■相談の事例
「私は23歳の女性です。今、うつ病で通院して家にいます。仕事に就いて、すぐにうつ病になりました。二人の姉もうつ病です。
二人とも、働いてすぐにうつ病になりました。
父と母は、働きに出ています。食事は二人の姉がつくります。私は何もすることがないので、毎日、死ぬことを考えています」
(山路智美。23歳。無職。富山県高岡市)。
(注・人物は仮名です。特定の人物とは無関係です。また、特定の地域、団体、職業とも一切、関わりはありません。
相談の内容もいくつかの相談を合成し、再構成してあります)。
■相談の内容
私は、大学を卒業して、すぐに会社に就職しましたが、4月に入社して5月に辞めました。
人と何を話していいか分からないところへ、仕事を教えてくれる先輩からいろいろと話しかけられるし、仕事も全く憶えられないので辞めたのです。朝起きられなくなり、夜も眠れないので病院に行きました。
「うつ病」と診断されました。それで会社を辞めて、家にずっといます。毎日、ぼーっとして過ごしています。何もやることがありません。ポルソナーレから教わったのでそうじはしています。ポルソナーレで勉強して変わったことといえば、近所の人に自分からあいさつができるようになったことです。私は、今まで一度も、近所の人に自分からあいさつをするということはありませんでした。
私は、人と何を話していいか分からないことでずっと悩んできました。友だちもいません。みんな、休みの日になると友だちどうしで遊びに行ったりして楽しそうですが、私にはそういう経験がないのです。人と会っても、何も話すことがないのです。だから、今から学校時代の人に話しかけても、メールをやりとりしても会って話すと話すことが何もないので、やっぱり「自分には友だちはいない」と思い、淋しくてしかたがありません。
生き甲斐もなく、いつも孤独で淋しい気持ちがいっぱいなので、死にたいと思っています。これまで、何度、死のうと思ったかしれません。
やっぱりうつ病でずっと家にいる二人の姉は、「結婚すれば元気になれるよ」と言いますが、同性の女の友人もいないのに、男性なんか好きになれません。それとも、ムリに付き合えば、犬や猫のペットを飼うように親しみの気持ちが涌いてくるものなのでしょうか。私には、どうもそうは思えません。父と母を見ていると年をとるほどにお互いの親しみの気持ちがなくなっているように見えるからです。
今はもう、何もおもしろくありません。勉強もしてこなかったし、友だちもつくってこなかったので、まわりの人を目にすると辛いです。家の前を通る学生とか、仕事に通っている人を目にすると胸が苦しくなります。このままでは、頭がおかしくなりそうです。
●ポルソナーレの指示性のカウンセリングとは、こういうものです
事例の女性は、「うつ病になった」からと病院に通い、薬を服用して「自宅」にいます。これは、「行動停止」の状態といいます。仕事をするとは、何のことでしょうか。一人の力で生きていくにあたり、自立するとか、独立するとか、自分で自分の心身の安定や安心を手に入れる、ということです。仕事の言葉とは、「生きていくために価値のある言葉」です。
この女性は、この仕事の言葉を「憶えない」「憶えられない」「憶えることを拒否する」ということで「うつ病」になっています。「仕事の言葉」とは、本人にとってそれがどんなに苦痛でも、なじみがなくて、嫌な気分にさせるものであっても「自分を自立させる」とか、「自分に生きていく安心をもたらす」という「利益」や「楽しさ」という有用性をもたらします。このように「嫌々でも働く」「しかたがなくて働く」という時の仕事の言葉を「記号としての言葉」といいます。
「記号としての言葉」は、ただ形式としてだけの「行動」しか起こさないので、「半分行動停止の状態」をつくります。「半分行動停止」とは、「そのことの意味は何?」と問われた時に、「分かりません」と言うか「バカにしたり、つまらないと拒否的な主旨のことを話す」ということです。ここでは、「行動」の反対の「負の行動のイメージ」が「右脳」に喚起されます。「不快」「自分だけが損をしている」というイメージが「負の行動のイメージ」です。
こういう「行動停止」になった人が「二人の姉」が言うように「結婚すると元気になれる」のでしょうか。
「行動停止」とは、「左脳」の言葉が消える、ということです。
これは、「左脳」に血流が流れなくなる、ということを意味します。
「ラクナ梗塞」といって小さい穴が空くような脳梗塞が発生するのです。これは「痴呆」というものです。「行動停止」は「ラクナ梗塞」をつくり出して、「まだら痴呆」をつくり出す、ということを理解しましょう。 |