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《 谷川うさ子さんのお役立ちカウンセリング 》
今の日本人と、世界の経済社会の中の病理について |
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みなさま、こんにちは。ポルソナーレの「谷川うさ子さん」です。 ●堤未果さんの『(株)貧困大国アメリカ』(岩波新書)を読むと、アメリカではレーガン、ブッシュ、クリントン、オバマと歴代の政権が、法律をつくったり、変えたりして、金融資本のための市場をつくっています。これは、どこの国が悪だとか、誰がひどいことをしている、といった次元の問題ではない、というのがポルソナーレの見解です。 コングロマリット(conglomerate)という言葉をお聞きになったことがおありでしょう。 多国籍企業といいます。このコングロマリットはいろんな国の資本主体が構成しています。 「2008・秋・リーマンショック」までは、まだ「物」をつくって市場から投下資本を回収するということをおこなっていましたが、市場が蒸発してこれができなくなりました。そこでおこなわれているのが、コングロマリットによる「新・金融資本の活動」です。「物をつくって売る」ということが全くなくなっているわけではありませんが、しかし、巨大な金余りがつくる金融資本はより多くの国家財政の負の債務をカバーするために、よりラディカルな資本活動をおこなっています。それがアメリカに見るいくつもの「事業モデル」です。国でいうと、アメリカ、インド、韓国、イラク、アルゼンチン、カナダ、メキシコ、ハイチなどのケースです。 ここで重要なのは、これらの経営戦略は、コングロマリットが一方的におこなえるものではなく、それを受け容れる思考の仕方(ものの考え方)を前提にしているということです。その好例が「マッキンゼーの経営コンサル」による「帰納法と確率論理」です。すると、「2008・秋・リーマンショック」までのアメリカの「プラグマティズム」が後退して、イギリスの「経験論」の哲学「帰納と確率論理」が今の全世界の金融資本の戦略を主導していることになるのです。 ひとくちにいうと「帰納」も「確率論」も「主観」です。「誰もが主観」で考えて「誰もが生存の危機にぶつかっている」というのが、日本もふくむグローバル経済の現在と動向です。 今、日本の社会と企業は、何をしているのか?堤未果の『㈱貧困大国アメリカ』(岩波新書)を読んで、何人かの人の「会社での変化」の話を聞くと、よく言われている「ブラック企業」のような社員どうしの発言や上司の発言を聞きます。全ての企業に当ったわけではないので、日本の会社の全てがそうだとはいえませんが、共通しているのは、今野晴貴が書いている「ブラック企業」のようなことは、どこでもおこなわれているということです。 これは、企業の批判とか上司の批判ではありません。 「2008・秋・リーマンショック」の以降、資本の活動の仕方が変わったということについての説明です。むずかしくいうと「パラダイムシフト」(思考の枠組み)といいます。 堤未果のアメリカの経済社会のルポを読むと、「物をつくって売り、ここに投下した資本を回収する」という市場づくりが断念されていることが分かります。 そのかわりに何がおこなわれているのか?というと「金融資本」を証券化する、という手法です。証券化というのはメタファーであり、そのものずばりの表現です。 資本は、永続的に年次ごとに収益の上昇カーヴをたどるという活動の仕方をするので、そのための「システム」をつくろうとします。そのシステムづくりの方法になっているのが、「帰納法と確率論」です。 ここでは、収益率だけが最大にしてゆいいつのテーマになるので、「効率」とか「コスト削減」だけが資本にとっての最大の関心事になります。 ここで、一般の会社では、「ブラック企業」といわれるような働かせ方が起こります。 「帰納法」は、「主観」です。多くの人には、ここでいう資本投下での「主観」と「客観」の区別には興味がないかもしれませんが、金融資本にとっては非常に大きな問題になります。 「斉一性の原理」といって、「ものごとは、今までどおりに進んでいく。よほどのことがないかぎり、未来も、過去のとおりに進む」という法則です。 すると、資本の投下にあたっては、「斉一性の原理」は成り立たないので、そこで、アメリカの政治にみるように「過去のとおりの事実」を実現するために「規制緩和」などという名目をつくって、「法律」を変える、「新しい法律」をつくるなどして「資本の回収、すなわちより多くの回収と、数十年にわたっての回収」を事実化しています。 日本の企業は、まだアメリカなみのあからさまな法律改正や新しい法律の作成はやっていません。そこで、既成の法律に抵触するギリギリのところで、「帰納法と確率論」を実践しています。そのわかりやすい例が「ブラック企業」です。しかし、今、この「ブラック企業」という名称も特殊でもなんでもない、ということを理解しましょう。 心や精神の病にアプローチするというカウンセリングの見地に立つと、日本人は、日本語の文法が已然と未然の「主観」であるので、このような現実について説明しても「理解不能」の判断が先に立って、「分かる」ということを諦めるということです。そして個人の感情や不満を抱えて、「炭酸飲料」を飲んでハイパーリラックス状態に陥り、無気力を増進させる、という「逃避のパターン」をくりかえしている、ということです。 しかし、現代の金融資本はさながら「ハイエナの習性」に近くなっているということを考慮に入れましょう。 日本人は、多国籍企業(コングロマリット・conglomerate)のつくる帰納法(および確率論)に呑み込まれて行動停止(労働停止)をおこしています!多国籍企業(複合企業)は、とくにどこの国の企業、どこの企業ということではありません。「新・金融資本」(2008・秋・リーマンショック以前の資本と区別した言い方です。資本投下の仕方が、「競争のための効率化」と「コスト削減の競争によって市場を独占する仕方」が、尖鋭化しているのが特徴です。今までは、「物」をつくり、「物」を売って資本を回収するという資本活動の手法でしたが、これが一変しました。「物」には、どんな商品でも、「役に立つ」「有用である」という信用と信頼がくっついています。これを「物の有用性」といいます。アメリカの哲学プラグマティズムは「役に立つものは価値だ」という判断の仕方をもっていました。 しかし「金融商品」がそうであるように、「金融資本の資本活動」には、「物の有用性」は重要ではありません。すばやくお金に換えて、スピードで回収されるということがもっとも重要なことです。「2008・秋・リーマンショック」の前と後では、「資本活動」にこういう大きな違いがあるということを理解していただく必要があります。 資本の動きとか活動の性質なんかには興味はない、とお思いの人も多いでしょう。しかし、そういう無関心が「新金融資本」の格好の市場なのです。何も判断せず、何も選択せずに行動するからです。家でゴロゴロしていたり、炭酸飲料を飲んでハイパーリラックス状態になって「副交感神経優位」になってくれれば、その人たちを通して税金が動き、ぐると回って企業の収益(日本の多国籍企業の収益のことです)に集まるシステムになっているからです。 問題は、日本人の使う日本語の文法は「已然」(いぜん)と未然(みぜん)の「主観」なので、「新金融資本の経営戦略の手法」の「帰納と確率理論」がよく理解できないというところにあります。 帰納と確率理論では「95%の確率」という言い方をします。「アルゴリズムがどうだから」というのが理由です。これは正しいことを言っていると日本人のほとんどは信じるでしょう。仮に結果がどうであれ、それは作為的につくられた結果か、まるきりの虚偽かのどちらかです。確率とは、常に「半々の可能性」のことをいうからです。なぜこのような確率を手法として使うのかというと、「斉一性の原理」というものを踏まえて、「つづいていくと仮定する事実」を作っているからです。契約、法律、協定などによって事実化しています。 日本人の「主観」はこういうことがよく分からないので「分からないことには近づかない」という病理をつくっています。つまり行動を止めているのです。この行動には「働くこと」(労働)も「生活すること」も「生存すること」も含まれています。 ■脳の働き方をみると、「客観の言語野」と「主観の言語野」の二つがあります。脳は、同じ脳細胞をつかって「客観のこと」と「主観のこと」を考えたり、話したりしているのではないということを理解しましょう。 はっきりしていることは、「主観」は「客観」に勝てないのです。 どんなことをしても(虚偽を言おうが、法律をつくろうが、です)、主観は、やがて自らを滅します。それが哲学上の真理です。 みなさまは、自分の脳の言語野の「客観のゾーン」を働かせることをおすすめします。 |
谷川うさ子さん |
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