●五木寛之(いつきひろゆき)の「うつの力」とは、バーナム効果のことです
みなさん、こんにちは。全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。
五木寛之(いつきひろゆき)と香山リカの対談本『鬱(うつ)の力』(幻冬舎新書・刊)という本があります。
読んだ方も多いと思います。
この本の話題の中心は、「うつ」と「うつ病」とは違うものである、「うつ病は治さなければならないが、うつは建設的で前向きのエネルギーを意味するものだ、という二点です。この考え方を持ち出しているのは五木寛之です。「うつ」というものは悪いものじゃない、肯定的に評価されるべきものだ、とのべています。この五木寛之の考えに精神科医の香山リカが賛同し、共鳴しています。
具体的に要点をリライトしてご説明します。
香山「以前、五木は、月よう日に会社に行きたくない、仕事がつまらないという気持ちは、人間としてふつうに起こることだ、と言った。鬱(うつ)は病気だから治さなければならないと思いこむのはどうか?と言った。
これは、私たち精神科医と同じ問題意識だ」
五木「今の世の中で気持ちよく明朗に何の疑いもなく暮らしていける人は、病気だ。毎日、これだけ胸を痛めるニュースがあれば、気分が優れないのは当りまえだ。
心がきれいな人、優しい傷つきやすい繊細な感覚の持ち主ほど、今は辛い時代だ。今の時代は、ちょっと鬱(うつ)というくらいが正しい生き方だ。それもひっくるめて病気にしてはまずい」
香山「ちょっとでも非効率的なものは切り捨てるのが今の風潮だ。
一種の自浄(じじょう)作用として鬱(うつ)が出てくる。
単純に鬱(うつ)を全部解決すればいいというものではない」
五木「鬱(うつ)という言葉を広辞苑で引くと第一義には、草木の茂るさま、とある。ものごとの盛んなさま(様子)ということだ。エネルギーと生命力があふれているにもかかわらず、そのエネルギーが発揮できない。そのモヤモヤの気のふさいでいるというのは、あくまでも第二義的な意味でしかない」
五木「鬱蒼(うっそう)たる樹木、鬱然(うつぜん)たる大家、鬱没(うつぼつ)たる野心によって明治の大業はなった、などという。
このときの鬱(うつ)は、全部肯定的だ。無気力な人は鬱(うつ)にはならない。
出口を塞がれている中で、発酵するものが鬱(うつ)だ。
鬱(うつ)の中には、憂(ゆう)という外へ向けるホットな感情と、愁(しゅう)という人間の実存を感じたときに起こるなんともいえないもの、の二つの感情がある。今の若い人に欠けているのは、国を憂(うれ)えるとか、地球環境の乱を憂(うれ)える、などの感情だ。
憂(ゆう)と「愁」(しゅう)の二つがあるということは、人間的だということだ。この時代に鬱(うつ)を感じるとは、その人は人間的で優しい人間であることの証拠だ」。
●五木寛之は、「鬱」(うつ)を倫理的に単純化して、バーナム効果をつくり出している
ここで五木寛之がのべていることは、人間にしろ、植物にしろ、それが生きている状態を保つエネルギーが封じ込められている現象のことだ、という「認知」から出発しています。「社会から抑圧されていて生きる意欲をなくしている」「仕事や学校の中で管理されてシバりつけられているので自由じゃないと感じている」「仕事の中で、生産力を上げたり、利益を追求するために労働条件が厳しく感じられるので自分の優しさや思いやりといったものが封じ込められている」、などの「認知」が「鬱」(うつ)である、というものです。
心の優しい人が「憂うつ」になる、国のことや子どもの将来のことを心配する人の「感情」が「うつ」というものである、というのが五木の「認知」による解釈です。
香山リカは、「うつ病」の患者を精神科医の位置から見て、「うつ病の原因は?」「正しい解決策は?」とは、一度も考えたことがないので、五木の現実離れした倫理観に「なるほどー」と共感しています。五木ののべる「心の優しい人」とか「気持ちが繊細な人」「生きるエネルギーにあふれている人」といったバーナム効果を喜んでいるのが、香山リカです。
五木ののべる「鬱蒼(うっそう)たる樹木」とか「鬱然(うつぜん)たる大家」「鬱没(うつぼつ)たる野心」というものについて考えてみましょう。これが「よいことである」ととらえるのは「肯定バイアス」というものです。一方の肯定される現象だけを見て、「反対の現象は見ない、無視する」というのが「心理学」でいう「肯定バイアス」です。
こういう事例をあげられたときは、その具体的な状況を考えてみることが大切です。すると、そこで「鬱」(うつ)とは、何を意味するのか?が明らかになります。
「うっそうたる樹木」は、人が入っていくこともできないような原生林が果てしなくつづく、というものでしょう。とうてい人間の生活などできるものではないという状況です。つまり、人間は、ふつうに生きられないという状況です。
「うつぜんたる大家」というのは、日本の文学者がいきづまった状態です。心中するとか、自殺する、といった「大家」のことです。
「うつぼつたる野心」というのは、一体、誰のことをさしているのかがハッキリしません。明治維新の反対勢力から見ると「うつぼつたる野心」に見えるかもしれません。
「心優しい人」が「うつになる」ということのケースに「ひどい事件がたくさん起きている」から、胸を痛めて「うつ」になるのは当然だ、とのべられています。「ひどい事件」は、10年以上もつづいています。
「胸を痛める」ということが「10年以上もつづいている」、そして「何をしたか?」が問われるでしょう。
五木は、「うつの時代がくれば、次は躁の時代がくる」とのべています。「いつかきっと時代と社会は良くなる」というバーナム効果を語っているだけです。日々の「胸の痛むような事件」については、「胸を痛めつづける」つまり、10年も胸を痛めつづけて「無気力」になり、「いつか時代はよくなる」と架空の世界に逃避するだけのことが言われています。
●「うつ病」は、日本人の共通の心の病いになっていることから、圧倒されているのが五木寛之と香山リカです
見てきたように、「うつ」というのは、ごくふつうの社会生活ができないということの「メタファー」が「意味」になっています。言葉の「意味」は、すべて「メタファー」として独自に成り立っています。「メタファー」とは、「キツネウドン」とか「目玉焼き」「たぬきうどん」といったような表現のことです。
具体的な行動を成り立たせるのが言葉の『意味』です。
「うつ」というのは、具体的な社会の中で、一人の人間が実際問題として「生きられ難い状態にある」ということを指し示す「メタファー」です。
五木と香山は、あまりにも多い日本人の自殺率の高さに圧倒されて、バーナム効果の中に逃避して離人症状態の中で、自らの「うつ」を肯定して正当に生きることの諦めをすすめている、といえるのです。
●ポルソナーレの「脳の働き方」を学習して「うつ状態」を回復させませんか?
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