ポルソナーレのサイト内検索
全日本カウンセラー協会・ポルソナーレのマスターカウンセリング
読むだけで幸せになる手紙・目を見て話せれば幸せ |
---|
私は、学校の授業中に黒板が見れません。目が悪いというのではありません。 先生が前にいると黒板に書いてあることをノートに書きとれないのです。顔をあげてまっすぐに前を見ると顔がこわばります。 ここで、何を考えたらいいんだろう?どういう態度をとればいいんだろう?と思ってしまうのです。 わたしは、高3の女子校生です。 大学に行くために受験勉強をしています。 大学に進学するのは楽しみです。 誰ひとりとして自分を知らない人たちの中に早く行きたいと思っています。毎日、そのことばかりを願っています。 わたしは、中学2年生のころから人間関係にとても神経質になりはじめました。それまでは、人と話すのは好きでした。 自分からどんどん話しかけて大きな声で笑っていました。今も、家の中ではころっと変わってのびのびとふるまっています。 家の外でも、こんなふうに本当の自分を出せればいいのになあと思います。 中学2年生のころから、人の目が気になりはじめました。人から何かを言われると、反応が遅くて、顔がぎくしゃくとこわばるようになったのです。 女の子の中学生の時期は、人生の中でいちばん人間関係に敏感になるころですよね。思春期といわれているくらいです。 だから、学校に行ってお友だちとお話するのはすごく楽しみです。グループができて、毎日、何人かの女の子とおしゃべりをするとわくわくします。笑えるし、相手の女の子が笑うと気持ちが嬉しくなります。 わたしも、中学1年生まではいつもにこにこしていました。グループの誰かに会うと目を見て、話す前からにこにこし合っていました。学校に行って帰る時刻になると、もう家に帰る時間かと、明日も学校に来るのが楽しみでした。 中学2年生になったばかりの4月のある日です。仲良しのグループの5人で輪になってお弁当を食べました。机を寄せて、顔を見合わせながら食べるのです。 順子ちゃんが話します。 「駅のホームでね、ハトさんがテクテクと歩き回るのよ」 順子ちゃんは、ハトさんのように首を前、後ろにひょこひょこと動かしてみせます。 みんなは、順子ちゃんの顔を見て笑います。 わたしもおかしくって笑いました。 西子ちゃんが話します。 たあいのない話です。 みんなは、お弁当を食べるのをとめて、顔をあげて、西子ちゃんの顔を見て、わっと笑います。 順々に誰かが話すとそのつど、食べる手をとめて、話す人の顔を見て笑います。 わたしの番になりました。 わたしも思いついた話をしたとおもいます。 みんながわたしの顔を見て笑った時、見られている自分の顔が笑えなくてひきつったのを感じました。 みんなはまた、次々に何かを話します。わたしは誰が、何の話をしたのか記憶がなくなりました。 うつむいて、何もしゃべらずにお弁当を食べたのだろうとおもいます。 グループのみんなは、やがてシーンとしはじめました。 中学校を卒業するとき、グループのみんなは、このままでいたいねと言い合っていました。 高校入試が終わったころです。 わたしは違いました。何もかも変わった人たちのところへ行きたいと願っていました。卒業する日をひたすら夢にまで見ていたのです。 わたしは、わたしなりに、人間関係は、人の目を見て話すこと、にこやかに笑って話すことに価値があるのではないと考えます。きちんと話せればいいので、明るく話そうが、暗く話そうが、そこに会話の価値があるのではないと考えました。そこで、がんばって話をしようと努力しました。 でも、どうしても会話がうまくいかないのです。 人に自分の気持ちを伝えられないことほど悲しいことはありません。 学校からの帰り道は、高校で同じクラスになった東山冬子さんといっしょに帰ります。 電車も降りる駅も同じです。 東山冬子さんは、すぐに誰とでもうちとけます。帰り道は、電車の中でも、誰かがやってきて話しかけます。 一緒にいるわたしにも話しかけます。わたしが話すと、話しかけた人はサッとあらぬ方向を見るのです。 そして、わたしの顔を見ないで、電車の窓の外か、隣の東山冬子さんの顔を見ながら、わたしへの返事の話をするのです。東山冬子さんは自分に話しているかのように、楽しげにうなづいて聞いています。 バイバイをするときは、そこにわたしはいないかのようになります。電車の中の他の乗客の中の一人という目で見られるのです。 高校の授業の勉強は、むずかしく思えるようになりました。教室で、まわりの人と仲良く話すのがむずかしいと思えることと何か関係があるようにもおもえました。 授業中、先生が授業を楽しくしようとしているのが分かります。脱線して、自分の経験のことを話します。わたしにはこれがよく分からないのです。 今のこの教科書の学習のことと、先生の個人の経験とどうつながるのか?がどうしてもむすびつけられません。先生の話がつまらないというのではありません。クラスの生徒はおもしろがって笑っています。 わたしはひとりだけぎこちなくなって、頭を下げて笑えません。身の縮むような思いがします。黒板に書かれたことは、先生が前にいるとおもうと書きとれないのです。 わたしが学校を休むことなく行けたのは、いつも一緒に帰る東山冬子さんが優しかったからです。 たぶん、わたしは、どの教科も、参考書を見たり、辞書でコトバの意味をほつほつと調べたりしてできるだけ正しく文や文章の意味を分かろうとしたので、先生が嫌いにならずにすんだのかもしれません。 担任の先生は、励ましのつもりで言いました。 「大学に行っても、困ったことになるのは、話しかけても何を考えているのか分からないからだ。一人遊びの世界に入って脱け出せなくなるぞ」。 |
谷川うさ子さん |
ポルソナーレからのアドバイス 今川焼子さん(仮名・17歳)の物語です。 「まっすぐ」という言葉があります。日本人の一部の人を除いて「まっすぐに話す」「人の話をまっすぐに聞く」ということができません。 「真直ぐ」と書きます。 少しも曲がっていなくて、真一文字のことです。 どこにも寄らずにまっすぐに家に帰るという言い方をします。 少しもつつみ隠さないこと、正直なこと、が「まっすぐ」です。今川焼子さんは、人の話をまっすぐに聞く、自分の気持ちをまっすぐに言葉で言い表して伝えるということができないということで困っています。 人間は、誰でも、乳・幼児の頃までは、ものを見るにしても、人の言葉を聞くにしてもつねに「まっすぐ」という脳の働き方を完成しています。 ほぼ0歳8ヵ月から1歳半までの時期です。 「あれ、なあに?」と聞いたり指でさし示すのが2歳から3歳までの時期です。 「共同注意」とか「共同指示」といいます。この年齢の時期に、母親が返事をしない、子どもの問いに答えない、ということがあると、脳の働き方は、目も言葉も耳も「まっすぐに働く」という言語能力を記憶できないのです。 4歳から5歳にかけての子どもの「行動」のひとつひとつを正しく秩序立ったものにするということをていねいに、行動の目的に即して耳から脳に伝えて、脳の中の目の視覚の経路にむすびつけてあげないばあい、それが暴言とか暴力を現わす原因になります。 今川焼子さんは、ポルソナーレで日本語のしくみが「まっすぐに話す」という文の型になっていないことを教わりました。 自分の気持ちがなにか、別のことにとらわれていると、そのことにとらわれるままにまっすぐではない話し方になることに気づきました。頭の中に、気になることがあると、相手の話をまっすぐに聞くことができなくなります。 お友だちからメールが来たときは、メールに書かれている言葉だけを使ってお返事を書きます。 返事はすぐに入力しないで、ノートにメモを書いてから、相手の人の書く言葉を自分も使って文を書くことを練習しました。 今川さんは、今は大学生です。出会った人の名前を憶えて、「南川さん」と相手の人の名前を呼んで「今日はいいお天気ですね」とにっこり、まっすぐに話します。 初めての人には「わたし、今川焼子です」とフルネームでまっすぐに自己紹介します。 日本語もまっすぐに言い表わせます。 |
谷川うさ子さん |
←前へ 次へ→