みなさん、こんにちは。
全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。
■こんなことにお役に立ちます
日本人が抱える心や精神の問題の典型は、「他者とうまくやれない」ということと「社会の中で一人の力でちゃんとやっていくための知的な能力や実力が、いくら勉強してもまともに身につかない」ということの二つに集約されます。
「いつか、どこかでなんとかなる」と思えていた時代と社会は、2年前の「リーマン・ショック」から消えてしまっています。
だから、客観的に見れば「赤信号、みんなで渡ればコワクない」式の無気力に流されるままになっているというのが日常の光景になっています。
しかし、中には、「自分の人生はこんなはずではない、このままでいいはずがない」と思っている人もいます。
自分の家族に、人間と動物の中間に近い生活の仕方で、無為で、不毛な毎日を送っている人がいれば「なんとかなる手立てはないものか?」と暗く、憂うつな思いを感じている人もいるでしょう。
そこで、残り少ない「自分や、自分の身近な人の人生を、もっと、マシなものにしたい」と意欲をなくしていない人のために研究・開発されたのが『谷川うさ子王国物語』パート・Ⅱの「実践実技・日本語講座」の通信講座です。
■これまでのカウンセリングの限界と壁
ポルソナーレは、日本人の心や精神の病理を「ものの考え方」の改善を目ざして、脳の働きの外から解決するという方方によるカウンセリングをおこなってきました。「社会教育」をテーマにして、「どんな人間関係や、どんな人間関係の場面にも橋渡しとなる媒介がある」ということをレクチュアしてきました。
媒介とは、社会性の知性というものです。媒介を用いて行動できることが社会性の能力です。
しかし、「そういうことを学んだり、勉強する以前に、自分の将来のことが心配だ」、「学んだり勉強することは大切だとは思うが、頭の中にひとりでに気になることが思い浮んできて、勉強しながらでも、そのことをいつの間にか考えてしまう」、などという人がどんどん増えています。
「頭の中に気になることが思い浮んで消えないので、勉強や学習が手につかない」「楽しいことをしているときだけ、憂うつなことや不安な気持ちが消える」という人が増えてきました。
これは、右脳・前頭葉の『虚像』に「じっと固定して動かないイメージ」と「次々に変化して活発に動く像」の二つが思い浮んでいる、というメカニズムのことです。
「じっと固定して動かないイメージ」のことを強迫観念といいます。強迫観念は、動物の脳といわれている「大脳辺縁系」にある生の感情を記憶している「扁桃核」が表象させます。
しかし、じっと動かずに固定したままのイメージなので、「しゃべる」とか「行動にあらわす」ということができないのです。思い浮んでいるけれどもじっと動かないので「気になる」とか「不安になる」とか「嬉しくなる」という脳の働き方になっています。ノルアドレナリンかドーパミンが分泌するという脳の働き方です。
『虚像』に思い浮ぶイメージが「次々に変化して活発に動いている」というもののときは、強迫観念の像は思い浮んでいません。
見たり、聞いたり、触ったりしていることの像が思い浮んでいます。見たり、聞いたり、触っていることについての言葉が「左脳・前頭葉」に思い浮んでいて、その言葉が『虚像』に像をつくるのです。このような脳の働き方が正常な脳の働き方です。
■心・精神の病の正しい理解の仕方
「強迫観念」のイメージには、多くの人に共通するイメージと、その人だけに固有の特殊な強迫のイメージとがあります。
これは、「強迫観念のイメージの内容が同じである、もしくは個人べつの特殊なものがある」ということではありません。
「じっと動かない強迫観念のイメージ」か、「やがて活発に動くようになった強迫観念のイメージ」という違いのことです。
「人が悪口を言っているような気がする」「人が、自分を悪く思って嫌っているようだ」「人間にたいして緊張する」などというものが、『虚像』の中で「活発に動くようになったイメージ」です。
「動く」というのは、言葉の次元でいうと「意味」のことです。
辞書に言葉の意味が書いてあります。その意味のことです。
「動く」というのは「意味」のことです。この意味は、イメージにさまざまな形や他との関わりの内容といったことをつくり出します。
「悪く思っている…自分を見捨てようとしていること。自分をないがしろにして遠ざけようとしていること。自分に興味も関心もなくして見たくないと思っていること」。
「緊張する…親しみを感じないこと。これからも親しさを感じたくないこと。自分の異常なことを見透かされていること」。
「悪口…遠ざけられていること。仲間に入れてもらえないこと。自分の存在を否定されていること」。
こんなふうな「意味」が加えられると強迫観念は活発なイメージになります。「意味」が加えられると、目の前の人間にこのとおりのことが話されます。話されない時は、この「意味」に従って行動します。身体に、症状があらわれます。
「外に出ない」「人に会わない」、そして「身体が震える」「表情が異様に歪む」、などです。
■全く役に立たないばかりか悪化させる「療法」
これまでのカウンセリングでは、このような強迫観念で困っている人には、「気にしていることを、気にしないようにする」、「嫌われているというのは、思い過しだ」「悪く言われたという事実はない」「悪く言ったという言葉は、意味をねじ曲げて解釈しているから、そのようにキメつけているのである」というようなことを「説明する」というものでした。強迫観念の人も、こういう説明は、喜んで聞こうとします。
「辛いんです」「苦しいんです」「恐いんです」という訴えに即して、そのことを中心に「話」を聞いてくれていると思うからです。
この「訴えに即す」という「療法」は無数にあります。「脳の神経に異常がある」というものから「脳の中のホルモンの量が多い。もしくは少ない」といった療法が主流です。症状に即して「療法」を供給すると、確かに異常行動が社会の中に露出することは減ります。全くなくなるということはありません。しかし、「家の中」とか、「家族の間」で症状を話すとか、症状の内容を語りつづけるとか、症状の言動を無制限に、無制約に見せることは自動的に進行していきます。
■ポルソナーレのカウンセリングの効果と成果
では、ポルソナーレの指示性のカウンセリングの効果はどうなのか?というと、「効果がある人」と「効果がない人」の割合は半々です。
ポルソナーレのカウンセリングは、「その人のものの考え方」に原因があるとするので、原因や問題の所在を共に、一緒につきとめるので、このつきとめることを指して「指示性」といいます。
「あなたも含めて10人の人がいると仮定しよう。では、この10人の人全員が、あなたと同じように不安になり、自分は嫌われていると思うだろうか?」
「問いかけの確率は半々である。全員が全く同じように不安になるとは限らない」
「すると、これは、相手とか、現実の側に原因があるのではなく、あなた自身のものの考え方に症状をつくる原因と理由があることの証明になる」(ポルソナーレのカウンセリングの一例)。
そこで提案しているのが、「ものの考え方」の社会化です。そして社会化された「ものの考え方」にもとづく社会的な行動の仕方です。
「ものの考え方の社会化」とは、「ものごとの内容を学的に正しく理解すること」です。「社会的な行動の仕方」とは、「相手の社会的な立場に配慮した関わり方」のことです。見下したり、軽んじたり、自分の感情のおもちゃにしないというのが「社会的な立場」への配慮です。子どもが相手ならば、成長と発達を目的と動機にして関わる、というのが「配慮」の正しい意味です。
このようなポルソナーレの「社会教育」のカウンセリング理念を、価値あるものと理解できる人は、症状や病理を知的対象として、教訓と内省の素材に変えて「病理」を相対化することができます。問題解決の能力を身につけているでしょう。演繹法や帰納法といった「弁証法による思考」を身につけているからです。
■日本語(和語)の「敬語体系」に本当の原因があります
では、現在、10年1日のように「強迫観念」と、『虚像』の中で「活発に動く進化した強迫観念」を表象させている人は、なぜそうしているのでしょうか。
根本の原因は、日本語(和語・ヤマトコトバ)の「敬語体系」にあるのです。
国語学者・大野晋の研究によれば、和語(ヤマトコトバ)の「敬語体系」とは、こうなっています。
◎外扱い(遠いものにたいしての扱い方。敬して遠ざける。近づかない。成り行きに任せる。)
敬語の1…恐怖(近づかない)
敬語の2…畏怖(敬して遠ざける)
敬語の3…畏敬(手を加えない)
敬語の4…尊敬(成り行きにまかせる)
敬語の5…敬愛(自分の内輪に取り込む)
◎内扱い(近くのものにたいしての扱い方。遠くのものも内扱いにする。敬意を払わない。非敬語意識)
非敬語の1…親愛(内輪のものと認める。だから親しく関わる)
非敬語の2…愛狎(あいこう)(内扱いだからぞんざいに扱う。敬語の関わりを壊す)
非敬語の3…軽蔑(自分の生の感情、生の欲求の材料と扱う)
非敬語の4…侮蔑(相手をゴミかトイレット・ペーパーであるかのように扱う)
日本語(和語・ヤマトコトバ)の敬語体系はきわめて特異的です。
「敬語」と「非敬語」とがセットになっているからです。このセットになっていることの意味は、「非敬語」による扱い方がメインであり、ものの考え方のベースになっていることを意味しています。
「外扱いの対象は、敬して遠ざけて、そして近づかない。近づくものは内扱いの対象だけだ」というものの考え方です。
■あなたもおこなっている「人間関係」の壊し方
この和語(ヤマトコトバ)の「非敬語体系」の「親愛」「愛狎」「軽蔑」「侮蔑」の進行で「遠ざけられ、近づかない、成り行きにまかせて放置する、手を加えない」と見なされる対象は何でしょうか。
- 和語(ヤマトコトバ)の敬語体系の対象の例
- 学校の勉強…親が子どもへ家庭教育の対象であるとは考えていない。
- 漢字・漢語系の「敬語」…尊敬語、謙譲語、敬語、丁寧語。とくに「謙譲語」を極端に無視する。
- 「もう一つの日本語」の「演繹法」や「帰納法」…成り行きにまかせて、自分は手を加えない。だから本を読まない。手で文章を書かない。ワープロやケータイの入力打ちを「書くこと」と思い込んでいる。
- 手で文章を書くこと…左脳・前頭葉の言葉の知性・精神が発達せず、退化する。右脳・Y経路の認知の能力ばかりが過剰になり、左脳・X経路の認識の能力が退化するからだ。すると、秩序意識が原始的レベルまで退行化して、発言、行動が無責任になる。
- 子どもの教育…母親による家庭教育。子どもの「年齢べつの発達段階」という子育ての基礎知識がなくて、「可愛い」から育て、「可愛くない」から虐待する。子どもの不登校、引きこもりが「母親の責任(原因)」と問題の所在を指摘すると逆上する。
- 仕事の勉強…中学校で教えている「命題の立て方」と「証明の仕方」を知らないから「仕事」に就けない。「なじめる」「なじめない」だけが仕事意識の価値基準になる。
和語(ヤマトコトバ)の「敬語体系」は、学校教育の「国語」の授業で「文法」として教えています。
すると、学校教育の制度として「学校教育」そのものを否定することがおこなわれていることにもなっています。大野晋が説明しているような内容をしっかり解説しなければ、いつの間にか丸暗記とともに、「外扱い」を「敬して遠ざける。近づかないことだ」と無意識に記憶して、日本人に共通の「ものの考え方」になっていると推測されます。
このような説明は、右から左へとスムースに受け容れ難いのも事実です。しかし、国語学者・大野晋や社会言語学者・鈴木孝夫らの研究は、「命題」を立てての「実証」として完成しています。一読した人ならば得心のいくものです。書かれたものを読まずしてインターネット上の評判だけを目にして判断しても何の得にもなりません。
このようなことを明らかにするのは、脳の働き方(言葉の生成のメカニズム)です。
『谷川うさ子王国物語』パート・Ⅱは、とくに女性の皆さんに学習してほしい通信講座です。
脳の働き方の中の視床下部の視索前野のTRHを回復させるためです。子どもの教育や恋愛、結婚の能力のためには必須の「日本語講座」です。
■「谷川うさ子王国物語」パート・Ⅱのご案内。お申し込みはこちらからどうぞ。
●TEL・東京03(3496)6645 |