「触覚」「味覚」「嗅覚」の五つのことです。
この五官覚の中で、「親の存在」を最も早く記憶するのは「聴覚」です。この「聴覚」は「触覚」と相互に結びついています。
その結びつき方は、「Y経路」という視覚の経路と重なっている聴覚の知覚経路が、「X経路」で「確認する」という結びつき方です。
人間の場合、このような「聴覚」による「母親の存在の記憶」は、母親の胎内にいるときの「妊娠五ヵ月め」あたりから可能になります。
「胎児」は、五官覚のうち、まず、「聴覚」と「味覚」「触覚」を発達させます。
人間の子どもの「視覚」の能力が成人のレベルまで完成するのは「幼稚園」に通い始める4歳児になってからです。
この「4歳児」になるまでに「ものごとの正しい見方」「ものごとの正しい観察の仕方」の家庭教育をおこなわないと、「好きなものしか見ない」という視覚の能力をもつ脳の働き方が発達します。
「乳・幼児」は、胎内で「母親の心臓の拍動」を「母親の意思」と記憶します。そして「母親の身体内を流れる血管の血流の音」を「母親が自分に関わる意思の内容」と記憶します。
妊娠中に、母親が不安定な状態にあれば、母親の心臓の心拍は上がったり下がったりの動揺が激しいので、胎児の心臓の心拍も動揺します。すると、この胎児は生まれてから、「他者は、自分に心臓がドキドキするような動揺を強いるという意思をもつ存在だ」というコミュニケーションの能力に片寄りのある言葉の能力を抱えることになるのです。
誕生してからの新生児、乳児の時期の子どもは、母乳を飲む時の「飲み方のリズム」をとおして「聴覚」と「触覚」のコミュニケーションを発達させます。このことは、京都大学の教授・正高信男が観察をとおして報告しています。あるいは、フランスの認知科学、言語心理学研究所の「メレール」が実験をとおして確かめています。
この「聴覚」プラス「触覚」によるコミュニケーションは、子どもが「0歳3ヵ月」になると、「社会的微笑」をあらわすので、母親は、「母親語」を使ってより積極的に子どもの「反応」をうながしはじめる、というように進化します。子どもに「クーイング」という「発声」があらわれはじめるのです。この頃から「母親」と「子ども」の触覚を中心とするコミュニケーションに「視覚による任地と認識」が加わり始めるのです。
●コミュニケーションとは、互いが互いを必要とする情緒的安定のシステムのことです
ここで、新生児、乳・幼児と母親との「コミュニケーション」の心的なメカニズムをお話しているのは、最初にご紹介した瀬名秀明のような見解があまりにも一般的になっているからです。
コミュニケーションとは、「意思をもつ主体どうしの、互いが互いを必要とする情緒的な安定のシステム」が基本型にあります。
母子、および父子の関係の中のこのシステムを『愛着』(あいちゃく)といいます。
コミュニケーションを、このようなものだとする定義を否定する発言が瀬名秀明の主旨です。
●ノーム・チョムスキー批判、パートII
このような見解は、もとはといえばノーム・チョムスキーの「生成文法理論」に由来しています。
ノーム・チョムスキーは、『言語と認知』(心的実在としての言語)(秀英書房)の中で、次のように書いています。
- 言語は、どのように獲得されるのか。行動とその産物から、行動の背後にある「心/脳」に表示される知識のシステムがつくる。ここで行動は研究の焦点ではない。「心/脳」の内的システムに関する証拠を提供するものだ。
- そのシステムとは、ある特定の言語を構成し、各種表現の形式と構造的特性と意味とを決定するシステムである。
- このメンタリズムは、言語研究を自然研究へ同化させる。また、言語機能の「物理的機構」を明らかにするものだ。
- 「心/脳」の言語機能の初期状態は一群の下位システムないし、モデュールと呼ばれているものから構成されている。そのシステムは、一般的な原理にもとづいている。この原理の一つ一つは、変異の可能性をもつ。そのシステムは、ネットワークと考えることができる。そのネットワークは、有限個のスイッチボックスと結びつけられている。
■ノーム・チョムスキーは、アメリカのマサチューセッツ工科大学の教授です。ご紹介している『言語と認知』は、チョムスキーが日本に来て連続講演したものがまとめられて出版されたものです。講演は上智大学と京都外国語大学でおこなわれました。一般向けと専門家向けの二つのカテゴリーでおこなわれています。1987年の1月のことです。
●チョムスキーには、認知理論はあっても「認識」の理論は無い
ノーム・チョムスキーは、「新生児」「乳児」「乳・幼児」と母親の間のコミュニケーションは「メタ言語」の次元の「意思」と「意思」の相互の積極的な働きかけとして成立することを不問にしています。乳児は母親という相手を認識して、より高次の母親の理解の認識に高めています。この次元の「コミュニケーション」は「構造的写像性」として、「触覚」を土台に、「聴覚」を中心におこなわれます。これが、「0歳3ヵ月」になると、母親による「母親語」をとおして「構造的非写像性の言葉」へと移行します。
「母親語」ということを明らかにしたのはチャールズ・ファーガソン(アメリカの文化人類学者・1966年)です。
●日本語の文法は、日本型の分裂病を生成している
ポルソナーレの見解では、「乳児」が0歳9ヵ月になる頃までは、日本の子どもも、欧米の子どもも共通に脳の言語の生成のメカニズムの発達をたどります。しかし、0歳5ヵ月から0歳9ヵ月にかけて、日本人の子どもは、「日本語の文法」の特性に従って「構造的非写像性の言葉」を記憶しはじめます。それは、脳の言語の生成のメカニズムでいうと、「意思と意思のコミュニケーション」のための言語能力が脱落していくという「日本型の言葉のメカニズム」の生成に移行していくのです。
日本人は、そのために、瀬名秀明のような病的な人間観を当り前にしているといえましょう。
ポルソナーレの『谷川うさ子王国物語』は、「日本型の分裂病」の「強迫観念」(くりかえし同じことをおこなうなどの常同症など)、「マイナス行動」(人の欠点をあげつらって、バッド・イメージによって快感を享受する、等)、「恐怖症」(人と話すことが怖い、等)を生成する「日本語の文法メカニズム」を、もっとも望ましい表現の仕方に変える日めくり式のプリント形式のテキストです。
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