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全日本カウンセラー協会・ポルソナーレのマスターカウンセリング
読むだけで幸せになる手紙 |
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わたしは、自宅から大学に通っています。2年めです。 大学では英語を勉強しています。英語は好きなので毎日、よく勉強しています。勉強はちっとも苦になりません。 辛い思いをしているのは、人間関係です。 大学には、仲のいい女の子の友人がいます。3人です。 入学してすぐに3人も友人ができて幸せそうですね、とお思いかもしれません。友だちがいないと悩んでいる人がいるという話も聞くので、恵まれているとおもいます。 わたしは、友人と二人で会って、二人だけで話をするときは気分が落ちついています。3人、もしくは4人で話すと、胸の中が波立ちます。なぜか、ざわざわしはじめます。 意識しはじめて赤面してきます。 3人になると、わたしを除いてその2人が話します。それは、話のなりゆきというもので、自然なことです。わたしをのけものにしようとか、ハブケにしようということは全くないということは、よく分かっています。 わたしは、相手の人たちが女性なのに、3人以上で話すと、ちょっとしたことで顔が赤くなります。 わたしは、女性の友人と一対一で話すときはごくふつうに話せます。でも、わたしの話を聞く人が、2人以上いると、すごく話している自分を意識してしまいます。たちまち顔が赤くなります。こうなると自分でも何を話しているのか分からなくなります。 話す言葉は頭の中に思い浮ぶのですが、自分が話しているという感覚がなくなります。だから、下を向いたり、相手の人から顔をそむけてあらぬ方向を向いてしまいます。相手の人は、わたしがソッポを向くので、拒絶しているかのように受けとり、たちまち緊迫ムードがたちこめます。会話どころではなくなります。 わたしは、こんな自分が情けなくて、とても腹立たしいのです。 わたしは、親しい友人と一対一で話すときは、よく話します。 だから、メールも好きです。自分の思うままになんでも言えます。 家の中では、すごく短気でわがままです。自分でも、自分勝手だなあと思います。 入浴したくないと思えば入浴しません。 母親が「お風呂がわいているよ。ちょうどいい湯加減だから入りなさい」と言います。 今、入浴しようと思ってはいなかったわたしは、母親のこの呼びかけの言葉がムカッとします。 「聞こえたかな?お風呂に入りなさい」とつづけて言われると、すごく腹が立ってくるのです。 「いま、忙しいんだよ、入りたくないよー」と怒鳴ってしまいます。 忙しいといっても、パソコンでゲームをしているだけなのに、です。 わたしの母親は、お汁粉をつくるのが上手です。小豆の餡(あん)から自分でつくります。餡(あん)を水でのばして、白玉を入れます。 ほんのり甘くて、サラサラの小豆の餡(あん)の口あたりがよくて、学校から疲れて帰ってきていただくとほのぼのと幸せな気持ちになります。 こういうおいしいお汁粉をつくってくれる母親には、いつもベッタリで甘えていました。そういうときのわたしは気分もいいのでにこにこしています。 大学に行くようになると、母親のつくる汁粉がうとましく思えるようになったのです。 本当は、お汁粉を食べたいのに、話しかけられるとブスッとしてつっけんどんな態度をとります。 「おいしいよ、お腹がすいたでしょ、いっしょに食べよう」と言われると苦痛を感じます。 後で、ああ、悪いことをしたなあと後悔します。わたしは、自分でも精神が不安定なのがよく分かります。 いつでも変わらずに優しくて、心温まる笑顔で話せる人間になりたいとおもいます。 学校に行くには電車に乗って通学します。いつも決まった駅で降ります。通学も慣れてくると、同じ顔ぶれの人を見るのに気がつきます。男の人もたくさんいます。わたしは、自分と同じくらいの年の男の人を見るとすごく意識します。男の人とちらっと目が合うと顔が赤くなるのです。自分でも、なんでこんなに顔がカッカとほてってきてみるみるトマトのようにまっ赤になるのか不思議です。そしてとても自分が哀れに、悲しく思えます。 |
谷川うさ子さん |
ポルソナーレからのアドバイス 西向夕子さん(19歳・仮名)の手紙です。西向夕子さんの物語は、日本人が誰でも親しんでいる「親疎」の対人意識です。 「親疎」とは、親しい人と話すときは、言葉も態度も「省略する」というものの考え方です。 食堂での会話がいい例です。 「なに食べる?わたしタヌキ」 「わたし、キツネ」 「わたし、ウナギ」 「わたし、ブタさんよ」 ここでは、自分自身がタヌキやキツネ、ウナギ、ブタであると言っているのではないことは、日本人には誰にもよく分かります。キツネうどん、ウナギ丼、タヌキうどん、ブタ丼という言葉が省略されています。 話すことの目的、行動の目的を省略するというのが日本語のつくる「親疎」の共通のものの考え方です。この「省略」は「内扱い」といって、イバリとか見下し、軽蔑や侮蔑の態度をあらわしてもよいと思える相手に向かって言い表わされます。 「内扱い」とは、相手の欲求を察知することです。「自分の気持ちをわかってくれ」という言い方がなされます。相手の気持ちを察する。そのために相手の顔色や表情を見る。すると言葉は可能なかぎり省略される。言い表わされる言葉は一言か二言。これが「内扱い」です。ここでの人間の脳は、視覚、聴覚、触覚のうち、ほとんど触覚の認知だけで行動を成立させます。聴覚は機能障害を起こしたのも同然になります。話されている言葉のほとんどが聞こえなくなります。 触覚とは、人間のほとんどの欲求をつくります。食欲、性欲などです。ここから、過食や拒食が起こります。 西向夕子さんのように、言葉の目的が分からずに行動だけを成立させる人は、男性、女性にかかわらず、性的な欲求が喚起されて性的な意識が起こります。この性的な欲求のイメージは、相手は誰か?は問いません。そういう認識のための脳の働きはおこなわれていないからです。 西向夕子さんの悩みは、家の中でも、最低限の「外扱い」の対人関係の法則の実行が有効でした。 わたしは、ポルソナーレからのアドバイスのとおりに、母親からお汁粉のつくり方を教わって、自分でもつくってみることにしました。小豆からことことと煮ます。一晩、水に漬けてから煮るのです。漉し餡(こしあん)にします。晒(さら)してサラサラの餡(あん)にします。 弱火でゆっくり温めて白玉を入れます。 お汁粉をつくっている母親の姿が思い浮びました。 お汁粉を食べてにっこりの笑顔も思い浮びました。 会話では、相手の人の喜びの表情をいつもいつも思い浮べることが大事なんだねということがよく分かりました。 |
谷川うさ子さん |
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