みなさん、こんにちは。
全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。
●「共同幻想論」とはどういうものか?
みなさまの中には、吉本隆明氏が書いた『共同幻想論』をお読みになった方もおおいとおもいます。「共同幻想」という言葉は、ヘーゲルやマルクスが明らかにした概念です。日本では、吉本隆明氏が、『共同幻想論』(角川ソフィア文庫版。昭和57年初版)を全面展開しました。今、あらためて角川ソフィア文庫版の「改訂版・共同幻想論」に収録されている発表された当時のいろんな人の感想や評価の声をみると、衝撃のおおきさや広がりが分かります。そのために、「共同幻想」という言葉そのものは知らない人はいないくらいになっています。
しかし、今は、吉本隆明氏も「共同幻想」ということは言わなくなり、また、誰も「共同幻想」という言い方はしなくなっているので、かつてほどにこの「共同幻想」という言葉は聞こえなくなりました。では、この「共同幻想」という概念は、今の時代や社会の中では古典的な言葉になってしまったのでしょうか。
ポルソナーレの谷川うさ子さんは、そんなことはない、と考えています。当時も今も、「共同幻想」という言葉のもつほんとうの恐ろしさとか、怖さというものが理解されていなかったし、理解する知的な能力が衰弱しているだけなのです。
「共同幻想」の「共同」とは、「3人以上の人間」があつまった集合のことをさしています。人間が「3人」集まれば、その場の空間は「社会」といいます。「共同」とは、広い意味でいうと「社会」ということと同じです。ではなぜ「社会幻想」という言い方をしないのか?というと、「社会」という言葉には人間の生理的身体もふくむからです。人間の生理的身体は、ひとりの人間の生きる時間に限定されています。すると、「社会」というものは、せいぜいのところ70年か80年くらいで消えてしまうものだ、という性質のものになります。しかし、「社会」というものはいろんな世代の人が、次の世代へと継承されていくというようになりたっています。ひとりの人間の意思や身体の有限性とは無関係に、「ひとりの人間」の外に成り立っているものが「幻想」だ、というとらえ方になるのです。
●なぜ「幻想」という言い方をするのか?
では、「幻想」という言葉を、なぜ「観念」という言い方をしないのでしょうか。「共同観念」という言い方でも良さそうなものです。
じじつ、『共同幻想論』についての説明の中で、吉本隆明氏も「幻想とは観念のことだ」とのべています。それならば「幻想」というような非日常的な言い方をしないで「観念」という言葉で分かりやすくしてもよさそうなものです。
なぜ、「観念」ではなくて「幻想」という言い方でなければならないのか?ということについてはそれなりの理由があります。
「観念」というものは、ひとりの人間の脳の中に思い浮べられる「イメージ」の全部のことをいいます。「全部」というのは、「イメージ」の中には、いろいろな要素があることをさしています。記号性とか、合図性とか、概念性とか、そして「概念の意味」などが要素です。
人間が思い浮べる「イメージ」は、じつにさまざまな種類があります。夢も妄想も「観念」のカテゴリーに入るのです。
「病的な観念」をさして「社会性のある観念」とはいえないとは、どなたにもよくお分りのことでしょう。
「観念」の中のひとつの「言葉の意味」だけをとくに対象にするときに「幻想」という言い方がなされているのです。
●「幻想」とは言葉の「意味」によってつくられる表象のことです
分かりやすい例をあげます。
「山」という言葉があります。この「山」(やま)という言葉には「意味」があります。
「平面よりも盛り上がっている凸部のこと」というのが意味です。この意味は、辞書にも載っているとおりです。
「3人の人間」でこの「山」という言葉(概念)の意味を合意して了解し合ったときが「共同幻想」の土台です。ひとりひとりの人間の脳の中には、「平面よりも盛り上がっている凸部」という意味のイメージが思い浮ぶでしょう。この思い浮びのことを表象(ひょうしょう)といいます。「観念」ということの完成した到達点は「意味のイメージの表象」のことをいいます。
「共同幻想」とは何のことか?というと、「平面よりも盛り上がっている凸部」の「山」で、とくに○○という山は、冬には登ってはいけないことにしませんかと「3人のうちのひとり」が提案して、のこりのふたりが了承したとします。この禁止とか、行動に制限を加えることが「共同の幻想」です。3人の脳の中に、「行動の制限のイメージ」が表象されます。
この表象されている空間性のイメージと、現実の「山」や「○○という冬に登ることの行動が禁止された実体」とは「同一のもの」であることはお分りでしょう。この同一性を「行動によって相互性が成り立つ」といいます。
この「相互性」のことをヘーゲルは「同一性」といいました。吉本隆明氏は、ヘーゲルのこの「同一性」という言葉に異議を立てて、「共同幻想というものは、人間の行動によって変化したり、またべつの異なる共同幻想を生むはずだ」と考えました。それが「国家の生成のされ方」とか「国家の中に政治的なる共同幻想を生成することになった」などの説明になっています。あるいは、「アジア的な共同幻想」になったり、「西欧的な共同幻想にもなる」と説明しています。また、「観念」が「幻想」に変わるあり方の中に「対幻想がある」し、「個人幻想」(自己幻想)がある、という説明にもなっています。
●言葉の意味に行動の制限を加えるときが「幻想」である
その核心となるものは、「言葉」の「意味」を「3人以上の人間」が「行動に制限を加えること」を合意するか、もしくは、「3人のひとりの人間」が「強制」して強引に規制や制約を加えてナットクさせるか、にあります。
「言葉の意味」に行動の制約や規制を加えたときが「共同幻想」です。
言葉を生成するのは脳です。脳の中でも「ブローカー言語野」というゾーン(中枢神経の集中域)です。このブローカー言語野は「頭頂葉のゾーン」にかかわっている「3分の2のゾーン」と、側頭葉・ウェルニッケ言語野にかかわっている「3分の1のゾーン」の二つに分かれています。
●日本人は、ブローカー言語野・3分の1のゾーンで「アジア的な共同幻想」を生成して生きている
吉本隆明氏は「アジア的なるもの」ということを、講演のCDと小冊子(弓立社・刊)の中でのべています。また「西欧的なるもの」ということものべています。もともとは、ヘーゲルやマルクスが提唱した観念です。
「アジア的なる共同幻想」は、ブローカー言語野・3分の1のゾーンが生成します。ここは、言葉の意味を憶えることができず、「ひとりの人間」(専制君主。デスポット)が言葉の意味をよく知っていて、恣意的に制限を加える、というのが「アジア型の共同体」(共同幻想)です。
「西欧的なるもの」は、ブローカー言語野・3分の2のゾーンで生成されます。「言葉の意味」をよく分かっている「3人の人間」が自由な立場で合意し合うというのが「西欧的なるものの共同体」(共同幻想)です。
もともと、「言葉」とその意味は、「ブローカー言語野」の「3分の2のゾーン」で生成されています。その生成のしくみは、「脳の働き方のメカニズム」として、ポルソナーレが世界で初めて解明して明らかにしました。
●現実と人間の観念とが「相互性」をもつから「幻想」というのである
みなさまにお伝えしたいことは、日本人は、「アジア型の共同幻想」を、ひとりひとりの人間が「ブローカー言語野・3分の1のゾーン」に表象している、ということです。日本人の脳の中の「ブローカー・3分の2のゾーン」には、生理的身体の知覚が経験する空間性の認知と認識しか表象されていません。「どこどこのクリスマス・ツリーのイルミネーションはきれいだった」とか、「どこどこの紅葉はきれいなようだ」というような経験則にもとづく記憶しか思い浮べられません。とても「共同幻想」といえるものではないのです。
●日本人が今、置かれている困難の実体を教えます
しかし、日本人の中にも、アメリカが中心となって開発した「金融商品やサーヴィス」をよく理解している人がいます。こういう人が、「金融商品」の「信用」とか「価値」というものを「日本人のアジア型の共同幻想」の上にあたかも「専制デスポット」のように覆いかぶせました。日本人のひとりひとりのおおくの人は、「言葉の意味」をただ丸暗記することしか出来ないので、日常生活は「アジア的な対人意識」で生活して、仕事をするときも「アジア的な行動パターン」(米をつくるとか、野菜をつくるなどの行動パターンの労働の仕方)で「西欧型の共同幻想」の「金融資本主義」の中に出かけて行って、「収入を得る」ということをおこなっています。
「意味」が分からないままに強制された「言葉の意味」のとおりに「行動」してきているのが日本人です。日本人は、自分の「ブローカー言語野・3分の2のゾーン」に「言葉の意味」を学習して、憶えるということが出来ない脳の働き方のメカニズムをつくり上げています。それが「アジア型の共同幻想」というものです。
●日本人のひとりひとりは、抱える「社会不適合」のものの考え方が勝手な安心を求めて自己崩壊しています
すると、ひとりひとりの日本人は、生育歴や家庭環境でつくった、「社会不適合」のものの考え方を身につけています。
いいかえると「アジア型の共同幻想をつくるものの考え方」を身につけています。吉本隆明ふうにいうと「アジア型のものの考え方」の典型は「対幻想」ということになるので、「性」を中心にした対人関係の妄想をおおくの人が抱えています。また、「個人幻想」は、恣意的な意味を組み立てて芸能や詩を歌うことや、漂流する小説を書いたり読む、ということをおこなって自らを解体させています。「ブローカー言語野・3分の1のゾーン」であがき、もがきをくりかえしてるのが日本人の脳の働かせ方のパターンです。
●ポルソナーレの「カウンセリング・ゼミ」の「お試しカウンセリング」のご案内
ポルソナーレは、このような「世界同時不況」の圧力や解体の病的漂流から脱出するには「脳の働き方」を変えるしかないと、アピールしています。
くわしいことを知りたい方は、こちらからお問い合わせください。
https://porsonale.com/t10.html |