■では、「輸入品」ではない「日本の文化」とは何か?について大野晋は、こうのべます。
◎例
「行こうと言ったんだけれども、いやだと言ったもんだから、怒っちゃって、帰ってきたんだ。」
■解説
?この表現の文例には、表現以前の「事実」の上での文脈がある。「事実」とは、例えばクラス会のことだ。クラス会にはいつもの親しい4人が集まるのだと「聞き手」に知らせて、「本人」はクラス会に行って、帰ってきた。こういう事実経過だ。この文例は、そのような事実をふまえた発言である。聞き手は、いつもの4人が会うことを知っている、ということを前提にしている。この前提を「了解されている」ものとして表現している。だから、A、B、Cの発言は、それらの人物のふだんの発言から「発言者」が誰であるかと推測できるはずだ、という判断がある。そこで、「Aがこう言った」「Bはこう言った」「Cは、こう言った」という主語相当の語句の省略がおこなわれている。
?日本人は、弥生時代以来、農村社会が中心だった。村という「内(輪)の」中で会話してきた。
「村」も「内(うち)」という輪の一つだった。他所者(よそもの)は村の中に入れない。会話しないということだ。日本人の「内(うち)どうしの人間の会話」は「誰が」ということは分かりきっているので言わなくてもいい、という省略の表現の仕方になる。日本人は、「相手に分かっていることは省略する」という「文法形式」をつくった。それが助詞の『は』や『が』『を』の基本型だ。
「相手が知っている」ことは助詞の『は』で示し、「相手が知らないこと」は『が』で示す。「相手が知らないこと」は「動詞」の内容だ。だから、日本語の構文は「動詞」か「助動詞」を文の最後に示す。
■日本語に見る「日本文化」の特性とは言葉の表現を「省略する」ということです。
「省略」とは、「相手と自分は同じ内(うち)なる輪の中の存在だ」ということを相互了解として成り立たせて、「内容を説明しない」ということです。これは、「内容を知らなくてもいい」という言語の能力のあり方にも通じます。
金田一春彦は『日本語』(上・岩波新書)で、日本語そのものの「曖昧さ」(意味が省略して成り立っている語句)の例を紹介しています。
次のようなものです。
1.お願いするときの慣用句
「よろしくやってくれたまえ」(部長が課長に言う)
「○○さんによろしく」(道路で会ったときなどのあいさつ相当の言葉)
「今年もどうぞよろしくお願いします」(新年の年賀状に書くあいさつの文)
■解説
?「宜しく」と書く。「よろしく」は「宜しい」(形容詞)の連用形から副詞に転じた。
?「宜しい」は、「悪くない」「適当に」「許容の範囲で」という意味だ。「良い」という形容詞は積極的な評価だが「宜しい」は、「ほどほどに良い」という評価になる。
?語源は、「自分の居る位置に寄って来て、自分の身に添うように近づいた言葉なり、行動をあらわしてほしい」という依頼の意味になる。
?文例では、主語に相当する語句が省略されている。
「どういう仕事を、どのような範囲や水準でおこなうこと」を「よろしく」と伝えることが省略されている。
「○○さんによろしく」は、「しばらく会っていないが、いつも気にかけている。機会があったらお会いしましょう」といった主語相当の語句が省略されている。
「今年もよろしくお願いします」は、「前年の一年間は、AのことやBのことで助けていただいた。かくべつのお骨折りをいただいた。AのことやBのことばかりではなく、Cのことでもお世話になりたいと願っている。そのためのお骨折りでお世話になることを、今年もよろしくお願いします」という主語相当の語句が省略されている。
?このような「省略」は何を意味するのか。日本人の日本語による「あいさつ」は「祝意」「謝意」「親愛」の意をのべる言葉のことだ。日常の「あいさつ」(挨拶)は、「親愛性」(自分は、あなたと同じ内(うち)に属していますよ)(あなたと同じ内(うち)に所属させてください)を伝えるという意味をもつ。したがって、「挨拶がない」という批判や批難が起こるのは、「お互いは、遠く離れた位置関係にある。遠くのものは妖怪と同じで恐いものだ」という日本語(和語)の区別意識になる。
?「よろしく」(宜しく)という言葉で「主語相当の語句」の省略は、どういう「非親愛」の表現になるか。
1.恐怖(近づかない)
2.畏怖(遠くから見るだけ)
3.畏敬(怖いけど大切に思う)
4.尊敬(学び、マネたいと願う)
5.敬愛(遠くから親しい目を向ける)
6.親愛(思い出せば親しい気持ちになる)
7.愛狎(あいこう)(ぞんざいに扱う)
8.軽蔑(好きじゃない、いや嫌いと遠ざける)
9.侮蔑(存在そのものを認めない扱いをする)
これは大野晋による「敬語の体系」だ。「よろしく」と言い「主語相当の語句・文」の省略は、プロセスの7の段階にあり、8,9の行程に向かって進行していると見なされるものだ。 |