ポルソナーレのサイト内検索
全日本カウンセラー協会・ポルソナーレのマスターカウンセリング
読むだけで幸せになる手紙
認知症(痴呆症)を予防、改善したいなら
|
---|
ポルソナーレは、長い間、人間の脳の働き方を考察してきている。 脳の働き方の基本は、「言葉」の生成のメカニズムのことだ。 今の現代は、テクノロジーを使った「人工知能」の実用化と産業化が関心事だから、「人間の意識」とか「人間の行動」というものを正面から考えようという人は、どこにもいない。 だが、人間の脳の働き方は、「人類」がつづくかぎり、人間にとっての本質である。 「人工知能」がどれほど性能を高くしても、ここで得られる利益は、「人工知能」に関わり、所有し、利権をもつものだけに限られる。 多くの人は「人工知能」の利用の代価を支払うだけの立場になる。 ポルソナーレの考察では、「人工知能」とそのもともとのテクノロジーの通信技術は、通信速度に本質がある。画像や文字、文を画面(ディスプレー)に固定的に表示してみせつづけるというのがテクノロジーだ。 人間の脳の「右脳」の『実像』(目の感覚と、この感覚の知覚を『認知』につくる視覚の領域)の自律神経の交感神経が働く層がある。ものごとの「客観」を「知覚」し、そして「認知」する。 通信技術は、「見る人」がいればお金になるから、ありとあらゆる「情報」をディスプレーに表示させる。 ウソも本当も、娯楽も犯罪も、病気も事実も、全てだ。 問題は、画面(ディスプレー)に表示させて、「人間の目に見せる」ということにある。 人間の脳につながる「目の働き」は、ものごとの現実や事実の中のルール、きまり、約束と、その「言葉」を見なくなる。テクノロジーにお任せして、与えられたものを受けとり(見ること、聞くこと)、与えられたとおりに「分かった」と思い「嬉しがり」、「人にしゃべり」、そして「行動する」。これを従属という。依存とは、隷属の言い換えでもある。 ある女性の話だ。中学生の女の子がいる。この女性の子どもだ。 母親である女性が、あれこれと生活のこととか人間関係のことを説明して、教える。しかし、中学生の女の子は、母親の言うことを聞かない。いちいち否定する。「ちがうよ」「まちがっているよ」と言い返すのだという。 「なぜそんなことを言うの?」と問うと、「ツイッターで言っていたよ」。 インターネットの「情報」が正しいのか?間違っているのか?が問題であるのではない。日常の中の人間関係や社会的な関係が壊れていることが問題になる。この中学生は母親に対して「尊大」にふるまい「イバり」、「見下し」ている。テクノロジーに依存している。すっかり従属している。 人間の目と耳は別々の場所にあるが、脳の中では隣接していて、共時して働いている。 「右脳・実像」(目の視覚の感覚と知覚の二つの働きをつくる)の中で、「客観の部位」をテクノロジーが占領すると、人間の「左脳の言語野」の「聴覚野」(左脳・側頭葉)もテクノロジーに占領される。 すると、ごくふつうの言葉のもつ決まりごと、言葉で言い表すルール、言葉のもつ社会性が聞こえなくなる。 完全に止まるのだ。 社会生活、人間としての共同や共生の生活を生きていくことはむずかしくなる。 駅のコンコースの人混みの中をスマホを持ち歩いて、見ながら歩くのを止めたくない人とは、そういう人のことだ。 前置きのつもりの説明が長くなったが、ここからが本題だ。 パソコン、スマホ、デバイスなどの画面(ディスプレー)への依存というテクノロジー依存と全く同じ脳の働き方をおこなうのが、仕事、学校の勉強の中の「聞き書き」である。 「聞き書き」とは、説明する人の話を「せっせ、せっせとノートに書き取ること」だ。パソコンとかデバイスにせっせ、せっせと入力しつつ聞く人もいる。 「ものを見る」という眼と自律神経の交感神経は働いていない。「ノート」「パソコン、デバイスの画面」だけを見る。 「眼」は「副交感神経優位」になる。 ここでは、眼の交感神経がつくるゲシュタルト形態原理の認知は止まる。 「目で見る」という「感覚」のみが働いている。 目の働きの「認知」という内容は、積極的に放置されて、拒否されている。 日本語は、已然と未然にもとづいて文を構文とする。これは、「外扱い」「内扱い」をつくる。 外扱いとは「貴様」「御前」を「尊い方」「神様の御前」と、共同の規範として扱い、言い表すことだ。 内扱いとは、「貴様」をキサマ、このヤロウ、キサマ、ともともとの正しい秩序をガチャガチャに好きなように壊すことだ。 「御前」をオメエ、オマエ、テメエ、オメエって奴、と同じように自分の欲にもとづいて適当に作り変える。 この壊した意味のとおりに「言い表す」「行動する」ことだ。 自分の好きなようにつくり変えて憶えて、これを言葉にして、行動にもあらわす。 「行動」が成功することもある。試験に合格する、などだ。多少失敗しても仕事は成り立つ。 すると管理職になることもある。内扱いの尊大でイバり、押しつけるから有能な管理職のようにも見える。 認知症(痴呆症)とは「体験を忘れることだ」といわれている。「さっき食べた食事という経験も忘れる」。 体験とは、他者と共通する行動のことだ。経験とは、身近な人と共有する秩序性のある行動のことだ。 それは、「貴様」を「キサマ」と秩序破壊することがつくる「体験の忘れ」と同一である。 「御前」を「オマエ」「オメエ」「テメエ」とののしり語に変えて、尊大にイバり、相手を支配する「内扱い」がつくる「体験の忘れ」と同じことである。 この「内扱い」の尊大(イバり)がミスをつくり、仕事を失敗させ、損害をつくって責任をとらせられるか、責任におびえるときの行動が「認知症」(痴呆症)なのである。 「聞き書き」を止めた人は、認知症状態から回復している。その効果は驚くべきものだ。 |
谷川うさ子さん |
関連ページ:脳を発達させる日本語トレーニングペーパー パートIV、第9ヵ月め学習テーマ 認知症(痴呆症)の改善の仕方への真実の愛のメッセージ 関連ページ:脳を発達させる日本語トレーニングペーパー パートIV、第9ヵ月め学習テーマ 日本人の最大の問題である「要介護状態」「認知症」(痴呆症)の予防、防止、改善 ◎この「読むだけで幸せになる手紙」は、メルマガでも配信しています。 メルマガ申込みはこちら。 メルマガバックナンバーはこちら。 | 谷川うさ子さん |
←前へ 次へ→