■「全般性不安障害」の相談の事例
「私は、高3の女の子です。もともとは、性格のいい女の子でした。
明るくて、学校の先生からもどこにも欠点はない、と高く評価されていました。でも、性格の悪い人からくっつかれたら、私もみんなから嫌われて、今では、視線恐怖と、対人緊張症になってしまったのです」
(中谷英里香。17歳。高校生。兵庫県津名郡)
(注・人物は仮名です。特定の人物とは無関係です。また、特定の地域、職業、団体とも無関係です。相談の内容もいくつかの内容を合成してあります)。
■相談の内容
私は、高3の女の子です。自分でいうのもなんですが、私は、中学の時は性格も明るいし、誰からも好かれていました。学校の先生からも欠点などどこを探してもひとつも見つからない、と言われていました。一人とか二人の先生なら評価の目がかたよっている、ということがあるかもしれません。中1から中3まで、どの学年でも、どの教科の先生からも、どこも悪いところなど何一つとして無いと言われつづけてきたのです。
また、それが私の誇りでもありました。
高1の時、グループの女の子らと一緒にお昼の弁当を食べていた時、一人の女の子が側に来てお弁当を食べ始めました。次の日も、そして次の日も側に来て、食べます。
なんだか性格も変わっているし、しゃべりません。しゃべっても妙に高い声で、ひとり言のように話します。 一人でおもしろがって、自分の思いこんでいるイメージのところで私の顔を見て笑いかけてきます。
しかし、その目は、私を見ているふうではなく、何か、全然別のものを見ている感じなのです。
なんというか、妄想の相手としゃべっている感じです。この子、家でキレて暴れたり、暴言吐いている時もこんな感じなんだろうなあって、バリヤー越しに話を聞いている雰囲気なのです。
私は、この女の子が、中学の時からどんなにクラスの人から嫌われているか知りませんでした。
どんなに嫌われているかというと、男女ともにひどく嫌っていたということでした。
なぜ、そんな女の子が突然、私のところへ来るようになったのかは分かりません。朝、登校の時にたまたま道路で同じ道を歩いていた時に少し話をしたことがきっかけだったような気がします。
その子は、昼のお弁当の時だけではなく、休み時間とか、いろんな時に私にしつこいほどつきまとってくるようになりました。
私は、それでもべつに何とも思わなかったのです。
ある日、私は、別の友人から「あんた、あの子と付き合っているって聞くけど、あの子すっごく嫌われているの知っとるのー、あの子、すっごく嫌われとるんよー」と言われました。気づいた時は、もう後の祭りでした。 この日から私に、今まで気づかなかった多くの力がどっとのしかかってきたのです。私も、その嫌われる女の子と付き合っていることになっていて、変な目で見られるようになっていました。
この時から、私はすごくおかしくなってきました。今までの私の友人は、私を変な目で見るようになりました。
人が、私を変な目で見るというのがどんどんエスカレートしていったのです。学校の男、女、先生、新しい友人を問わず、道ゆく人々も私を変な目で見るようになりました。バスに乗っている時も授業中も、変な目で見られるようになったのです。
だから、私は、態度がおかしくなりました。息をするのも苦しく、授業もまともに集中して聞けません。人が自分を見ている、と思うと、体がとても緊張して、肩も首も腰も痛くなってくるのです。歩き方も体が重くて、90歳の老人のように重い足取りになりました。
人が何かを話していると、私の悪口を言っているようにハッキリと聞こえてくるのです。私の性格は、暗くなりました。いつも付きまとってくるその子と同じようにビクビクしたおびえている態度になってしまったのです。
まわりの人の態度も変わりました。「おはよう」と一言も言えなくなり、言ったとしても、ひどくひきつって、誰にたいしても嫌そうな態度をとってしまいます。だから、友人も、変な態度と視線で返事を返すか、返事もしなくなりました。授業中は、もう何も頭に入らなくなったのです。
だんだん友だちも減ってしまい、だから私も、誰とも何も話したくない態度になります。すると対人恐怖症にもなってこれも悩みの種です。
今、学校に行っても、誰も私のことをかまうとか、名前を呼んでくる、ということはなくなりました。人が、私のところへは誰も寄り付きません。まるで、見捨てられて一人で人生の墓場に立たされているような気持ちです。私は、これからどうやって生きていけばいいのでしょうか。
●ポルソナーレの「指示性のカウンセリング」とは、こういうものです
「全般性不安障害」とは、「過度の不安」をいつでも、どこでも、どういう状況でもイメージしつづけていることがよくお分りになられたでしょう。この「過度の不安」は、次に「具体的な不安の体験」を想起していることも、見て取れるでしょう。この「不安の体験」の想起をさして「予期不安」といいます。アメリカのDSM‐Ⅳは、「予期不安」の想起が、「授業を聴けず、集中できない」「あいさつをする時にも嫌そうな表情を向けて、相手を不快な思いにさせる」ことで、自分の現実の関係を壊す、と診断しています。
事例をとおしてごらんいただいて、お分りのとおり、自分の頭の中に思い浮ぶ不安のイメージを理由にして、現実の正当なルールやきまりごと、現実の中で果すべき義務や責任といったことを放置したり、投げ出して危機を発生させる、という「態度」や「行動」の現象が「全般性不安障害」という病理の実相です。
この病気は、「脳の働き方」のソフトウェアとしてのメカニズムからしか原因も問題の所在も分かりません。現実から孤立しているところは「うつ病」ですし、「人の目など、特定のものへの恐怖感」は、分裂病のようにも見えます。しかし、これらの病状の個別性の現象は、あくまでも病理の「行動」がつくり出した行動の局面の部分的な症状です。なぜかといえば、「うつ病」と「分裂病」が同時に同じ病理として出現することはありえないからです。病理の診断学が、そのように説明するからです。
この「全般性不安障害」は、日本人の誰にも共通しています。
「行動停止」になると「トカゲの脳」が快感のドーパミンを分泌します。自らの脳の働きがこの快感を打ち消すことで新たにつくるバッド・イメージによる破壊を実現する病理なのです。 |