■相談の事例
「私は、主婦です。結婚して、介護に明け暮れています。夫は、そんな私をうとましく思っています。夫に心が開けず、心の中では、不信と憎しみの気持ちがいっぱいで、それが私を苦しめています」
(中村茂子。35歳。主婦。千葉県取手市)
(注・人物は仮名です。特定の人物とは無関係です。また、特定の職業、地域、団体とも無関係です。相談の内容もいくつかの内容を合成して再構成してあります)。
■相談の内容
私は、35歳の主婦です。28歳の時に結婚しました。結婚した理由は、一日も早く家を出たかったからです。私の父は、大学の教授で、哲学を専門にしています。すごく厳しい人で、小さい頃から怖くてたまりませんでした。私は、生後五ヵ月で自家中毒をおこしました。父が近づいてくると、小学校の頃も逃げ出していました。
体が弱くて、小学校は半分くらいしか学校に行きませんでした。中学校の頃も、父親にたいしておろおろし、高校の頃も内心に不満をもちながらも自分を抑えておろおろと生きてきて、自分をうまく表に出せずに「自分は仮に生きている」という思いを強くもって生きてきました。
大学は、二ヵ月で辞めました。勉強するといっても、本当は何も頭に入ってきていないということが自分でもよく分かったからです。高校は、試験のたびに何かしら憶えていることを書けば、時間がたつにつれて進級していて、おろおろとしているうちに卒業しました。
私は、赤面症がひどく、人から強く言われると呼吸が止まりそうになります。
朝礼などの時は、あまり長くガマンして立っていると、気を失いそうにもなりました。大学も希望するところに入れたのですが、講義を長時間聴くということがどうしてもできなくて、頭の中がシーンとしてくるのです。人の話すことが、本当は何も憶えられていないということに気づいて、辞めたのです。
28歳まで病院事務の仕事をしていました。家には父がいて、相変らず居心地が悪く、自分の居場所がないと感じていました。父が家の中のどこで動いても、すぐに心がおろおろとして、体がぐったりとしてくるのです。出会い系サイトで知り合った男性が、結婚した夫です。
結婚すると義母が脳梗塞で倒れて、介護をするようになりました。
左脳にダメージを受けたので、リハビリとか自分のことなど何もせず、つきっきりで世話をしなければならなくなったのです。つづいて、義父もうつ病になり、痴呆状態になりました。ひょっとしたら、義父は、私が結婚して夫と暮らす前から、ずっとうつ病だったかもしれません。
夫は、そんなことはない、と言いますが、調子のいい時の義父の言動を見ていると、正常で前向きな人が突然、うつ病になったとは思えません。飲んでいる薬を見てみると、ベタナミンやドグマチール、ヒルナミン、マイスリーから、さらにメレリル、レンドルミン、エリミン、リタリンと、さまざまに種類が広がっているからです。デパス、ワイパックス、サイレースなどと服用しているのを見ると、「うつ病ではなくて、クスリジャンキーの人生の日々だったのではないか?」と疑っています。おそらく義母も、クスリをあれこれといっぺんに服用して、それで脳血管に異常をきたしたのではないか?と思っています。夫にこの疑問をぶっつけると、その日から態度が一変して、背を向けるようになりました。
私は、おろかにも、人が薬を飲むのは、病気を治すために服用するものだ、と思っていました。
夫に、意を決してクスリを止めないと麻薬中毒者のような人生になる、と訴えました。夫は、「そういうことは口にするな」と言っただけで、冷たい目で私を見ました。私の心の声を理解してはくれませんでした。
毎日、五分おきにトイレに呼ばれる介護の日々を送っています。
私は、夫にたいして心が閉じてしまい、本音のことなど何も言えなくなりました。失語症にもなり、言葉も口から出てこなくなりました。
夫への根本的な疑いと不信感が、結婚の当初にもあったものが日常のものになったからです。私は、毎日、焦りながらもんもんとして生きています。
ポルソナーレのいう心の社会的な自立がないために、このような「仮に生きている」という思いを抱えているのだと思います。こんな私にも「生きていて良かった」と思える朝がくるのでしょうか?
●ポルソナーレの「指示性のカウンセリング」とは、こういうものです
ポルソナーレのゼミが研究・開発した人間の脳の働き方の「ソフトウェア」としてのしくみは、「記憶のソース・モニタリング」ということを基本のメカニズムにしています。
人間が、何かを「見る」、および「聞く」もしくは「考える」ということをおこなう時、まず初めに「現実のものごと」を「分かる」のではありません。
初めにおこなうのは、たんに目なら目の視覚の対象として「認知」をおこなうのです。人間の知覚や知覚したことの情報を身体の「どこか」に伝える速度は、一秒間に約30メートルの速度で伝えます。
目で見て視覚の対象として「認知」した時、この「認知」の像は、右脳系の海馬の「記憶」を表象させて、自分の「記憶と同じか?どうか?」と比べて、確認をおこないます。
「同じ」ならば、目で見た「認知」を短期記憶として再び「記憶」します。人間は、この「短期記憶」を「右脳の言語野」にイメージとして表象させて、「行動」します。この「行動」も短期記憶にくりこみつづけられます。これが「脳の働き」の基本のメカニズムの「記憶のソース・モニタリング」という仕組みです。
人間がものごとを認知する知覚は、「視覚」とそのグループ(味覚、皮ふ感覚、嗅覚などの触覚)と「聴覚」です。基本の主要知覚は「視覚」と「聴覚」です。脳神経でいうと視覚の細胞が60%、聴覚の細胞が3%くらいです。
「認知」とは、視覚が中心になっていることがよくお分りでしょう。
人間が、知能の「素」の「言葉」をつくり出すメカニズムは、脳の働きを恒常性(ホメオスタシス)として働かせる自律神経がになっています。自律神経は、「交感神経」と「副交感神経」の二つがセットになっています。
恒常性(ホメオスタシス)をになう自律神経は、エネルギーの供給と消費という代謝システムをになっています。
このシステムにしたがって、交感神経は「エネルギーの消費、供給」をつかさどり、副交感神経は「エネルギーの保存」に働きます。このメカニズムが、人間のいろいろな器官の一つ一つに対応づけられています。
目の場合ならば、瞳孔(どうこう)を開くのが交感神経であり、瞳孔(どうこう)を縮小するのが副交感神経である、という具合です。
ここからさらに自律神経の働きが高次化して、副交感神経は「近くを見る」「近くのものに焦点を合わせる」「ものごとを認識する」というように、「記憶のソース・モニタリング」を支えます。
すると、交感神経は、「遠くを見る」「ものの動きを見る」「ものの動きの変化を見る」というように、「ものごとを認知する」ことで「記憶のソース・モニタリング」を支えます。
目は、左目(右脳)が交感神経優位です。右目が副交感神経優位です。「左目」は「Y経路」と呼ばれています。「右目」は「X経路」です。
「脳の働き方」は、「記憶のソース・モニタリング」のシステムを高度な抽象的な「記憶」に対応するために、「Y経路」が認知したものを「X経路」が認識するというように、ちょうど、うず巻き状の段階を昇るように「Y経路」と「X経路」が相互性をもって「記憶」を「現実」のものごとと対応させてきました。
対応とは、「行動する」ということです。人間は、「行動すること」のために「記憶」して、これを表象させたり、エピソードを想起させるのです。
Y経路は、視覚だけではなく、聴覚も含まれます。したがって「左目」「左耳」で「認知」をつかさどるのです。X経路は「右目」「右耳」です。
Y経路の認知は「いつ」「どこで」「何を」「どのように」の4つの「行動のための記憶」です。X経路の認識は、「何を」「どうした」の2つの「行動のための記憶」です。これが「言葉」になり、「言語」に生成されていくのです。
Y経路の認知の発生と生成をつくるのは「父親」です。したがって、「父親不在」の場合は、「いつ」「どこで」「何を」「どうした」の4つの言葉のうち「何を」だけが認識されて、「いつ」「どこで」「どのように」は、認知はあっても、X経路が「認識」しません。
すると、事例のケースのように、「父親不在」のいくつかのパターンのうちのひとつの「心的な父親不在」を記憶して、「生きることそのものを否認されている」という絶対的な孤立の「うつ病」がつくり出されるのです。 |