■ 相談の事例
「私は大学生。うつ病の薬を飲んでいます。でもケータイとパソコンがあるので、楽です。時々、自分の未来はどうなるのか?と心配して眠れなくなります。人が悪く言っている気がしますが、これは幻聴ですか?」
(山崎洋。23歳。男性。大学生。三重県上野市)
(注・人物は仮名です。特定の人物、職業、地域、団体とは無関係です)。
■ 相談の内容
僕は大学生です。関西の大学に通っています。3年生の時にうつ病になって6ヵ月くらい入院しました。半年くらいかかってようやく退院しました。
この間、休学していたのですが、復学しました。
もともと僕は、大学の寮に入っていたのです。寮は一人部屋でしたが、なにかと人間関係の付き合いが多くて、いつもストレスを感じていました。
いつも誰かと会い、顔を合わせることが憂うつでした。気の合う人もいましたが、どうしても気の合わない人もいたからです。僕は、実家では祖父、祖母がいて、甘やかされ、可愛がられていました。家の中でイバる性格になっていて、家の外では、人の目や人の言葉を気にする対人緊張の症状がありました。いつも、自分の将来が気になって、あれこれと悲観的に考えるクセが抜けきれませんでした。寮の生活の中でも治らず、「一人になって勉強しよう」と思いつき、一人で暮らすことにしたのです。
一人で暮らすようになって一人でいる淋しさみたいなものが感じられるようになって、インターネットにはまりこみました。ゲームです。夜ふかしをするようになりました。学校も休みがちになり、友だちとの付き合いもなくなりました。
少しだけあった人間関係の自信が音をたてて崩れていきました。
いつもびくびくするようになりました。
自分から話しかける、ということが全くできなくなったのです。気がつくと、一日中、部屋の中ですごす日だけになっていました。これが入院するきっかけになりました。
退院してきて、サークル活動は無理だと思いました。そこでバイトをすることにしました。仕事の内容は英語の教材のセールスでした。一ヵ月もしないうちに辞めました。一日中電話をかけまくっても一人も購入してくれる人がいなかったのですっかり憂うつになったからです。
学校も休みがちになりました。学校に行けるのは、一週間のうちに1日か、2日くらいです。アパートに帰ると人と話したくてメールをしますが、充実感はありません。ますます孤独感にさいなまれます。
学校に行くことができないのなら、バイトでもして最低限の人間関係の自信をつけたいのですが、不安定感がいっぱいで外に出ることが苦痛に感じます。道路を歩いていると、人からじろじろと見られている気がしてドキドキします。
このままでは、また留年して卒業することにも自信がなくなりそうです。一人だけ遊ぶゼミ生の友人とメールをするときだけ生きている感じがします。この友人ばかりに迷惑をかけていると思うと、いつうとましく思われるかと心配でなりません。
このまま人の目を避けるような生活をしていると、大学を出てもマシな生活はおくれないなと将来を悲観しています。いっそ、このまま死んでしまおうかなどと愚かなことを考えています。
僕は、なぜこんな流されるような、あてどのない目標ももてない哀れな日をすごすようになったのでしょうか。
● ポルソナーレの「指示性のカウンセリング」とは、こういうものです
インターネットで検索して出てくる「カウンセリング」のアピールを見ると、たいてい「うつ病を治す」といったふうに、「症状」だけをとらえて効能効果をアピールしています。
ご紹介しているケースでいうと、「人の目が気になる」「学校に行けない」「人間関係に自信がない」、「憂うつ感がある」「朝起きれずに一日中部屋に閉じこもっている」などがアピールされている効能効果の対象です。
ポルソナーレの指示性のカウンセリングの一つの「イメージ療法」でも、ものの30分もあれば、この程度の「症状」はサッと解消できます。わざわざカウンセリング料を支払ってもらわなくても、しょっちゅう「症状の解消」くらいはおこなっています。このごろでは、「ポルソナーレのゼミへの入会を前提に」という条件で、一人あたり3時間もかけて、山のような「症状」を解消した、というケースもいくつかあります。
しかし、日本人の「右脳中心の脳の働かせ方」は、「症状を解消した」からといって、その後、いっさい「症状が出て来ないのか?」というとそんなことはなくて、また、再び、その人に固有の「症状」が新たに作り出されています。「左脳を正しく働かせる」という目標と目的を持てていない人は、自分の身体の動かし方、しゃべり方、言葉の選び方が「脳の働かせ方」を元どおりの「右脳」の中でつくられている「キャラクター」(人格)なり「トカゲの脳・人格」なりを再び活性化させて、元どおりの「症状」をつくり出すような病的なものの考え方を働かせ始めるからです。それは、たいてい人間関係を自分から壊すような行動の仕方、自分の社会的な義務や責任を放置するような内容になっています。ほとんど発作的に、自分の感情の根っこにある衝動が無意識に、ものの考え方としてあらわれるといったふうに表出しています。
これは、病気というものは、「症状を消すことだ」という日本人に特有の俗的な通念が、「治す側」にも「治される側」にも固定観念として根づよくあるためです。
ポルソナーレのゼミで『大正時代の人生相談』というケースをご紹介しました。書かれている「悩み」は、平成の現在の「症状」とほとんど変わりません。母親を中心にした「私は右手。あなたは左手」という距離のない同化した対人意識が「右脳・ウェルニッケ言語野」と「右脳・ブローカー言語野」に記憶されるという負の連鎖が今もなお続いているためです。
初めから「左脳をしっかり働かせる」という自覚と覚醒をもつ葛藤も学習も無いままに成人した男性、女性になれば、「症状」をつくり出すような行動、ものの考え方がつねに優先されて行われます。
今回の事例は、ポルソナーレの現在のカウンセリング・ゼミで「認定」を受けつづけている人以外は、誰にも例外なく「症状」をつくり出すものの考え方、行動、生活パターンとはこういうものです、ということをごらんいただきました。
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