■相談の事例
「私は、人が幸せそうにしているとなぜか悔しくなり、アラ探しをします。自分だけがトリ残されたような気分になるからです」
(長野洋子・高2。女子。千葉県千葉市)
(注・人物は仮名です。特定の人物とは無関係です。特定の地域、団体、職業とも無関係です。相談の内容もいくつかの内容を合成して再構成してあります)。
■相談の内容
私は、祖父、祖母のいる三世代同居の家庭で育ちました。小さい頃から甘やかされていました。他の子と遊ぶよりも一人で本を読んでいることが好きでした。保育園に行っても誰も遊び相手はいませんでした。人の中に入っていくことができなかったことをよく憶えています。
小学校では2年、3年、4年といじめられっ子でした。今考えると自分が考えていたほどひどくいじめられたということではなかった気がします。
5年、6年になるととくにいじめられたという記憶はなく、反対に、私を嫌っていた子を仲間外れにしていたことを憶えています。
中学になった頃は、私は明るくなって普通の女の子になりました。
でもこの頃から、私は「人の幸せを妬んでしまう」ようになりました。友だちが私よりラッキーだったり、楽しそうなことをするといじわるな気持ちになるのです。
「こんどAちゃんとBちゃんのおうちにいくんだ」とか「明日、私、コンサートに行くんだ」などと友だちが言うのを聞くと、私は?私のことは誘わないの?なんて思います。笑顔が固くなるのが自分でもよく分かります。
置いて行かれそうで、見離されているような気分になります。
友だちが私から去って行って、誰もいなくなってしまったような気分になります。それでも、一応、「へえ、いいね、良かったね」とは口では言うのですが、暗くなっていく自分の気持ちを感じて自分が情けなくなります。
小学校の頃からずっと付き合いのつづいている女の子がいるのですが、その子が楽しそうにしているといじわるな気持ちになってその子のアラ探しとか、私のいないところで楽しそうにしていることを想像して、その子の話にケチをつけたりします。
他の友人の前でも、私は自分を何とかエラく見せようとしてイバリたがるのです。友だちが私をホメたり、注目してくれるとホッと安心して喜んでしまうのです。
私は、人の顔や名前を憶えることがうまくできません。友だちは、人の顔とかをちらっと見ただけで憶えてしまうのに私にはそれができません。何回顔を見たり話しても憶えられません。また、人から物を借りたのに、返す、ということができません。貸してくれた人から、なんべんも「返してよ」ときつく言われるとやっと返せるのです。
母に言うと「他の人に興味とか関心がないからじゃないの?」ということです。本当でしょうか。
「物を借りて、返す」ということも自分より相手に関心がないためなのでしょうか。私にはそんなつもりはなくても、人が困っていても何とも思わない冷たい心の持ち主なのでしょうか。
無意識に、社会生活を送れない変な欠陥が身についてしまっているのでしょうか。
●ポルソナーレの「指示性のカウンセリング」とはこういうものです
人間の脳の働き方は、パソコンにたとえると「ハードウェア」と「ソフトウェア」の二つのシステムで成り立っていることはよくお分りでしょう。ハードウェアとは、大脳生理学の説明する生物としての人間の脳のことです。
これは、解剖学や脳の疾患、脳の事故による損傷の面からの研究によるリポートです。
脳は、大脳(左脳と右脳)、大脳辺縁系、脳幹の三つの層で成り立っているというのが結論です。
一方、ポルソナーレが平成19年に明らかにした脳の働き方は、パソコンでいうと「ソフトウェア」に相当するメカニズムです。
みなさんは、脳が一体、どのようにして「言葉」をつくり出したり、仕事や勉強、そして生活のいろいろなことの「行動」をつくり出すのか?について疑問に思ったことはありませんか。人間が言葉をしゃべり、何かについて「行動すること」はあまりにも当り前すぎて、疑問に思うこともなかったかもしれません。
相談の事例を見ると、高2の女の子が、すでに、成人した「大人」と同じように「不安」や「緊張」を抱えていることが分かります。この女の子は、「人の顔と名前がなかなか憶えられない」と母親にも訴えています。しかし、母親は、「憶えられない」という不安を深刻には受け止めていません。
みなさんが、同じような訴えを聞いたとしたらどう思うと想像するでしょうか。やはり、それは、そうたいして心配するようなことではないとお感じになられるでしょう。
それは、「自分は人の名前と顔は憶えられている」ので、憶えられないということによる不安がよく分からないからです。ところが、「憶えられない」ということが脳には起こるのです。憶えられないことは、行動できません。圧倒的な日本人の多くが、この「憶えられない」「憶えていない」という脳の働き方をおこなっています。
憶えていないことは「行動」もできないので、「明日、何をすればいいのか?」「今日、何をすればいいのか?」と不安になるでしょう。そして、どうするでしょうか?憶えていることだけの行動しかしません。しかし、「憶えられないこと」がたくさんあるので、事例の女の子のように、親しい友人関係の中でも「不安」が発生します。そして、本来、あるべき「行動」ができなくなっています。事例は、このように読むべきなのです。これが「全般性不安障害」というものの病理の実体なのです。 |