●脳の働き方の学習はなぜ必要か
みなさん、こんにちは。
全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。
ポルソナーレは、昨年の夏頃から「脳の働き方のソフトウェアのメカニズム」の解明にとりかかりました。系統立てたテーマを立てて、ひとつずつ解析して明らかにしてきました。
明らかにしたテーマはいくつもありますが、いちばんのテーマは、なんといっても「人間の脳は、言葉と行動をどのように生成するのか?」です。
これは、いまだに、世界の誰も明らかにしていないもので、ゆいいつポルソナーレだけが「生成のメカニズム」を論理実証的に説明して解明しえています。
なぜ、ポルソナーレは、「脳の働き方のソフトウェアのメカニズム」を明らかにしなければならないと考えたのか?といいますと、ふつうに誰もが話したり、書いたり、読んだりしている「言葉」を、「読めない」「書けない」「聞いていない」ということの問題が、急激に、誰にとっても共通の大きな問題になっていることに気がついたからです。まだまだ、少しは余裕があるだろうと思っていたところ、もう待っていてもどうにもならないという事態になっていることに気がついたからです。
■コミュニケーションが不成立の日本人
人間は、どこの国の人も「言葉」でコミュニケーションをとって自分の生活を成り立たせます。この「言葉」は、恋愛や結婚、友人関係の中では、とくに大切です。ちょっとした「言葉」の「言い方」で関係が怪しくなるし、人を殺すとか、相手を憎む、ということが起こります。仕事の中では、「言葉」が「仕事」を行き詰まらせたり、崩壊させることも起こっています。
「東京・秋葉原無差別殺人事件」(平成20年6月8日)の容疑者は、「誰でもいいから人を殺す」という「言葉」を「メール」の「文」に書きあらわしていました。ふつうに考えると、「誰でもいいから人を殺す」という「言葉」はおかしな表現です。何のために、なぜ、どういう目的で、誰を殺すのか?ということを明らかにしてくれないと、ここには、どういう教訓も、自分に照らして学習すべき内省の課題も見つかりません。こういう事件がすでに何件も起きています。まだまだ起こる可能性は十分にあります。
■行動ができなくなっている日本人
「人を殺す」という病的にラディカルな言葉と行動でなくても、「理由」も「根拠」もハッキリしない、対策の立てようがないと思われる問題がたくさん起こっているのが、今の日本です。ひとくちにいうと、コミュニケーションが成り立たなくなっている、ということです。たしかに、「誰でもいいから人を殺す」というように、「言葉」と「行動」はあらわされています。その「言葉」と「行動」に社会的な価値や意味が全く無いのです。だからコミュニケーションが成立しないのです。誰もが、自分が話している「言葉」は、自分が話しているので「自分の考え」だとは分かっています。しかし、しばらく時間が経つと、「自分の考え」だったはずの「自分の言葉」が、風に吹かれて消えた煙のように跡形もなく何の実感も残していないことに気づいているのではないでしょうか。
こういう異常性をカウンセリングの現場や日常の中で観察して気づいたことが、「脳の働き方のメカニズム」を解明する必要と根拠になっています。
■「メタ言語」の理論でしか日本人の病気は、解明できない
今の日本人の現実は、二つの問題に集約されます。一つは、話されたり書かれたりする「言葉」が、ニセモノだ、ということです。もう一つは、「誰でもいいから人を殺す」という意味不明の言葉が、「行動」を成り立たせているので、その人の「脳の中」には、別の言葉が記憶されているにちがいない、というものです。
表現された言葉は、言語学的にいうと『対象言語』といいます。表現されない言葉のことを『メタ言語』といいます。日本人は、この『メタ言語』のことを、『言外の意味』とか『情緒』とか『行間の中の言葉』とか、『印象』などと言いあらわしてきました。「あなたの気持ちは分かるよ」という言葉が『メタ言語』です。「脳の働き方」でいうと、「右脳系に表象されているイメージ」のことです。フロイドは、これを「無意識」といいました。「無意識」とは、『対象言語』や『行動』にむすびつかない、「右脳系に単独で思い浮べられているイメージ」のことです。
■脳の働き方から見ると「病気のコトバ」が中心になっている
今の日本人は、『対象言語』と『行動』に全くむすびつかない「右脳系だけに思い浮ぶイメージ」だけで「ものを考える」という人がものすごく増えています。『対象言語』の中に「社会的な価値」として含まれている『意味』を成立させられなくなっています。
ポルソナーレは、何度もくりかえして説明していますが、「行動には言葉が必要」です。「行動」は、「自分に楽しいことか、得することがもたらされる」ということを本質にしています。これが「行動」の「価値」です。「価値」とは、「そのものが、そこにずっと在りつづける」ということが、内容です。自分にとっての「行動の価値」は、自分が健全な状態で「楽しいこと」か「利益になること」が人生をとおして永続的にもたらされることをいいます。これは、『対象言語』によって実現されるものです。『対象言語』が、コミュニケーションを成立させるからです。
「右脳系に表象されるイメージ」を「言葉」にしてもコミュニケーションは成り立ちません。これは、「永続的な価値」というものが不成立だということです。
■病気の人間どうしだけの関係が成立する理由
「右脳系にイメージとして表象している人間」どうしの関係は、成り立ちます。コミュニケーションは成り立ちませんが、瞬間的な、線香花火がチカチカと火花を散らして明るくキレイに感じられるような『関係』は、成り立つのです。「うつ病」どうしの人は、「うつ破り」を目的と動機にして、『関係』は成り立ちます。
「分裂病」どうしの人は、「右脳系の大脳辺縁系の、中隔核というトカゲの脳がつくる幸福のボタン押しのドーパミンを分泌させる『ヒモ』のイメージ」を収奪したり、支配して摂取したり、あるいは「依存」する、というどれかの『関係』が成り立ちます。『ヒモ』というのは、ポルソナーレが定義した概念です。「美化のイメージ」の触媒という意味です。「美化のイメージ」とは、イメージすれば幸福のボタン押しからドーパミンが分泌する妄想のことです。『ヒモ』は、『ブラックダリア事件』では「SMの性的イメージ」でした。『仙台・幼女100人レイプ犯』のケースでは、「幼女への性的虐待」でした。ピア・メロディのリポートでは「恋愛依存症」という相互支配のことです。
ここでは、「父親」「母親」のいずれからか「放置された」ことによる社会的な他者からの見離されの不安を埋めることが『ヒモ』の核になっています。
■脳の働き方から見た「うつ病」と「分裂病」の違いと特徴
「東京・秋葉原無差別大量殺人」は、「連続殺人」です。「シリアルキラー」といわれています。これは「うつ病」の「うつ破り」が動機になっています。これまでの「シリアルキラー」は、「分裂病」がつくっていました。
いずれも、「メタ言語」の観点から見ると『対象言語』にたいしての不適応が脳の働き方のルーツになっています。不適応とは、「うつ病」の場合は、「言葉」を「記号として憶える」ことがかろうじて可能だが、しかし、「言葉」の『意味』を憶えることができない、というものです。
「分裂病」の場合は、「言葉」を「記号として憶えることもできない」のです。「行動」が宙に浮いているように頼りなく、はかなく、足元が地につかなくて漂流しているように感じられます。
「夢遊病」というものがあります。
「入眠状態」(覚醒と睡眠の中間の状態のことです)のような「半行動停止」が、『メタ言語』から見た「分裂病」の特性です。
■「うつ病」と「分裂病」の破綻の仕方とはこういうものです
「うつ病」の特徴は、「言葉を記号として憶える」ので、資格をとったり、キャリアを重ねて「社会参加」が可能です。
しかし、仕事の環境が、転職などで変わると、『言葉の意味』を憶えていないので、新たに「仕事の言葉」を「記号としてマル暗記すること」を初めからやり直さなければなりません。
初めから丸暗記する学習過程で孤立して、「うつ病」になるのです。異動、配置転換、失業などが「うつ」に契機になります。
「うつ病」は、「対象言語」を、「行動可能なものにする」ために暗記します。
「分裂病」は、言葉を「行動とは全く無関係に暗記する」ことを特性にしています。『ブラックダリア殺人事件』を見ても分かるとおり、「分裂病」の医師は、医者の仕事をする中で「SMのイメージ」という『快感のイメージ』を思い浮べていました。この「SMのイメージ」が消えれば、医者の仕事という「行動」が停止しています。仕事という社会性の世界に居ながらにして、共時的に「右脳系のイメージ」は、「非社会性の世界」に居つづけます。したがって、「分裂病」の人は、社会のどんな場所に居ても、同時に「非社会性の中に居る」のです。引きこもり、不登校、長引くフリーター、「ネットカフェ難民」などの人は、非社会性の世界がもともとの『懐かしのケンタッキーの我家』(歌の題)であるからです。
(この項、つづきます)
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秋葉原連続殺傷(通り魔)事件
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