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全日本カウンセラー協会・ポルソナーレのマスターカウンセリング
読むだけで幸せになる手紙
わたしはメモ人間・しつこく尋ねる念押し人間しつこく、同じことを尋ねる人がいる。 |
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《相談の手紙》 わたしは、高校、大学の頃、「メモ人間」といわれるくらい何でもメモに書いたり、ノートに書き取ることをやってきました。 メモに取らないとすぐに忘れる、忘れてはいけないと思ってメモをとり、ノートに書いてきました。 会社に入り、勤め人になった頃、恋人ができました。わたしよりいくつか年上の男性です。交際の中の会話をメモに取るのもおかしなことなので、憶えていられることはできるだけ憶えようとしました。 するとわたしは「念押し人間」になったのです。交際中の男性がどこどこに行こうと言います。もしその店が閉まっていたらどうするの?とか尋ねるのです。 交際中の男性が「出張に行く」と言います。 誰と?一緒に行く人は女性?男性?と尋ねるのです。くどくどと尋ねて相手の説明を聞くと心配の気持ちは消えて、お気をつけて行ってらっしゃいませ、と言います。 会社は小売業です。 毎日、ミーティングと称した伝達や業務指示があります。メモを取ったり、ノートに書くと嫌がられるので、聞くことに集中します。聞いていても聞いていないのでは?とか、指示されたことはおこなっているはずなのに、やっていないのでは?と心配になり、これはこういうことですよね、それは、こういうことですか?これは、こういうやり方でいいんですよね?と「念押し」をします。 交際中の男性は、「そんなに信じられないのか!!」と怒りました。 会社の上司は、疑いの色メガネで見たり聞いたりするのを止めろと叱りました。 わたしの、じぶんのものごとを気にしすぎ、心配しすぎて「念を押す」ということは、何かを失敗して困ったことがあったからつくられたわけではありません。失敗したこと、困ったことは何もありません。先日も、自分の部屋のガス・ストーヴの火を消し忘れたのでは?と非常に気になったことがありました。心配になり、上司の許可をもらって自宅に戻りました。確かめるとガス・ストーブの火はちゃんと消していました。 (山中桃江(仮名)、34歳、女性、小売チェーン会社勤務) |
谷川うさ子さん |
《ポルソナーレのカウンセリング》 山中桃江さん(仮名)は、学校の授業も、仕事の中の説明も、せっせ、せっせとノートに聞き書きをする女性です。 また、人の説明も、人の話すことも、せっせとメモを執る人です。 このノートに聞き書きをすることとメモに執ることを止めて、聞いて憶えることをおこなうようにしたらこんどは、「念押し人間」になったと言っています。 たしかに聞いて憶えているとは確信しているが、まちがいないだろうか?と心配になる、そこで「こうですよね」「こうでまちがいないですか?」と尋ねる、しつこく相手に同じことをなんべんも言わせる、と言っています。 「こういうことですか?」「これでまちがいないですか?」と念押しして尋ねる人がいないときは、「だいじょうぶだろうか?」とじぶんの目で確かめるために行動しています。 自宅のガス・ストーヴの火を消火したかどうか?が心配になり、会社の仕事を中断して確かめるために自宅に戻っています。 この山中桃江さんの「念押し」でなんどもしつこく尋ねる、確かめて心配な気持ちがなくなるまで聞く、というのは、日本人の認知症(痴呆症)の周辺症状のひとつです。 相手になんどもなんども同じことをくりかえして尋ねる、話す、というのは「認知症」(痴呆症)の周辺症状の中の嫉妬妄想とか物盗られ妄想と同じカテゴリーの被害妄想の一種です。 認知症(痴呆症)とは、高齢者になってから発症するものだ、と思われています。しかし、日本人は若い頃から認知症になります。認知症(痴呆症)の症状は「中核症状」と「周辺症状」のふたつがあります。中核症状は「体験を忘れる」という症状のことだといわれています。日本人の多くは認知症の周辺症状をあらわすのです。相談者の山中桃江さんは周辺症状をあらわしています。 ポルソナーレの脳の働き方について長年にわたる研究と考察にもとづくと、多くの日本人には、「体験を忘れる」ということは起こりえません。 「体験」ということの正しい意味は、誰もが同じように見たり、聞いたり、皮膚の感覚に知覚することを、自分も同じように身体の五感覚に知覚することをいいます。分かりやすい例は、字の筆順を憶える、話し方のマナーや礼儀を憶える、正しい文の書き方や人の話の聞き方の決まりごとを憶える、といったことが「体験の学習」です。 体験の学習は、「目で見る」「耳で聞く」という関わり方が可能にします。 「関係つけ」といいます。「目で見る」「耳で聞く」という働きは、自律神経の交感神経の働きが成り立たせます。目の働きの交感神経は、「遠くを見る」という機能をもっています。 「遠くを見る」ことにはゲシュタルト原理という認知の能力が生じます。ゲシュタルト原理とは、「ルール」「きまり」「やくそくごと」のことです。ゲシュタルト原理がつくる「ルール」「きまり」「やくそく」とは、学校で教わったり、仕事の中で学んだりするルール、きまり、やくそくのことではありません。「行動の秩序」のことです。 乳・幼児は正しく行動します。乳・幼児が見聞きして身につける「行動の秩序」は「遠くを見る」がつくります。 こういう「行動の能力」を「倫理」といいます。「道徳」ともいいます。 共生とか共同体の誰もが分かっておこなう「規範」のことです。 したがって「体験」を「学習する」とは、「目」「耳」の自律神経の交感神経が働かなければならないのです。 この「行動の秩序」を学習して身につけた人が、「論理」とか「理論」とかが正しく分かって、他者に正しく説明する知性の学習に取り組めるのです。 相談者の山中桃江さんは「メモをとりつづける」「ノートに聞き書きをする」人です。 ここでは、「目の自律神経の交感神経」は全く働かないのです。したがってゲシュタルト原理がつくる「ものごとの正しい秩序」は分かりません。 例をあげると、字を書くときの筆順も分からず、正しい文の書き方、会話のルールなども分かりません。 「ノートだけを見る」「メモの紙だけを見る」「パソコンの画面だけを見る」と、「目の働き」は副交感神経だけが働きます。 会話のときに「相手の顔を見ない、目を見ない」というときに「目」は「副交感神経」が優位に働きます。ソッポを向く、あらぬ方向を見ながら話す、という場合です。 目の視覚が「副交感神経優位」になるとは、交感神経がつくるゲシュタルト形態原理が働かない(プレグナンツという法則の認知の能力が働かない)ということです。これは、「言語」や「言葉」のもつ法則(秩序)を認知しない(分からない)ということです。 すると、「聞き書きをする」「いつでもどこでも、どんなことでもメモを執る」というのは「目の働きは副交感神経だけが働いている」のです。 これは、非言語のための眼の働き方です。 すると、目も耳も「右脳」にシフトするのです。 「右脳」は非言語野(感覚野)です。目は「右脳・頭頂葉」から「右脳・実像」の「非言語」のメカニズムの「感覚の知覚」のみを働かせます。 耳は「右脳・聴覚野」の自然音(風の音とか鳥の鳴き声、虫の音など)を聴くためにだけ働きます。人間の話す言葉は「言葉の秩序」(言葉の意味、話されていることの主旨、文脈など)を全く聞いていなくて、「ヒューヒュー、チンチロリン、ザーザー、ゴーゴー」としか聞こえません。 「しかし、わたしはちゃんと人間の話す言葉のとおりに聞いていますよ」とお思いになる人はおおいでしょう。 これは、日本人の場合は、「左脳・ブローカー言語野・副交感神経支配領域・X経路支配のゾーン・主観の言語領域」で日本語の「已然」と「未然」の言葉を憶えていることに理由があります。 これは、簡単にいうと「欲を言い表す言葉」(感情などの感覚を現わす言葉)です。 「感覚語」と定義されるものです。この「感覚語」(日本語)は、「右脳・聴覚野」「右脳・頭頂葉」に結びつきます。 「目で見る」というときは「右脳・実像」の「感覚の知覚の働き」だけに結びついています。 「感覚の知覚」は、「行動だけを成り立たせる」のです。 すると、「自分の行動」に関わりのある「言葉」だけは覚えられるので、「自分の感覚」が分かる「言葉」だけを聞くのです。 わかりやすい事例をあげます。 どんな知的な文章でもいいのですが、日本人は、まず、スラスラと読むことをおこないます。とにかく読めればいい、わかりにくい言葉があっても「読めればいい」と考えます。スラスラと読めれば「分かった」「内容を理解した」と思います。これが「自分の感覚だけが分かる言葉」を「聞く」(読む)という関わり方です。 「聞き書き」は、「自分の感覚」が憶えている「言葉」だけを耳で聞いて書くということです。 「言葉の意味」「意味にもとづく脈絡」(説明されている主旨)は「感覚によっては分からない」ので「聞かない」「書かない」(書けない)のです。 「認知症」(痴呆症)とは、「体験を忘れる」ことだといわれています。 日本人は「体験」に相当する「ものごとのルール、きまり、法則」を学習しないので、「忘れる」ということは起こりません。 「体験を学習しない」ことによって、相談者の山中桃江さんのように、「自分の行動秩序」に関することをしつこく尋ねる(念押しする)という常同症(仮性作業、無意味な行動)という認知症(痴呆症)の周辺症状をあらわします。 ガス・ストーヴの火を消したか?どうか?と心配になり、確かめずにはいられない(強迫神経症)は、「相手の顔、目を全く見ないで話す、聞く」ということがつくり出す、「行動秩序」を不問にした「行動のみの成立のさせ方」という行動障害です。 「理由は分からない」「目的も分からない」「必要性も分からない」、しかし「行動している」というのが強迫神経症といわれている行動障害です。このような行動は、行動が止まると他のことの行動はできないので認知症の中核症状をあらわすのです。 | 谷川うさ子さん |
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