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全日本カウンセラー協会・ポルソナーレのマスターカウンセリング
読むだけで幸せになる手紙
認知症(痴呆症)も鬱病も、分裂病も、
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認知症(痴呆症)とは、「忘れることだ」といわれている。脳梗塞やアルツハイマー病、レビー小体病、脳変性症などが認知症(痴呆症)をつくる原因といわれている。 「自分の体験を忘れる」と決定的に認知症(痴呆症)だと診断される。 「2025年問題」というものがあると宣伝されている。「団塊の世代」が後期高齢者となり、「認知症」(痴呆症)の人が、160万人とか170万人とか大量に発生すると推測されている問題だ。誰もがお金を支払うから巨額の市場が予測されている。 上野千鶴子は「嬉しい」と言っている(『ケアのカリスマたち』亜紀書房)。 「認知症(痴呆症)は治らない」と誰もが考えている。「お金を払えばおひとりさまでも安心して死ねる」。 だから「嬉しい」のだ。 だが、本当に治らないのか。 NHK・TVの『プロフェッショナル仕事の流儀』で脳梗塞後のリハビリをおこなう元脳外科医が取材されて、放映されていた。話しかけて、独力でリハビリをおこない、日常生活も、ごくふつうの会話の能力も回復していた。 このTV・『プロフェッショナル仕事の流儀』を見ると、「認知症」(痴呆症)も鬱病も精神分裂病(統合失調症)も、「聴覚」の働きで回復するということだ。 人間の心・精神の病気は、すべて「聴覚の働き」の異常のことだ。 「認知症(痴呆症)」とは「食事をしたことを忘れる」とか「身近な家族の名前を忘れる」ことだ、体験そのものを忘れることだ、と宣伝されている。 この診断マニュアルは間違いではない。風邪をひいたら熱が出ます、発熱は風邪の診断の目安になる、ということと同じだ。 決定的な誤りではない。 しかし、決定的に正しいわけでもない。 認知症(痴呆症)の人の発言の「わたしは食事をしていない、まだご飯を食べていない」というのは、「食事という長期記憶の対象を目で見る、目で見て憶える」ことと「ご飯を食べる」という言葉(聴覚の働き)が結びついていないということだ。 「食卓につく」(イスに座る)、「箸を手に取る」「いただきますとあいさつをする」「おかず、ご飯、おつゆ、つけもの、ノリ、つくだ煮を見る、どれかひとくち食べてみて、おいしいですねと言う」…これらが「食事」という目で見る視覚の対象だ。 食べる順序、あいさつ、言葉がけ、が「右脳・実像」の「視覚のY経路」の対象である。よく見れば分かるが、これらの「食事」は、ひとつひとつが「行動の秩序」で成り立っている。「みんなが同じように行なう」が行動の秩序だ。これを「倫理」という。この「食事」の一つ一つの行動を「目で見る」、もしくは「イメージする」、そして「言葉」で「言いあらわせる」(聴覚の働き)ときが心・精神の「正常」なのだ。 認知症(痴呆症)は、なんらかの理由で、この「食事」の行動の対象を「見ない」ときに起こる。すると、「聴覚」だけが勝手に、ひとりでに働くのだ。この「聴覚」だけが勝手に、好きなように働くというのが認知症(痴呆症)なのである。 「わたしは、まだご飯を食べていない」「わたしの家の人間は、わたしに、もう三日も食事を与えない」などの発言は、視床下部の中の中枢神経の「行動の秩序」(倫理)が働いていないときの人間関係の欲求も感情もなくなった言葉である。 認知症(痴呆症)は、このように、「聴覚」が「視覚」(Y経路・ゲシュタルト原理)とのむすびつきを喪って働くことをいう。 すると、認知症(痴呆症)の予防と改善の仕方は、「目で見ているものについてだけ話す」、「人の話の中の物の名前、名称、行動のきまりごとについてだけ発言する」というものだ。 「ひとり言」のような話し方はしない。「ひとりでおもしろがって大笑いするといったことはおこなわない」。 こういう勝手に動き出す「聴覚」の働かせ方を、ふだんの人間関係、日常生活の中で気をつけて抑制することである。 |
谷川うさ子さん |
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