みなさん、こんにちは。
全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。
■『谷川うさ子王国物語』パート・Ⅱは、9月末に発売します
ポルソナーレは、この平成22年9月末より、『谷川うさ子王国物語』パート・Ⅱを発売します。
契約した人のみに、製作したテキストをほぼ一ヵ月に一回、ご自宅にお届けするシステムです。
かつて、作家のディッケンズやスティーヴン・キングが試みたお届け方式です。『谷川うさ子王国物語』パート・Ⅱもこれと同じ製作システムでお届けします。
■学習すれば、こんなことが身につきます
『谷川うさ子王国物語』(パート・Ⅱ)は、人間、および日本人の脳の働き方とここでの言葉の生成のしくみや、日本語の生成のされ方といったことを中心にカリキュラムを構成しています。脳が、どのように不安や恐怖、緊張といったものをつくり出すのか?という「言葉の能力づくり」にテーマを当てて、不安や恐怖や緊張からまぬがれない日本人の「脳の働き方」の改革をレクチュアしています。
ポルソナーレのカウンセリング理論は、因果律を中心にして体系づけられています。因果律とは、「原因と結果」を考えることです。
例えば、よくある事例で説明しますと、「人の目が怖い」ということで困っている人がいるとします。
この「人の目が怖い」という不安なり対人にたいしての緊張は、日本の「大正時代」から多く出現した病理です。
「因果律」にもとづいて原因を追究すると、「人が、自分をじっと見ている」か、もしくは「自分が、他者をじっと見る」ので人間関係に支障が生じている、という病理です。
この「人の目が怖い」という病理の原因は、「他者と正しく会話する社会的な能力が欠如している」というものです。
この「人の目が怖い」という対人意識は、日本人に特有の家庭環境がつくります。相手の顔色をうかがうとか、相手の表情で安心関係をつくる、しかし、言葉の「意味」をしっかり確かめ合って、言葉の「意味」のもつ知的な安心関係をつくることはしない、ということが広い意味の原因です。この考え方でいうと、「人の目が怖い」という病理は日本人の全ての人間に共通する病理であるといえるのです。
■日本人の心と精神の病の原因と根拠とはこういうものです
では、「ある人」に限って「外に出ない」とか「人を避ける」という病理症状を抱えるのはなぜか?というと、「相手の顔色を見て安心する」とか「相手の表情を見て安心関係をつくる」ということを中心におこなうという「ものの考え方」を人間関係の全て、としてきたからといえるのです。これには、二通りのものの考え方があります。一つは「母子密着」のパターンのように過度の距離のない「皮ふ感覚のレベル」での関係によってここには「社会的な言葉」の学習が無いというケースです。
もう一つは、「父子家庭」のように、母親(女性)が与える気持の安心状態が不足していて、社会的なことのどんなことに関わるにも緊張してしまい、ガマンの能力も極度に不足しているというケースです。
共通する「ものの考え方」は、どんな人間関係にも、互いを関係づける橋渡しの「媒介」というものがある、ということを全く理解できていないことです。
この「ものの考え方」をつきつめていくと、「人の目が怖い」という固有のイメージを、脳に思い浮べていることが分かります。
「一人の時に、人の目が怖いという不安をどのように考えていますか?」と質問すると、その答えに「人の目が怖い」というイメージの内容が説明されます。
その内容は、「ニラまれた」「悪意の目を感じる」「私をバカにしている」「冷たい目で、よそよそしく無関心で相手にしてくれない」「優しさとか暖かさが感じられない」といったものです。
これが妄想です。妄想というイメージです。妄想ということの定義は、「そんな事実は無い」ということです。「事実」とは、「5W1H」で説明されるように「いつ?」「どこで?」「だれが?」「なぜ?」「どのように?」の問いに答えて満足すべき「現実」が、公平な第三者によっても確認できることをいいます。公平な第三者は、証拠にもとづいて「そのとおりである」か「それは、錯誤である」とか認定するでしょう。「妄想」は、錯誤の認定を下されるもののことをいいます。
■『谷川うさ子王国物語』(パート・Ⅱ)で教えたこと
『谷川うさ子王国物語』(パート・Ⅱ)では、脳の言葉の生成のメカニズムとしてみると、この「妄想」とは、どういうものか?を説明します。
簡単にいうと、「妄想」は、自分にとっての最も重要な現実を破壊することを目的にしたイメージのことです。
したがって「健全なイメージ」とは、自分にとって重要な現実にたいして関わり、生産的な行動をつくり出すことを目的にしているイメージのことです。
なぜ、こういう違いのあるイメージが脳に思い浮ぶのか?についても説明しています。
それは、「脳は、快感原則で働く」というメカニズムによるのです。
「妄想」は、「現実を破壊するためのイメージ」です。すると、「妄想を生成する脳の働き方」は、「人の目が怖い」のケースに見るとおり、「現実には何の根拠もない」ことを「錯誤」として語っているということですから、「現実にたいして正当に関わるとか、生産的に行動すること」が出来ない「ものの考え方」がつくり出すことが分かるでしょう。これは、現実の中で正常に生きていくことができないということです。
■日本人の妄想の本質について教えます
「大阪・西区、23歳母親によって餓死を強いられた2人の幼児」も、「脳の快感原則」にもとづけば死の直前は、「ベータエンドルフィン」という強力な快感ホルモンの分泌の中で、ひもじさの苦痛が快感に変わって、快感の中で死んでいった、といえるのです。
女優の北林谷栄は、脳の手術の後でこう語っています(NHK・TV、平成22年9月19日)
「死の直前までいくと、ふわっとしたいい感じ、そのいい気分を通過していく。私は生還したけどね。人間は、誰でも、無事に死を迎えられるようになっている。」
この「死」に向かってゆっくりと直進させるのが「妄想」というものの本質です。
日本人は、この「妄想」を抱えていて、日々、死に向かって進行している、というのがポルソナーレの『谷川うさ子王国物語』(パート・Ⅰ)の見解です。
社会言語学者・鈴木孝夫は『言葉のちから』(文春文庫)で次のように述べています。
- 日本人は「アメリカさん、わー、素晴らしい」「イギリス、万歳」「フランス万歳」「中国、万歳」と、みんなもらう。何でも習う。それが恥かしくない。いいものをもらうことに恬(てん)として恥じないで、どんどん自分を自己改造する。
- 日本はどんどんもらうからすごく早く発達する。ただし百戦錬磨じゃないから、本質は弱い。
- 私は、これを大木とツタでたとえる。中国の文明は四千年かかって大木のように大きくなった。
大きな木は、嵐で折れないように、地震で倒れないように、根をうんと張って、幹を太くし、枝を太くする。伸びるエネルギーよりも、自分を支えるエネルギーを使わないといけない。これはヨーロッパの文明もそうだ。
- ところが日本は、ツタの文明だ。
他の木にとりついて、他の木を伝わって一番日の当るところへすっと二、三年で「失礼」とか言って、こう上に効率よく登る。
- ツタというのは、しばしば親木を枯らすことがある。自分の絡んだ木の表面に全部広がると、親木は、庇(ひさし)を貸して母屋を取られるように、ツタのおかげで絞め殺される。熱帯には、そういう木がたくさんある。
ツタは、親木の二、三メートル先まで伸びる。もう追い越した、もう学ぶものはないというのはその辺だ。
本当は、もっと伸びると、ツタは細いから、曲がってしまう。
日本がバブルで曲がって、後戻りしたのは、こういうことだ。
- そして、親木が倒れると、ツタは、自分の幹、体がしっかりしていないから、一緒に倒れる。
■日本語(和語)がつくる不適合のメカニズムを分かりませんか
鈴木孝夫は、ここでは、グローバル経済と日本の経済社会のことを指していることは、よくお分りのとおりです。
「ツタ」を日本人というメタファーだとすると、この「ツタ」は、日本人一人一人の「人間」のことであるととらえることもできます。
「親木」は、「日本語」です。
「日本語」というのは「和語」(ヤマトコトバ)のことです。「ひらがな」の言葉です。
漢字・漢語は、もともと中国語です。和製の漢字も多くありますが、日本語というときは「和語」(ヤマトコトバ)のことだと正しく理解しましょう。
この日本語は、家の外の世界(社会性の世界)と家の中の世界(非社会性の世界)とでは、「言葉の文法」が違います。こういう区別があることを知る必要があります。
この区別のことを、国語学者・大野晋は『日本語の文法を考える』(岩波新書)の中で、「外扱い」と「内扱い」といっています。
この「外扱い」と「内扱い」を明確に秩序づけているのが「敬語体系」です。
日本人の心と精神の病(やまい)の「人の目が気になる」は、この敬語体系の「外扱い」の「敬語」を正しく知らないことが原因で起こります。それはどういう「敬語」か?というと「尊敬語」と「謙譲語」のことです。
「尊敬語」はなんとか覚えていて使っている人も多いのですが「謙譲語」を正確に知って使える人は少ないのです。
この「謙譲語」を正しく知って使えないと、なぜ不都合なのでしょうか。
それは、敬語イコール「外扱い」、すなわち、「社会参加が正しく成立する筈である」ということが「成立しない」ことが本質の問題なのです。
■「尊敬語」と「謙譲語」をセットで正しく使えないことが「妄想」の根拠です
日本語の敬語の対象は、三つです。
- 人間
- その人間のもつ物、動作、行為、事物
- 話題の中の人物
この②の中に「仕事そのもの」「知識・知性」「勉強」も入ります。ここが重要なところです。
「謙譲語なんて知らない」「謙譲語なんて、恥かしくて使えない」、「謙譲語を間違えて尊敬語に使った」などというのは②の「仕事」「知識・知性」「勉強」に「近づかない」「遠ざかる」「手を加えない」という「ものの考え方」を「妄想」として恒常的に表象することになるのです。
このことを明確にして、正しい「敬語」を使えるようにするのが『谷川うさ子王国物語』パート・Ⅱのテキストです。
「人の目が気になる」という妄想の事例で、「この妄想は、自分にとっての最も重要な現実を破壊する」ことを目的にする、と説明しました。
このメカニズムは、「尊敬語」と「謙譲語」をセットで使えないという場合にも、そのままそっくり当てはまります。
「謙譲語を使えない、使わない」ということは、日本語の文法のメカニズムでは「内扱いをする」というしくみになっているのです。
日本語の敬語体系の「内扱い」とは、次のように「扱うこと」をいいます。
- 親愛…自分の好き・嫌いの感情で判断すること。また関わること。
- 愛狎(あいこう)…ナレナレしくして、見下し、イバって上から目線でものを言うこと。
- 軽蔑(けいべつ)…相手を無能扱いすること。相手の人格や人間性を踏みにじること。
- 侮蔑…相手が、社会的にも、身体的にも転落することを心から喜ぶこと。
即ち、「バッド・イメージ」と「美化の妄想」の材料扱いにされるということです。
■『谷川うさ子王国物語』パート・Ⅱのご案内
このような日本人の自己崩壊のメカニズムを救出して、望ましい一人一人の人生を回復させるのが『谷川うさ子王国物語』パート・Ⅱのテキストです。
ぜひ、一日も早く、至急学習にとりくむことをおすすめします。
とくに、心や精神の病(やまい)で困っている人は、その人のために学習用のテキストとして使うと、驚くほどの学習成果を期待できます。合わせてお役立てください。
●『谷川うさ子王国物語』パート・Ⅱのお申し込みは、こちらからどうぞ。
TEL・東京03(3496)6645 |