みなさん、こんにちは。
全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。
●今年一年をふりかえって
2009年(平成21年)の今年も間もなく終わろうとしています。
平成21年の今年は、昨年(2008年・平成20年)の9月に、アメリカ発の「金融システムのバブル」が崩壊して、日本はもちろん世界のパラダイム・シフトが構造的に一変したことが明らかになった一年でした。
パラダイム・シフトとは、さまざまな学的な分野で、ものごとを考える際に前提とする「思考の枠組み」のことです。
昨年の「9月」までのパラダイム・シフトとは、「ものごとの価値は期待価値にある」というものでした。
「期待価値」とは、さまざまな言葉で言いあらわされます。
ひとくちにいうと「予測されるメリット」のことです。「○○をすると、こういう良いことが期待される」というカテゴリー概念です。具体的にいうと次のようなものです。
「株や国際商品(コモディティ)などの金融商品を買って投資する」「有名大学や大企業に入れば将来の生活は安心だ」「美容やファッションで飾ればいい恋愛や結婚ができる」「抗うつ薬や向精神薬を飲めば、心や精神の病気が治る」「フリーターや引きこもりでも、時期が来れば豊かな人生や生活を送ることができる」など、など。
●解体されている古いパラダイムの中の「ものの考え方」
適当に思いつくままにひろいあげて「期待価値」というものはこういうものだという事例をご紹介しました。
ご紹介した「期待価値」の内容は二通りの価値が考えられています。
一つは、金融商品、有名大学、などに見られる実利的な価値を将来に期待することです。もう一つは、現在の現実との適応行動を止めて「期待価値のイメージ」の中への安住を求めるという「自閉」による期待の仕方です。
●パラダイム・シフト
このような期待価値をまとめた概念が「消費社会」です。
この「消費社会」というパラダイムの構造が一変しました。それが今年(平成21年・2009年)の一年間に一気に浮上しました。
すると、新たにどういうパラダイムが浮上したのかというと、「実体こそが価値である」という新たな思考の枠組みです。
新たな価値体系は、古い価値体系を解体します。そこには「価値」のフェティシズムのマネー(資本)が投下されなくなるからです。
解体されていく「旧価値体系」とは次のようなものです。
- バーナム効果…効能効果を強調して「プロセス」を説明しないでアピールする商品やサーヴィス。
- 多元的無知…「自分だけが知らない」と思い込み「知っているフリ」をすること。肩書きや権威を盲目的に信じて従属すること。
- 肯定性バイアス…ものごとの一面しか見ない。とくに肯定面だけを見て、否定面を見ないこと。因果律という合理的な思考ができないことが原因。
- 確認バイアス…二つの別々のものを必然性があるかのように結びつける思考パターン。伝統的に日本人に多い。
『万葉集』の中にもアニミズムによる「感染呪術」「類感呪術」が歌われている。
櫛も見じ屋中(やぬち)も掃かじ
草枕旅行く君を
斎(いは)ふと思いて
(万葉集・感染呪術の例)
高麗錦(こまにしき)紐の結びも
解き放(さ)けず
斎(いは)ひて待てど
しるしなきかも
(万葉集・類感呪術の例)
前者の歌は、恋人が旅に出た後に女性が歌ったものだ。
恋人が触った髪の形や、恋人が触った家の中の物をそのままにして形を変えないでおく、という呪(まじない)をかけた。髪の形や家の中の物の様子が変わると、自分と恋人との関係の様子も変わる。だから、そのまま、そっとしておくために櫛(くし)も見ないし、家の中をそうじして掃かないと歌っている。斎(いは)ふというのは「祝う」の古い表現の仕方だ。神に頼みごとをするという祝い方の言葉だ。
後者の歌は、奈良時代までの日本の女性の自立した立ち位置で歌われたものだ。経済権も生活の主体も女性の側にあった。それが、平安時代を境にして少しずつ女性は、男性の下の位置にあるというように変化していく。
室町時代になってそれが決定的になる。
この歌は、「妻問婚」の時代の歌だ。女性は男性が家に訪ねて来るのを待つ。二人の関係が変わらないようにと高麗錦(こまにしき)という高級なひもを解かずにいるが、その呪(まじない)のしるしがない、恋人はやって来ないと歌ったものだ。
●ノーム・チョムスキーの「生成文法」説
このような古いパラダイムを支えてきた典型が『言語の脳科学』(酒井邦嘉・くによし、中公新書)の次のようなアカデミズムの考え方です。
- 言語は心から生まれる。発せられた言葉は、再び心に返って理解される。心から言語へ、言語から心へ、というサイクルは、言語の作用がその作用を行なう心自身に返ってくる。このサイクルを「再帰的」という。
- 全体として見ると、言語のはたらきは「知覚―記憶―意識」という心のはたらきと関わり合いながら、脳のシステム(体系)に組み込まれている。
- 言語は、知覚―記憶―意識のそれぞれとの間に双方向の情報のやりとりがある。
したがって、言語は、心のそれぞれの要素と相互に再帰的に関わっているのだ。
酒井法嘉は、東京大学大学院総合文化研究科・准教授です。マサチューセッツ工科大学のノーム・チョムスキーの直接指導を受けて、チョムスキーの「生成文法」説を継承して展開しています。
ご紹介の部分は、脳に「心」があって、それが脳の中につくられている言語と文法のシステム、ネットワークを機能させている、というアウトラインをのべているところです。
●『言語にとって美とはなにか』の言語理論
今、日本人は、このような「学説」のどこがおかしいのか?ととらえることもできないところで心や精神の自由さも喪失しています。
『言語にとって美とはなにか』(吉本隆明・第一巻、33ページ)の、次の一文と比べてみましょう。
- 有節音声が自己表出として発せられるようになったとき、いいかえれば言語としての条件をもつようになったとき、言語は、現実的な対象との一義的な関係をもたなくなった。
- たとえば、原始人が海を見て、自己表出として「う」といったとき、「う」という有節音声は、いま眼の前に見ている海であるとともに、また、他のどこかの海をも概念として抽出されていることになる。
- 自己表出をもつことによって、有節音声はべつの特長をも獲得した。海を眼の前において「海の原」という有節音声を発しても、住居の洞穴にいながら「海の原」という有節音声を発しても、同じように、現実にいくつもある海を類概念として包括するようになった。
●解説
チョムスキーの系統の「生成文法学説」は、人間に「心」というものが別にあるというイメージをつくり、言語を脳の神経系という「物理」の中に還元しています。
しかし、『言語にとって美とはなにか』では、「言語」というものは人間の「観念」の中の部分的な現象であって、「言語」の土台は、表象(自己表出性)される「観念」そのものにある、と説明しています。
酒井の「説明」を受け容れれば、うつ病も幻聴も幻覚も全て正常な言語の範囲に含まれるもので、もし問題になるとすれば、脳のシステムの異常とエラーであるにすぎず、治るとか、治る見込みがあるというのは脳の神経系の問題である、ということを認めることになります。
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