ポルソナーレのサイト内検索
日本人の男性は、視床下部の欲の脳「背内側核」の空間認知から客観を目ざして行動する、しかしほとんどの男性は丸暗記で主観を表して立ち止まっています、とレクチュアするのがポルソナーレのマスターカウンセリングです。 |
||||||||
クマ江さん |
平成26年11月10日、『俳優・高倉健』(83歳)が悪性リンパ腫によって亡くなりました。 また、平成26年11月28日には、『俳優・菅原文太』(81歳)が転移性肝がんのために亡くなりました。 『俳優・高倉健』は「豪放、豪胆な健さん」「寡黙でしゃべらないけど、気遣う人で、思いやりのある優しい健さん」という、日本の男性の社会的な到達点の男性を演じつづけた人です。 『ベルサイユのばら』(池田理代子)の主人公「マリー・アントワネット」と「オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ」の2人の女性が日本の女性の知性層の女性の成長の《肯定面》だとすると『俳優・高倉健』は日本の男性の《肯定面》。 では、男性のあなたの《否定面》とその対策とは? (熊野クマ江) | |||||||
ポスト『俳優・高倉健』の《肯定面》に対して、 |
||||||||
クマ江さん |
●個別の相談の事例「私は化学製品の営業職の男性です。 私は、幼い頃、父と母の耳をふさぐようなケンカを見て育ちました。今、営業職なのに笑顔のあたりまえができません。 私も『高倉健』のように生きられますか?」 (浅田登志男・42歳(仮名)・神奈川県川崎市高津区坂戸、会社員) (謹告・相談者は仮名です。住所、地域、団体も仮名です。相談の内容も合成し、再構成しています。特定の個人の相談、悩みとは一切無関係です) ①私は、化学製品の営業職を担当して働いている会社員です。 42歳ですが、まだ独身です。 私は、会社勤めをしていますが、社会性の能力に乏しいと思っています。社会性の能力に乏しい例が、笑顔を自然にあらわせないということがあります。営業職なのに、自然な笑顔で、相手の人の顔を見ながら話すということができないのです。 仕事はきちんとおこなっているので人よりも劣るということはありませんが、人間関係で他者と親しくなり、親密な関係を築くということができません。人と話すとにこりともできなくなり、むっつりと怒った目つきになるのです。 ②私は、子どもの頃、10歳になるかならない頃には、控え目な性格になりました。この控え目な性格が自分でも嫌で、これを隠そうとするコンプレックスが働いて、わざと負けん気を強くして、我の強さを前面に出そうとするようになりました。これが人と話すときは何かにつけ怒った言い方になり、その怒るべきことを社会的に認められているようなことに向けると一種の正義感のように映り、むっつり顔でも、怒り顔でも、ひきつり顔でも許容されているように思い、自分のコンプレックスが隠されて安心しました。 ③私のこの性格は、父親と母親の激しいケンカを見て育ったためだと思っています。母親は、いつも父親への不満があるらしく、家中で何をやっていても心から晴々とした表情を見せたことがありません。 母親の表情を見ているうちに、人は、今、このように平和そうな表情を見せているが、しかし実は、これは仮面のようなもので、この表情の下からは怒りや悲しみや憎しみや諦めや絶望といったいくつもの顔が覗いているように思えて、会話では、何か、自分が悪いことをしたかのような焦りを感じます。 ④会社の中での人間関係がこんなふうですから当然、女性関係にも気後れします。 女性に自信がなく、積極的になれないのです。 長い間母親を見てきたせいか、女性のにこやかな表情にも隠されている表情があるように思ってしまい、疑いの目で見てしまいます。 今、仕事から離れるとほっとして毎日、だらだらと趣味の音楽だのゲームだのばかりに逃避している状態です。 私に未来はあるのでしょうか。 |
|||||||
■ポルソナーレのマスターカウンセリングのプレビュー
|
||||||||
クマ江さん |
●「俳優・高倉健」の死うさ子さん、『俳優・高倉健』が、平成26年11月10日に亡くなったよね。 平成26年11月28日には、『俳優・菅原文太』が亡くなった。 どちらの俳優も、日本の男性の憧れの男性俳優だよね。 ちょうど、『ベルサイユのばら』(池田理代子)の2人の主人公の女性が、日本の女性の知的な自立の能力をもつ層にとって憧れの対象であるのに見合っているね。 俳優の『高倉健』と『菅原文太』は似ているところと異なるところがあるけど、どこが似ていて、どこがどう違うんですか? | |||||||
俳優・高倉健さんも、俳優・菅原文太さんも、吉本隆明さんによる『心的現象論序説』(角川文庫)でいう『心的領域』に表象した男優であるということをしっかり分かる必要があります。 この点は、池田理代子の『ベルサイユのばら』の2人の女性の主人公『マリー・アントワネット』と『オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ』の場合も同じです。 日本の男性は、自らの脳の言語領域の『心的領域』に『俳優・高倉健』と『俳優・菅原文太』のいずれかを表象させて、自分の男としての社会的な到達点のあるべき姿としました。 日本の女性は、池田理代子の『ベルサイユのばら』の『マリー・アントワネット』か、もしくは『オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ』を自分の女としての目ざすべき姿として表象させたのです。 | うさ子さん |
|||||||
クマ江さん |
『俳優・高倉健』にみる男性としてのあるべき姿って、どういうものなんですか? | |||||||
●佐藤忠男の批評 平成26年11月20日付の日本経済新聞に、映画評論家の佐藤忠男が次のように書いています。 ■日本映画の男のスタートは、阪東妻三郎、大河内傳次郎、三船敏郎などの豪放タイプの流れがあり、高倉健はこの豪放タイプの最後の超大物だった。 高倉健は、『幸福の黄色いハンカチ』で、日本男子の辛さを正直に真剣に演じる俳優となった。それは、女性にまじめな愛の告白のできない苦しみというものであり、日本のまじめな男たちの多くが黙って胎(はら)の中に抱え込んでいる問題である。 健さんは、強がりのいい格好を克服して自分流の優しさを確立していった。 自分に与えられた立ち位置を自分で検討し、辛抱したり改善を試みたりしながら、日本文化の一端にある変化をもたらした俳優、それが高倉健であると思う。 ■『俳優・高倉健』は、日本の文化に影響を与えたというのが佐藤忠男の理解です。 ここが問題になるところです。 日本の文化に影響を与えたのではなくて、日本の男性が伝統的に継承してきた日本の文化というものを体現しているのが『俳優・高倉健』です。 ビートたけしが『東京スポーツ』(平成26年11月20日)で、高倉健のエピソードをこう話しています。 車で銀座を走っていて、コーヒーを飲むのにちょっと停車したら、酔っぱらいが車の後ろのドアを開けて、健さんに言った。『渋谷に言ってくれ』って。タクシーと勘違いしたんだ。健さんは何も言わずそのまま酔っぱらいを車に乗せて渋谷に行ったっていうんだ。 着いたら酔っぱらいが『いくらだ?』って言って、健さんは『いや、私、高倉の車ですからいりません』。 『えっ!?ただなの?あんたいい人だね』って。酔っぱらいは高倉健を運転手代わりにしたなんて、いまだに信じられないだろうね」 『週刊文春』(平成26年12月4日号)には、こう書いてあります。 健さんが本当に心を許した人は数が少なかった。俳優では小林稔持さん、中井貴一さん。 それに毎日通っていた理髪店の主人Sさん、都内で飲食店を経営するJさんです。それ以外の相手には、常に『高倉健』を演じていたと思います。(健さんの友人の話) これは、『俳優・高倉健』を日常生活の中でも演じていたっていうエピソードと証言です。何を演じていたのかというと、自分はこういう行動スタイルの男である、一途に、自分の行動の仕方の優しさや気遣い、礼儀正しく、折目のきちんとした忍耐の人を表象するが、こういう男なのでどうぞよろしく、っていう記憶とその実践を表象する、という演技です。 これは、日本人の脳の働き方のブローカー言語野・3分の1の主観のゾーンの表象の到達点です。 日本の男性のものごとの認知が、対象を不問にした認識の仕方のモデルになるのです。 |
うさ子さん |
|||||||
クマ江さん |
もう少し分かりやすくするために『俳優・菅原文太』についてお話してくださいよ。 | |||||||
『俳優・菅原文太』についてのエピソードが書かれています。 『夕刊フジ』に、映画監督・杉作J太郎によるエピソードです。 10年前に、雑誌の取材で、最初で最後の対面を果した。インタヴューの直後、忘れがたいやりとりがあった。 『仁義なき戦い』に『トラック野郎』など、文太さんの映画で育ってきたので、とにかくお会いできたことが嬉しくて、それが顔に出ていたんでしょうね。文太さんが真顔で『君は少しへらへらしすぎだね』とおっしゃったんです。憧れの人からまさかのダメ出し。あまりのショックに血の気が引いた。すぐに謝罪した。 文太さんは、しばらく間をおいて、真顔でこう返した。 『手遅れだよ』。 しかし、その表情に独特の優しさを感じた。コミカルなシーンの中の真顔と同じで、愛が見えた。 この『菅原文太』と同じエピソードを、『高倉健』について薬師丸ひろこ(50歳)が『野性の証明』でデビューした時、いつも『高倉健』が一緒にいて買い物や食事に連れていってもらって、人としての生き方も教えてもらったと言っている。 『チャラチャラするなよ、て釘を刺されたんです』 (佐藤純弥監督の話) 『俳優・菅原文太』は、『実録・仁義なき戦い』(深作欣二)の中の理不尽な親分らに振り回されてひたすら苦悩に悩み、無力なヤクザを演じました。それは、日本の男性らが、会社とか組織の中の人間関係の中で、じっとガマンして辛い想いを抱えながらも、弱い者の立場に立つという義のある反骨の男性を、私生活の中でも演じつづけたのです。 それが『ヘラヘラするなよ』『チャラチャラするなよ』(高倉健)であったのです。 |
うさ子さん |
|||||||
クマ江さん |
●「吉本隆明」とはあるべき姿のあるべき目標のことである
|
|||||||
●相談の事例の《否定面》の本質 相談の事例の男性は、『俳優・菅原文太』のメタファーである現実の中で精神を『共同体』や『共生』の言語領域までガマンして、ねばり強く高めようとする《否定面》すなわち《利益点》を表象しています。 日本人の対人意識は『内扱い』と『外扱い』とで二重の構造になっていますが、それを、自分の父親と母親のトラブルから学んでいます。 多くの日本の男性は、『内扱い』に走って、誤解した『高倉健』を演じて他者にも自分の身近な人にも無関心に陥っています。 一方、インターネットの中では誤解した『菅原文太』を演じて、デイミアン・トンプソンのいう『依存症』に陥り、心的領域の中で内扱いの心的異常を拡大しています。いずれも主観で何が悪い?!という心的異常が共通しています。 |
うさ子さん |
|||||||
クマ江さん |
ポルソナーレの学習のすすめ日本には、ポスト『俳優・高倉健』、ポスト『俳優・菅原文太』のあるべき姿として吉本隆明さんがいるね。 抽象名詞文『AというものはBということである。なぜならば…(文型)』で、日本の男性は、吉本隆明さんを『あるべき目標』にして、アマゾン・ドット・コムの『商品・カテゴリー』を脳の言語野に実現してほしいですね。 |
Part30にもどる Part32にすすむ
連載バックナンバーはこちら