みなさん、こんにちは。ポルソナーレの谷川うさ子です。
前回の号では、脳科学者「茂木健一郎」が出演して説明している「脳の話」を中心に、お話しました。出演しているテレビ番組は、NHKの『プロフェッショナルの流儀』(6月13日、再放送)でした。その後、新聞に『脳を活かす勉強法、奇跡の「強化学習」』(PHP研究所・刊)の書籍広告が出ていました。「58万部突破!」という売れゆきの好調さがアピールされていました。このテレビの宣伝効果が出て、約3万部が追加して売れたということの強調のようです。
なぜ、このようなことからお話するのかといいますと、「東京・秋葉原無差別大量殺人」(平成20年6月8日、日よう日)が起こりましたが、この事件は、誰もが「なぜこういう事件が起こったのか?」の真の原因については「よく分からない」と語っているからです。たしかに、現象的には「日記代わりに書き込みがおこなわれている掲示板」のコメントを読むと、「日頃のうっせきが爆発して」ということになるでしょう。
しかし、誰もが気がついているように、この「東京・秋葉原無差別大量殺人」の核心は、容疑者による「誰でもいいから人を殺す」という『言葉』にあります。この「誰でもいいから人を殺す」と言葉に出して表現して、これを『行動』にあらわすことに事件の本質があります。
「言葉」は、「表現された言葉」と、「表現されていない言葉」の二通りがあります。前者は、日常の中で目にする文字、文章、そして話し言葉のことです。人間は、誰でも、この「表現された言葉」を見聞きしてその人の行動の動機や目的を知ろうとします。
しかし、「秋葉原事件」の容疑者の「誰でもいいから人を殺す」という「言葉」を見聞きして、そこに、容疑者の「無差別殺人」という行動の動機や目的を正しく知ることができるでしょうか。
「淋しかったんだな」とか「彼女がいなくて、ひどいコンプレックスに陥っていたんだな」とか「働いても収入が増えないので未来に絶望していたんだな」ということくらいしか理解されません。
多くの解説や推測の文章を見聞しても、のべられていることは、だいたいこういうものです。
『週刊新潮』(08、6月26日号)に「2ちゃんねる」に投稿されている「容疑者」への賛辞がピックアップされて紹介されていました。共通する主調音は、「派遣、契約、日雇いが急増。年収二百万円の低賃金で、不要になったら切り捨てられる。若者は、現代社会に希望を見出せない」といったことによってつのらせる「抑うつ感」の感情です。
「書かれたり話されている言葉」だけに注目すれば、『2ちゃんねる』に書き込みされている言葉は、一人の個人が「誰でもいいから人を殺す」という行動を起こす動機にも、理由や原因にもなりえません。しかし、「誰でもいいから人を殺す」という言葉は、まちがいなく容疑者から発せられている言葉です。そして『週刊新潮』(6月26日号)が紹介している「2ちゃんねる」に書き込まれている容疑者への「礼賛」の「文章」もまた、不特定多数の誰かの「脳」から生成されて表現されている言葉でもあります。
「誰でもいいから人を殺す」という事件が、この日本ではずっと相次いでいることに気がつきます。「表現された言葉」だけを見ると、ここには、共通する動機も原因も、目的もよく分かりません。すると、このような「言葉」を生成する「内面」はどうなっているのか?という考察の視点が必要になることは、誰にもよく分かるのではないでしょうか。
「内面」といっても心理学でいうような実験的な推理のことではありません。また、精神医学(DSM‐Ⅳ)や、精神鑑定のような、曖昧な概念で「想定される人格的な意思」を「建築」して「設定」することでもありません。DSM‐Ⅳの、すでにアメリカの精神医学が、破綻していることの言い換えの病理学のことでもありません。解決策といえば、薬物療法で副作用を増産して新たな病理を拡大していることを指しています。
「内面」という言い方が、しばらくは流通していました。「心の病い」という言い方も同じようなものです。
この曖昧さが文学好きの日本人の心性にぴったりとフィットして、「誰でもいいから人を殺す」という「言葉」や「行動」を放置しています。放置というのは、今年になってすでに「13人」の「死刑囚」の「死刑執行」がおこなわれているように、「心の病い」がつくり出す社会病理が厳罰化によって抑止されることも含まれます。また、「10年間もつづいている自殺者が3万人」という事実のことも指します。昨年は、「3万3千人」になって、増えつづけていると報道されています。「3万2千人台」で推移してきていたものが、「3万3千人」を超えたということです。
このことは、「誰でもいいから人を殺す」という「言葉」とその「行動」は、それじたいが「負の言葉」として生み出されている、というとらえ方をしなければならないということを意味しています。
このような「言葉」は、一体、どのように生成されるものなのか?とアプローチするときの問いかけの言葉を「メタ言語」といいます。
「メタ言語」とは、「表現された言葉」を「対象言語」というのにたいして、「表現されるべき言葉」について説明するときの「言語」のことです。「超言語」ともいわれています。一般的には、「をは主語にはなりえない」という事例で説明されています。しかしごらんのように、この事例では「を」は、「主語」になっています。
実際に表現すると矛盾が発生することから、このように「表現」以前の言葉を説明するときは、「メタ言語」という言葉を用いて理論的に想定した「対象言語」のしくみやメカニズムが説明されるのです。
茂木健一郎の『脳を活かす勉強法「奇跡の強化学習」』でいちばんのメインのテーマは、「記憶する方法」でしょう。テレビでも実演と実験をやって見せていました。「鶴の恩返し」という方法です。「声に出す」「テキストを見ないで、手で書く」という肉体労働のようなことをおこなえ、というものです。目、手、声、などの知覚を動員して暗記せよ、というものです。
「人には見られたくない姿」なので「鶴の恩返し」というネーミングだと茂木は言っています。
これは、「言葉」というものを「記号」として覚える、という暗記の仕方です。「メタ言語」というアプローチから見ると「記号としての言葉」を憶えていることになるのです。そのくわしいメカニズムの説明は別途、おこないますが、ここには、「言葉」の『意味』を学習するということは、全くおこなわれていません。言葉は、原則として、どのような言葉も『概念』です。この『概念』というのは、辞書に載っているとおりの『意味』を別に学習して記憶したときにここで初めて成り立つ言葉のことです。人間の行動は、『意味』によっておこなわれます。すると、茂木の説く「鶴の恩返し」なる暗記の方法は、「行動不能」を生み出す「脳の働き方」をつくり出していることになるのです。
「行動不能」とは、いいかえると「うつ病」のことであるでしょう。「行動が止まった時」に、逃避の美化のイメージが表象されれば、「分裂病」にもなるでしょう。
このような「病気の行動を生成するための本」が、「58万部突破」と絶好調の売れ行きを示しているところに、「誰でもいいから人を殺す」という共感と絶望の背景があるのです。
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