■ 相談の事例
「私は、59歳の男性です。学歴は東大卒で、仕事は出世コースを昇りつめて専務取締役をやっています。子どもは、成人して独立して、安定した生活を営んでいます。しかし、長い間、臨場恐怖、強迫観念でひそかに悩みつづけています」
(肥塚智賀夫。59歳。会社役員。兵庫県宝塚市)
(注・人物は仮名です。特定の人物、地域、職業、団体とは無関係です)
● 相談の内容
私は、家族関係には恵まれて、仕事も所を得て、物心両面にわたって非常に恵まれていると思っています。学歴は東京大学卒で、英語などは読み書き、話すことにおいて不自由はありません。こう申すのも、よく世間では、学歴とか資格を手に入れると人間的にも、心の問題でも何の問題もないだろうと思われがちだということをよく承知しているからです。事実、私にも数十人の部下がいますが、彼らは私的なことの悩みを打ち明け、相談を求めてくることがありますが、彼らは、私に、自分たちと共通する悩みごとなど何も無いだろうと前提にしていて、安全な人格を抱えていることを期待していることがよく分かるからです。
貴協会のカウンセリングにかんする印刷物を何かの機会に読みました。
人間の脳は、左脳と右脳の二つで成り立っていて、左脳で社会の言葉を学習しないと、「右脳」にいつでも不安を感じる歪んだものの考え方を作るという主旨でした。これに驚きました。右脳で言葉を憶えると、憶えていることが自分の自信や安心には全くむすびつかないし、逆に、「生きられ難い」という不安を感じつづけざるをえないという説明を読んで、目からウロコといいますか、20代の頃からの暗闇を歩いてきていたような気分にパッと一条の光が射したようなそんな救いを感じました。
私は、生まれついての小心で、恥かしがりやでした。26歳の頃ひどい赤面を経験して以来、「また赤面するようになるのではないか?」という恐怖心にとりつかれました。以来、対人恐怖となり、臨場恐怖となり、強迫観念にとりつかれて、59歳の今も継続しています。
私は、専務取締役というポジションに就いているので、部下が数十人います。現実的に人とかかわり、組織も維持しなければならないので、苦痛を味わいながらもなんとか乗り越えてきました。
私は、マンションの高い所に行くと「自分から飛び降りるような強迫観念にとりつかれています。また、駅のホームに立つと駅に進入してくる電車に飛び込みそうな気になり、本当に飛び込むのではないか?と心配することもしばしばあります。
時々、ふっと虚無感におそわれてきて、生きていくのが面倒になることもよくあります。功成り、名を遂げたとはいいませんが、物心ともにかくべつの不自由を感じることはなくて、これ以上、何をすることがあるか、なにを苦労することがあろうかという気持ちになり、虚ろな気分に落ち込むことが時々あります。
私の悩みは、性格の弱さ、小心、激しやすく、クヨクヨすることです。「激しやすい」というのは、電車の割り込み、席の占有(とくに女性の態度)、部下の怠慢な仕事ぶり、結果や成果を出さずに怠惰な仕事ぶりを見ると自分中心の正義感からかムラムラすることなどです。
些細なことにクヨクヨして、いつまでも根にもってこだわります。対人的に、好悪の感情が激しくて、理屈にならない理屈をごちゃごちゃと並べられると激しく憎しみの感情すら湧いてきます。
これらの原因は、貴協会がのべているように幼児期の生い立ちにあることはうたがいないと思っています。
内弁慶で小心の生育歴です。また父親と母親がしっくりいっていなくて、母親から、父の気に入るように厳しくやられました。このせいで、女性をべっ視します。特に母親への嫌悪があります。この反面、母親からは甘やかされて、わがままに育てられました。
● ポルソナーレの「指示性のカウンセリング」とはこういうものです
この相談の事例では、学歴、職歴、収入、家族関係、および社会的地位などには何の不足もないとのべられています。年齢も59歳で、それなりの人生の成功の道を歩いてきたと自負もしています。おそらく、まわりの人の目から見てもそのとおりの評価と実績をもつ人であるでしょう。
しかし、心の中には充実感はなく、日々、29歳から現在まで、自分の「性格」のことでひそかに悩んできています。対人恐怖や対人緊張は、つい最近のことではなくて、東大に通っているときも、仕事をしているときも、出世して部下をもち、業績を上げている間もずっとつきまとっていて、心からいっときも離れない悩みになっています。
もし、この事例をお読みになって、「自分にも似たような症状がある」と考える人がいたとすると、心の不安や、ここから生じる悩みというのは、学歴や資格、社会的な地位とは全く関係なく、全ての日本人に共通する特性としてつくられ、根づよく抱えられていて、「59歳」になってもなお、症状として感じさせるものだというところに注目する必要があります。
事例の男性は、対人恐怖や対人緊張を抱えながらも、高学歴を手に入れ、高い収入も得ています。
また、部下を数十人を抱える企業の取締役の地位にも昇りつめています。このことは、このようなことを可能にする「脳の働き方」と「心に不安を感じる脳の働き方」とは同じ脳の働き方になるということを意味します。
ポルソナーレのカウンセリング・ゼミでレクチュアしてきているとおり、「対人恐怖」とか「対人緊張」とは、「日本人だけに固有の病気」です。欧米人にはありません。ここを分からないと、こういう事例の意味は全く分からないのです。
対人恐怖や対人緊張は、どこからくるのでしょうか。日本人の母子関係からくるのです。「見る」「見られる」という母子の対人関係が「対人恐怖」や「対人不安」をつくります。「見る」「見られる」とは、視覚の認知のことです。「言葉の関係」のことではありません。「見る」「見られる」とは、「右脳のブローカー3分の1」の中枢神経の働きによるものです。
「話す」「話される」という関係は「左脳の聴覚野」の働きです。この「左脳の働き」が全くないのに「高学歴」は可能なのでしょうか。「右脳・ウェルニッケ言語野」の触覚の認知が可能にします。「暗記」ということを「そうじ器のコロコロ」のように皮ふ感覚にくっつけて「憶える」ということを可能にするのです。
この事例から分かることは、高学歴で社会的な地位を手に入れても対人恐怖とか対人緊張といった「社会病理」からまぬがれないということは、現実的な意味で「社会的な不適応の行動」をおこなっていれば、「対人関の中のうまくいかなさ」は、もっともっと深刻な事態になる、ということです。
ネット社会での怪しげな言動、子どもの親殺し、親の子どもの殺意などは、その典型です。
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