■ 相談の事例
「私は、勝ち犬の女です。結婚して、子どもも生まれました。まじめさと、夢をもっている男性と結婚しました。
それなのになぜか、私の人生はねじれて、こんなはずではなかったと途方に暮れています」
(阿部有貴。29歳。主婦。大阪市住之江区)
(注・人物は仮名です。特定の人物、地域、団体とは無関係です)。
● 相談の内容
私は、知り合いの人から紹介されて今の夫と結婚しました。交際期間は3ヵ月くらいです。交際期間のときの夫の印象は、性格は温厚、調理師の仕事に熱心で、将来は独立して、自分の仕事を立ち上げる、という夢を熱く話してくれました。資金はどうするの?と尋ねると、そんなものはなんとでもなる、と言うので、ここで胸の中に少し不安の影がさしましたが、母親が、そんな先のことよりも負け犬にならないことが大事だ、と毎日、うるさく言うので考えた末に結婚に踏み切りました。2年前のことです。夫は、今、37歳です。
結婚してみると、夫は話し下手だということが分かりました。交際期間は、アルコールが入っていたので、楽しく話をすることができたのです。結婚して初めてアルコールの入っていない夫と向き合って話す日々になりました。
夫は、私の問いかけにたいして口で返事をしません。「はい」(イエス)と言葉で言うかわりに「まぶたを閉じる」のです。目をつむります。
「いいえ」(ノー)の時は、目を開けたままで、じっと黙ったままです。私は、だんだんイライラするようになりました。結婚して一年もしないうちに夫へのイライラはもっとひどくなりました。夫へは、私の考えを一方的にぶっつけ、まるでひとり言のような「会話」の毎日になっています。
夫は、話下手のためか、転職するときも黙っています。なぜ、事前に言ってくれないの?とさんざん問い詰めると「なぜ、そんなことをしなければならない?なぜ?」と一言だけです。
自分の勝手だろ、ということのようです。
こういうことがあって私の夫への気持ちが変わりました。信頼するとか、尊敬する、といった気持ちが消えてしまったのです。これが私の望んだ「ケッコン生活というものなのだろうか?」と心の中を冷たい風が吹きぬけるような虚しい気分の毎日になっています。夫との生活には、何の輝きもなく、夫にも何の魅力も感じられなくなっています。
ある日、夫が独立して店を持つ、と言い始めました。「居酒屋を経営する」というのです。「店」については、もう契約してきた、と言います。資金はどうするの?と問いただすと、目を閉じたまま黙っています。何も話し合おうとはしないのです。
やっと、「兄に相談する」と言うのです。そして、その兄(夫の兄です)の所へ、私に話しに行ってくれと言い出しました。契約の前に自分で兄と話をして、資金の準備をしてから契約をするのが常識ではないかと言うとまた目を開いて、じっと空中をニラんでいます。私は、憤りすらも感じました。
結局、この話は立ち消えになりました。兄に、いきなり突然にまとまったお金を都合してくれと言われて、はい、そうですかと右から左になんとかなるものでもないだろうと言われたからです。私も、全くそのとおりだと同感します。
この時から私は、夫を見下すようになりました。ちょっとしたことで暴言を吐いたり、まともとに夫と会話することが嫌でたまらなくなりました。
母に、結婚しろ結婚しろとせかすからこういう結婚生活になっていると言いました。母は、住む所があって、子どもがいて、ご飯さえ食べられれば、それで何の文句がある?と言います。こんなことを今頃になって言う母にも不信感をもつようになりました。ちなみに、母は、11歳の時に実の母が病死して「おば夫婦」に育てられています。高校を中退して、18歳で「お見合い結婚」をしました。父とは、いつも口ゲンカして、家計のことも自分勝手にしてそのことで父とモメていました。
結婚している女性にも、「負け犬」と「勝ち犬」に分かれるのでしょうか。
夫の兄の家も、なにやら子どものことでゴタゴタがつづいているようで、そういう話も「兄嫁」から聞かされるのも憂うつでたまりません。
● ポルソナーレの「指示性のカウンセリング」とはこういうものです
日本人は、明治時代より、「人の目が気になる」とか「赤面症で悩む」「人にたいして緊張する」という心の病いを抱えています。このような心の悩みは、日本人だけに固有のものです。欧米人にはありません。このような心の病いは、日本人だけがもつ「人間関係のつくり方」に由来しています。「血縁関係意識」という対人意識です。人と自分の間には少しの距離も無いのが当り前であると無意識に考えているということです。「結婚」も、この「距離の無い関係」をつくるのが当り前、という考え方でとらえられています。それは、「結婚」イコール「経済権を手に入れることだ」というものです。日本人を含めて、アジアの女性は、「結婚」とは、「財産を無償で贈ってもらうこと」というアジア型の「母系制社会」の社会通念でとらえています。
この中には、「子どもを教育すること」「子ども、夫を社会化すること」という欧米型の女性のような意識はありません。だから、事例のように、結婚してみたら夫はコミュニケーションが全く下手な人だった、ということが分かっても、「結婚そのもの」には何の疑いももたないのです。それは、事例の女性の母親の発言に象徴されます。「住む家があって、ご飯が食べられれば、それでいいではないか」とする「結婚観」です。ここに「子ども」がいれば、「夫の財産」を子どもに贈与できるので、自分の「老後も安心だ」とするものです。
今、日本人の多くの若い人がフリーター、派遣、アルバイターで生活しています。これが成り立つのは、「母親が許容している」から、です。いわば生前贈与がおこなわれているといえましょう。子どもが社会的に自立しているか、どうかは問題外のことなのです。
このような「日本人女性の結婚観」は、「右脳・ウェルニッケ言語野」の触覚の認知でおこなわれています。欧米型の女性の「子どもを社会化する」「教育する」というのは「左脳のブローカー言語野」で学習された言葉を元にして「認識されている結婚観」です。
ここでは、「会話が全くダメだ」という非社会的な男性は、「結婚」にも「一緒に生活していくこと」にも適さないという「認識」(左脳)がおこなわれます。日本人は、この「認識」が無く、「自分が右手で、相手は左手である」という「認知」が成立しさえすれば「この結婚は幸せだ。故に私は、勝ち犬だ」と考えるのです。
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