「うさ子お母さーん、お腹が空いたよー、なんかない?」という場面です。「うさ子お母さん」がお皿に何かをのせて、運んできます。10メートル先にいます。ここでは、お皿のものは何かは分かりません。最初の「パターン認知」です。この「パターン認知」は「食べ物である」ということを認知します。
すると、子どもは「食べ物」ということを「認識」します。「うさ子お母さん」がお皿を手に持って近づいて来ました。5メートル先にいます。
お皿のものが見えます。「パン」であることが目に見てとれます。「パン」という食べ物の種類が「パターン認知」として認知されます。同時に、「パンであること」が認識されるのです。「うさ子お母さん」が近づいてきて、1メートル先にいます。この位置からはお皿の食べ物の「パン」は、いよいよ、その特性の全貌をあらわします。どういうパンか?という中味にかんする「パターン認知」です。ジャムパン、フランスパン、アンパン、メロンパン、トースト、フレンチトーストなどといろいろと種類が数ある中の「どれか」という「パタ—ンが認知される」のです。そのどれでもなくて「うさぎの形状の耳が長い像のパンのようだ」という認知が「視覚」のY経路をとおして認知されます。
ここでは「うさぎパンのようだ」という認識が「左脳」に記憶されるのです。「うさ子お母さん」が「どうぞ召し上がれ」とお皿を目の前に置きます。
子どもは、手に取るでしょう。「うさぎパンだ」と目で見て分かります。
瞬間的におおざっぱに見ただけですからまだ「パターン認知」の「認知のレベル」です。すると、「左脳」では、「うさぎパンだ」ということを「認識」します。目の前のお皿にはまぶしくキラキラ輝いている「うさぎパン」が、香りもかぐわしく圧倒的な魅力で迫ってきます。思わず手に取って口もとに近づけずにはいられません。するとここでも「Y経路」による「パターン認知」がおこなわれます。こんがりと焼けている色、ふんわりとした手触り、いかにもおいしそうなうさぎの顔と耳のつやっぽい輝きなどが大きく、どっとクローズアップして目に見えるでしょう。
「うさぎパン」の長い耳、ぶどうで出来ているつぶらな目、ニンジンで出来ている口がパッと目に入ります。それしか見えません。この記号的な「しるし」が「パターン認知」として「右脳系」の海馬に記憶されます。ぱっくりとかぶりつくと、これらの特徴的にクローズアップして見える記号的な「パターン認知」が「左脳」で記憶されます。この記憶が「認識」です。
10メートルの位置から5メートルの位置まで近づいてくる、さらに1メートルの位置から手に取って口もとまで近づいてくるという「うさぎパン」を対象にして「認知」と「認識」の系統的なシステムのモデルをご説明しました。このモデルは、「具体物」がどんどん抽象化してゆき、やがて記号的な抽象性の「形」になる、というように置き換えることができます。そのよい例が「文字」です。「山」とか「田」「木」「人」などの漢字はもともとは具体的な事物を抽象化して記号的な「形」にまで抽象度をすすめて文字になったものだといわれています。最初の具体的な事物は「パターン認知」として「右脳」に記憶されます。
最後の「象形文字」としての漢字は「左脳」で認識されて記憶されています。
「認知」と「認識」が相互にくりかえされてつみ上がり、最後は「記号性」の「形象」が「左脳系の海馬」で記憶されるという構造をご理解いただけていることと思います。
重要なことは、「左脳」で記憶される「記号ふうの形象」は、それが「文字」であれ、記号そのものであっても、「右脳」に「パターン認知」に相当するイメージが対応しているということです。表音文字のどれかならば任意のイメージが思い浮ぶでしょう。「あ」という表音の音をあらわすと「雨のあ」「アサガオのあ」「アイスクリームのあ」などというように恣意的なイメージが思い浮びます。この「右脳」に思い浮ぶイメージが「言葉の意味」に相当します。「雨」という漢字ならば「空から降ってくる水分の粒」というイメージが意味になるのです。 |