みなさん、こんにちは。
全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。
●脳の働き方のメカニズムの意味
ポルソナーレは、脳の働き方のメカニズムを「新生児、乳児、乳幼児」の目や耳や指、口(喉)の発達の仕方にもとづいて、明らかにしています。これは、アメリカやイギリスの学者による実験や観察がデータになっています。
新生児、乳児、乳・幼児は、まだ言葉というものを記憶していないので、この新生児、乳児、乳・幼児の「言語以前の記憶」は、日本人だけではなく、欧米人の子どもにも共通する「言語以前の言語の記憶」になります。この「言語以前の記憶」を「メタ言語」といいます。「ゲシュタルトの認知」では、「二・五次元の認知と認識」といいます。子どもが自分の力で動いて「物」を見たり触ったりするときの認知と認識が「三次元の認知と認識」です。
●乳・幼児の脳の働き方が文法の正しい基準です
みなさまに理解していただきたいのは、この乳・幼児の「メタ言語」という「言語以前の言語」は、日本人だけではなく、世界のどこの人間の子どもにも共通する「言語の生成のしくみである」ということです。
世界の各国の言語とその文法は、新生児、乳児、乳・幼児の脳の働き方の共通のメカニズムの上に、その国の人間の親が『愛着』というシステムをとおして継承的に教えたものです。
●日本人の子どもは、母親から何を教わるのか?
すると、日本人の子どもは、日本人の母親が日本語を教えて記憶します。日本人は、共通に対人不安や対人緊張という病理を抱えています。「私は、対人の不安も緊張も意識することはありません」という人はいません。この対人不安や対人恐怖は、「人間どうしの関係の中で生じる不安、ないし、緊張」です。「人間どうしの関係」は、日本語でおこないます。日本語の覚え方や学習の仕方に問題があって不安や緊張をつくり出しているということは明らかです。
対人不安や対人緊張とは、自分と相手との間に何らかの支障や不都合が起こる、ということです。
こういう観点から「日本語」というものを観察すると、次のようなことが分かります。
●日本語とは、どういうしくみをもっている言葉なのか
日本語は、和語(やまとことば)と漢字・漢語の二つで成り立っています。このうち和語(やまとことば)が先にあって、この和語の上に漢字・漢語が融合しています。言葉には、言葉のあらわし方をルールづける「文法」があります。日本語の文法は、和語(ひらがなであらわす言葉)がつくっています。
漢字・漢語は、何のためにあるのでしょうか?ものごとの「意味」をくわしくして、現厳密にとらえるためにあるのです。しかし、みなさまもよくご存知のとおり、日本人は漢字を減らそうとしているし、漢字・漢語の意味など知らなくてもいっこうにかまわない、と考えている人が多いのです。このことは、言語社会学者の鈴木孝夫や国語学者の大野晋が指摘しています。明治以降、国の方針としてこうなってきているということです。
●日本語のメカニズムの最大の特徴とは省略すること
日本人の心の病いの土台になっているものは「精神分裂病」です。
精神分裂病とは、「進行していく痴呆」「進行性の麻痺(マヒ)」のことです。日本人の精神分裂病は、「漢字の意味などわざわざ調べなくてもいい」と考えて、しかし、漢字・漢語の意味を「知らないまま」に使っているというその「ものの考え方」に原因と理由があります。
国語学者・大野晋は次のように書いています。
①「何食べる?」
「私はうなぎ」
②「あの本、どうした?」
「読んじゃった」
③(トイレで、ドアをコンコンとノックする)
「入ってます」
こういう「文章」や「言葉による表現」が成り立つのが日本語(和語)の世界に類を見ない文法的な特性であるということです。
①②③は、「誰が」「何が」「どうする」という言葉が省略されています。このように「省略」を可能として、しかもそれはごく普通のことだとするのが日本語の文法の基本の骨格です。
自分の居る位置、空間に相手が入っている(取り込んでいる)と考えるとき、「相手は分かっているはずだ」と思う言葉は省略するというのが骨格のことです。
「相手には分かっていないと思われることだけを伝える(言葉で言いあらわす)」という文法パターンです。これは、相手も自分も同じ内(うち)の人間だから、同じものを見ているし、同じものを思考している、という文法意識です。
すると、日本人は、「言葉で説明する」ということを価値あること、意義あることとは考えないということになるでしょう。
●日本語は、自分の行動をつねに否定する
金田一春彦は、『日本語』(下巻・岩波新書)の中で次のように書いています。
① 「雨が降るかもしれない」
② 「あなたは、カサを持っていかなければ」
③ 「私は、これ以上のことは知らない」
④ それは、彼には分からなかった」
ここにあるのは、「否定的表現」というものです。英語では「肯定的に表現」するところを、日本人は、わざわざ「否定的に表現する」と指摘しています。
⑤ 4時にならなければ帰って来ません」
ここでは、「ならなければ」と「帰りません」と二度にわたっての「否定的表現」がおこなわれています。
「4時をすぎると帰って来ます」というのが「肯定的表現」です。
このような「否定的表現」は、日本人の使う日本語は、「行動する」、「他者に説明する」「他者に、情報を正しく伝える」ということに文法の目的を置かないということになるのです。
「否定的表現」とは、「自分の行動は終わっている」と考えることが無意識の根拠になっています。
どんなに忙しい状況でも、どんなに仕事が始まったばかりでも、日本人は、「もう自分の仕事は終わっている」と考えるのです。だから、「仕事をする」「仕事にかかる」というところを「しなければならない」「かからなければならない」とわざわざ「否定的に表現する」のです。
強制されたり、指示されたり、命令されて、しかたなしにとりくむ、というのが日本人の仕事、勉強、人間関係の「行動の仕方」です。
●「字が読めない」「聞いていない」から「放置する」と考えるのが日本人
こういう日本語に見る自分を中心にものごとをとらえる表現を、バートランド・ラッセルは「自己中心語」といっています。
「あっち」「さっき」「ついこの間」「ぼちぼち行きましょう」「私は聞いていません」「あなたの字は読めません」…というのが「自己中心語」です。この「自己中心語」は英語の代名詞、指示語も該当します。しかし、日本語は、「行動しないこと」「行動することを否定すること」をさらに徹底して「尊大語」や「尊大表現」にまで深化させるので、「自己中心語を文法の体系にしている」といえるのです。
「行動が止まる」「行動を否定する」とは、「不適応」のことです。仕事の場、人間関係の場を壊し、自分から破壊するというのが「不適応」です。この「不適応」を抱えながら仕事に行き、学校にも行くので、「行動しないこと」を観念の中でイメージして「分裂病」をつくるのが、日本人の精神分裂病の内容です。
●このような日本語のもつ特性を分かって、自分の人生のために適切な行動を成り立たせるのが『谷川うさ子王国物語』です。
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