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カウンセラー養成ゼミ NEWSLETTER 第228号
11期17回め平成21年10月10日

ハーバード流交渉術・脳の働き方と言語の学習回路
浅見鉄男「井穴刺絡・免疫療法」

脳の働き方・言葉の生成のメカニズム
言語の生成・VII
日本型の分裂病の構造
客観表現のモデル「ハーバード流交渉術」

はじめに

 カウンセラー養成ゼミ、中級クラス、スーパーバイザーカウンセラー・認定コース、Aクラス、№43のゼミをお届けします。
 今回から、日本語に焦点を当てて日本型の分裂病の構造をご一緒に考えます。
 これまで、日本語は「主観の表現」を目的とする『文法』で成り立っていることをご説明してきました。日本人は、長い間、「主観」を表現して会話をしたり、仕事をしたり、学業をおこなってきているので、「主観」が何であるのか、どういう不都合があるのか?に気づくことはありません。この気づきと自覚のないところで、不適応や不適合を産生しつづけています。このことからご一緒に考えてまいりましょう。

ポルソナーレ代表田原克拓

本号の目次

  1. 日本語の「文法」の特性を正しく理解しませんか
  2. 乳・幼児の「メタ言語」が文法の構造
  3. 言語の「文法」は「行動」のためにある
  4. 「主観」とは何か?「客観」とは何か?
  5. 日本語の文法の「主観」の実体について
  6. 日本語の「省略」の構造
  7. 日本人の「内意識」は「表意語句」を生成した
  8. 日本語の「客観表現」との不適合の証明
  9. 対人関係の不適応
  10. 日本人が「ハーバード流交渉術」をマスターできない不適合の理由

脳の働き方・言葉の生成のメカニズム 言語の生成・VII
日本語の分裂病の構造
「ハーバード流交渉術」と日本語

?ご案内いたします

一、カウンセラー養成ゼミ、中級クラス、スーパーバイザーカウンセラー・認定コース、Aクラス、№43のゼミをお届けします。

二、今回より、日本語に焦点を当てて「日本型の分裂病」の生成のしくみと実相をとらえます。

三、分裂病とは、病理学の見地からは「言葉」(概念)とその「意味」の乖離のことを意味します。日本人は、「漢字・漢語」にかんしてこの乖離がいちじるしいことをご説明してきました。

四、今回からは、この「意味の乖離」が日本語(和語・やまとことば)でもおこなわれていることを明らかにします。

「日本型の分裂病」とは?を再確認しましょう

 「精神分裂病」とは?について、精神医学史の原点に戻ってご説明しました。E・クレペリンやE・ブロイラーによる精神医学です。要点は、「輪ゴム」のゆるみ、たるみにたとえて「弛緩・しかん」を中心の症状とする、というものでした。

 なぜ、「輪ゴム」のゆるみ、たるみと同じように、人間もゆるみ、たるみ(弛緩・しかん)をつくるのか?というと、E・ブロイラーは、「連想するからだ」と指摘しています。

 「連想」とは、現実的には無関係に存在するものやことがらを、恣意的につなげて、関連づけて「イメージすること」をいいます。

 「連想ゲーム」というものを想定すると分かりやすく理解できます。

 「さよなら三角、また来て四角。四角はトーフ、トーフは白い。白いはうさぎ、うさぎは跳ねる。跳ねるはカエル、カエルは青い…」というのが日本人の「連想ゲーム」です。ごらんいただいて分かるとおり、初めの言葉の「三角」と「四角」は、見た目に何らの共通点はありません。

 しかし、「三角」と「四角」、「四角」と「トーフ」というように連続してつなげられて、そのものの実在物がイメージされています。

 「連想」とは、こういう性質のものです。

 人間の脳は、いつでも、どこでも、原則として一生、死ぬまで何かの「イメージ」を思い浮べる、ということを本質にしています。このように、目的もなく、意図もなく、必要の自覚もないのに思い浮ぶイメージの現象を「表象・ひょうしょう」と定義します。

 この「表象・ひょうしょう」に対して、「行動」の必要や目的や意図をもつイメージを「表現・ひょうげん」といいます。

人間の「観念」のしくみ

 「人間の脳」は、表象(ひょうしょう)と、「表現・ひょうげん」の二とおりのイメージづくり(思い浮べ)をおこないます。表象(ひょうしょう)と「表現・ひょうげん」の二つを合わせた「イメージ」を「観念・かんねん」といいます。

 人間には、「観念」がなぜ『存在』するのか?を説明するのは、新生児、乳児、乳・幼児の脳の働き方のメカニズムです。脳の働き方のメカニズムとは、「言語の生成の構造」のことです。目、耳、手(指)、口(声帯)、皮ふなどの「五官覚の知覚」の「記憶」が、左脳と右脳に分化した記憶へと進化したことが「メタ言語」の構造を生成したと思われます。

 三木成夫の学説にしたがって、人類の生起と起源までを、仮説として視野に入れることを可能にするのが「乳・幼児の脳の働き方」という「メタ言語」のしくみです。

 人間の「観念」を成り立たせる「メタ言語」は、「無意識」とも呼ばれます。「メタ言語」は、「表象・ひょうしょう」と「表現・ひょうげん」のいずれかに向かっていきます。「表象・ひょうしょう」と「表現・ひょうげん」を分けるものは、「右脳系の海馬」と「左脳系の海馬」です。「左脳系の海馬」は、「右脳系の海馬」の記憶につながる五官覚の知覚の体験の「記憶のイメージ」を「対象的」にとらえて、これを「左脳系の海馬」に記憶します。

 なぜ、このようなことが成り立つのかというと、「左脳」はデジタル脳で、「右脳」はアナログ脳だからです。デジタルは、「デジット」という語に由来しています。指を立てて、一本ずつ折って数える、という意味です。アナログは、「アナロジー」という語に由来しています。「よく似ている」「相似的である」という意味です。

 「左脳」と「右脳」は、大脳生理学では「左半球」「右半球」とも呼ばれています。なぜ、人間だけが、左脳と右脳を発達させてきたのか?と考えてみると、それは、「脳の交叉(こうさ)支配」にもとづくとしか考えられません。「交叉(こうさ)支配」とは、身体の左側は「右脳支配」、右側は「左脳支配」のことです。左目、左手、左耳、左足は「右脳支配」です。右目、右手、右耳、右足は「左脳支配」です。

 たとえば「手」の働き方を考えてみると、左右の手が同時に同じ動きをすることは稀です。左手で押えて、右手で対象と関わります。

 「関わる」とは、「所有する」「摂り込む」「同化する」といったことです。この作業の分化と独立性が「左脳」と「右脳」の大脳新皮質の生成と高度化の根拠になったのではないかと、仮説として考えられます。

人間の「観念」は表象と表現の二つが内容

 人間の「観念」とは、「人間的な意識」ともいわれます。

 この「人間的な意識」とは、何のことでしょうか。人間の脳は、四つの野(や)に分かれています。前頭葉、頭頂葉、後頭葉、側頭葉の四つの「野(や)」です。

 この四つの野(や)は、左脳と右脳に対称的に位置しています。前頭葉、頭頂葉、後頭葉、側頭葉というときは、左脳と右脳を統一した表現です。この四つの野(や)は、中枢神経が機能してつねに同一の機能をつかさどっています。機能とは、「行動のパターン」のことです。人間の脳は、言語を生成することを本質にしています。言語は、「行動すること」のために生成されて、記憶の量と質を高次化しつづけます。この観点から大脳の四つの野(や)を見ると、次のとおりに構成されます。

前頭葉…パソコンのディスプレーと同じように「右脳の前頭葉」にイメージを表象させる。(注・左脳は、このイメージを秩序だてる。)

頭頂葉…人間の行動を具体化する。距離、角度、方向という空間意識の記憶をソース・モニタリングする。

後頭葉…人間の「行動」を運動として記憶し、ソース・モニタリングする。人間の「行動」の基本型は「近づく」「遠ざかる」「引き寄せる」の三つである。

側頭葉…「触覚」「視覚」「聴覚」の三つにかんすることを記憶して、ソース・モニタリングする。

 このように見ると、「人間的な意識」とは、頭頂葉の「距離」「角度」「方向」の三つの「行動」を可能にする「空間」と「時間」についての記憶とその表象であることが分かります。

 ここで何をお話していることになるのかというと、「人間の観念」は、「表現」と「表象」の二つを内容にしている、ということです。「表現」は、乳・幼児がそうであるように、話し言葉、そしてやがて書き言葉を学習して、この「言葉」によって「行動対象」(客体)にかんする記憶のイメージが喚起することをいいます。

 一方、「表象」とは、寝ている時やぼんやりともの思いにふけるときにあらわれるイメージのことです。

分裂病とは、「表現」が「表象」に移行すること

 ところで、このような「表象」は、「表現」の心的な領域にもあらわされます。
 具体的には、次のような言葉を表現するときです。
 金田一春彦の『日本語』(上・岩波新書)からご紹介します。

◎日本語の意味不明の言葉

?漱石の『坊っちゃん』では、「坊っちゃん」が意味の分からない言葉を使っているという場面が出てくる。

?たとえば、「英語の先生」に「うらなり」という名前をつけている。だが「坊っちゃん」は「うらなり」という言葉の意味を理解して使っているのではないことを告白している。

?山嵐との会話の場面がある。「坊っちゃん」は、「赤シャツ」という教頭を指して「あれは湯島のかげまの子どもだろう」と言う。山嵐が「湯島のかげまって何だ」と尋ねる。「坊っちゃん」は答えられない。知らないので説明できないのだ。

?日本人は、言葉の意味が分からなくても平気なところがあるようだ。

■解説

?「うらなり」とは「未成り」と書きます。瓜などで、つるの末の方に、時期が遅くなって成った実のことです。「うらなりのかぼちゃ」とも表現します。この「うらなり」のイメージを元にして「顔色が悪くて、健康そうでない人」のことをたとえて表現するときの言葉です。

?「かげま」とは「陰間」と書きます。「男色(なんしょく)」を売る人のことです。
とくに「少年」のことを指します。もともとの語源は、江戸時代に、まだ舞台に出ない少年俳優のことを「陰間」といいここから転じた言葉です。

?漱石の『坊っちゃん』の「坊っちゃん」は、「うらなり」や「陰間」の言葉の意味を説明できていませんが、「なんとなくこういう意味だろうなあ」と意味のイメージを思い浮べていたことが分かります。

?なぜこういうことが可能なのでしょうか。それは、他者が「うらなり」とか「陰間の子ども」などと話すのを耳で聞いていたからです。病人のようにいつも元気のない人を見て、誰かが「うらなりだね」と言い、「赤シャツ」のように派手な服装をしている人を見た人が、ひやかしや軽い悪口で「陰間の子どものようだね」と言ったのでしょう。「坊っちゃん」はこのような状況をここでの言葉を聞いて憶えていたのでした。

夏目漱石が指摘する日本人の「言語意識」

■夏目漱石は、なぜ、『坊っちゃん』の中で、言葉の意味を正しく知らないのに、知らない言葉を平気で使う、という日本人のことを書いたのでしょうか。

 大野晋は、『日本語の教室』(岩波新書)の中で、井上ひさしの「夏目漱石」についての講演を引いてこう書いています。夏目漱石が「明治44年」に講演したという話の要点です。

1.日本は、文明開化した。では、日本の開化と、西洋の開化とはどことが違うのか。私の考えはこうだ。西洋の開化は「内発的」だ。日本の開化は「外発的」だ。ここが違う。

2.我々が内発的に展開して、十の複雑の程度の開化にこぎつけたところ、ヨーロッパから二十、三十の複雑の程度に進んだ開化がやってきた。これが我々を襲ってきた。
この圧力によって、我々は不自然な発展を余儀なくされている。

3.だが、今の日本人の開化は、地道にのそりのそりと歩くのではなくて、ぴょいぴょいと跳びはねて飛んでいく、という進み方だ。ヨーロッパの開化のあらゆる段階や過程を順々に踏んで進む、という余裕がない。足が地面に触れる所は十尺を通過するうちにわずか一尺くらいなものだ。他の九尺は通らないも同然だ。

4.現代の日本が置かれている状況とはこのようなものだ。日本をとりまく環境が特殊なもので、日本は、ただ圧力を受けて変化を余儀なくされている。日本人は、ただ上皮(うわがわ)を滑っている。滑るまいと思って足を踏んばるために神経衰弱になっている。どうも日本人は気の毒というか、憐(あわ)れというべきか、まことに深刻な窮状に陥っている。

5.私は、このような状況におかれている日本人に「こうしなさい」「ああしなさい」と言うことはできない。
ただ、「実に困った」とためいきをもらすことしかできないでいる。
きわめて悲観しているというのが結論だ。日本の将来についてどうしても悲観したくなる。

6.日本人は、このようには考えていない。外国人に向かって「私の国には富士山があるよ。いいでしょう」といったことを言うノンキな人はいなくなったようだが、そのかわりに「日露戦争に勝ったから、日本は世界の第一等国になったんだ」という尊大の極みの声はよく聞く。

大野晋がとらえた「日本なるもの」の実体

■この夏目漱石の『現代日本の開化(文明の開化)』について、国語学者・大野晋の解説は次のようなものです。要旨をご紹介します。

1.夏目漱石は、「日本人は、内発的に文明を開化した」と言っている。果して、日本人は、内発的に文明を開発してきたのか。

2.私は、大正八年(一九一九年)に深川に生まれた。昭和二年は小学二年生、昭和六年には六年生だった。小学六年の時には満州事変、次の年には上海事変、五・一五事件が起こった。中学四年の時は二・二六事件、高等学校に入ったとき日本は中国に攻め込んだ。大学一年の時に日本はアメリカと戦争を始めた。昭和二十年に敗戦になった。
私はこれらを全部見てきた。

3.私が少年の頃、人々を動かしていたいくつかの条件があった。時代は天皇制だった。
天皇に対する「忠」「孝」が社会を動かす倫理だった。
行動と価値判断の基本的な基準だった。

4.日本には、「日本精神」というものがあると信じられていた。「日本の文化」といわれていた。日本精神の内容を見ると「禊・みそぎ」「御陵威・みいつ」というものだった。しかし、その中身はよく分からない。(注・「禊・みそぎ」…罪とか穢(けがれ・汚いこと)をなくすために川の水で体を洗い清めること。「御陵威・みいつ」…天皇の威光(いこう・人がおのずから敬い服するような威厳(いげん・堂々としておごそかな様子))(おごそか=気持ちが引きしまるくらいの重く緊張させられることの意))。

5.日本というものの根拠とは何か。日本の古い文献は『万葉集』だ。このようなたどり方を国学という。それを初めておこなったのが本居宣長だ。賀茂真淵が、「日本とは何か?は『古事記』に書いてある」と言った。本居宣長はこの言葉に従った。
『古事記』を読む前提として、『万葉集』を読んだ。
そして、35年をかけて『古事記』を解読した。それまで『古事記』を全部読めるようにした人はいなかった。

6.本居宣長はこう考えた。
「日本という国は、中国、インドとは違う。日本は、天地開びゃく(開闢・かいびゃく=天地の始めのこと)以来、天皇家の先祖がずっと統治してきた。」

7.本居宣長のこの国学は、多くの日本人に支持された。この考えにもとづいて徳川幕府を倒し、明治になった。

8.私は、アメリカと日本との戦争にどうかかわったか。学生時代に肋膜炎(ろくまくえん)につづく病歴があり徴兵されなかった。戦争末期に一つの事件が起きた。それは「橋本進吉先生」の逝去だ。栄養失調だった。やせ細った遺骸を前にして「古代日本語を明らかにしたい」という先生の遺志を少しでも果さなければならないと思った。私の一生は決まった。

9.私は、『万葉集』や「仮名遣」の研究に没頭しているうちに『広辞苑』初版の基礎語一○○○語の執筆にとりくみ、『岩波古語辞典』へのとりくみへとつづいた。
合計20年かかった。このとき私は55歳だった。ここから「日本語はどこから来たのか」にとりくんだ。一九七九年にオクスフォードの『ドラヴィダ語・語源辞典』が手に入ったことがきっかけだった。

10.「タミル語」と「日本語」が密接な関係にあることが明らかになった。
そこで「文明」にかんする単語に注目した。代表的なものは次のとおりだ。
◎耕作地…ハタケ(畑)、タンボ(田んぼ)、アゼ(畦)、ウネ(畝)
◎作物…アハ(粟)、イネ(稲)、ワセ(早稲)
◎食物…コメ(米)、ヌカ(糠)、カユ(粥)、モチ(餅)
◎金属…カネ(銅、金属)
◎機織…ハタ(機織、旗)、オル(織)、ウム(績む)
◎道具、その他…スキ(鋤)、ワラ(藁)、ホ(穂)

輸入された日本語の「動詞」と「形容詞」

■タミル語と対応する「動詞」
アガム(崇む)、アク(明く)、アソブ(遊ぶ)、アツム(集む)、アフ(合ふ)、アラフ(洗う)、アルク(歩く)、イク(行く)、イフ(言う)、イム(忌む)、イル(射る)、ウク(浮く)、ウツ(打つ)、ウヤマフ(敬う)、オソル(恐る)、カガム(屈む)、カタル(語る・騙る)、カル(刈る)、クネル(曲る)、コフ(乞ふ)、サカユ(栄ゆ)、サバク(捌く)(合計一○○語のうちの一例)。

■タミル語と対応する「形容詞」
アツ(厚)、アハ(淡)、アヰ(イ)(藍)、アヲ(青)、イカ(如何)、オホ(大)、カラ(辛)、クロ(黒)、シロ(白)、スクナ(少)、ツヤ(艶)、ハヤ(早)、ヒロ(広)、フト(太)など。

11.タミル語と日本語の対応の一致が意味することとは何か。
漢字・漢語が中国から輸入される以前には、日本人が独自につくり出した文明があった、という本居宣長の考えには何の根拠もないということだ。漢字以前の日本の文明もまた「輸入品」であった、ということだ。
日本文明は、漱石のいうように十までは内発的につくってきたものではなく、その十までも「輸入品」であったということだ。日本人は全て「輸入品」によって生きてきた。

「日本語の省略」の根拠

■では、「輸入品」ではない「日本の文化」とは何か?について大野晋は、こうのべます。

◎例
「行こうと言ったんだけれども、いやだと言ったもんだから、怒っちゃって、帰ってきたんだ。」

■解説

?この表現の文例には、表現以前の「事実」の上での文脈がある。「事実」とは、例えばクラス会のことだ。クラス会にはいつもの親しい4人が集まるのだと「聞き手」に知らせて、「本人」はクラス会に行って、帰ってきた。こういう事実経過だ。この文例は、そのような事実をふまえた発言である。聞き手は、いつもの4人が会うことを知っている、ということを前提にしている。この前提を「了解されている」ものとして表現している。だから、A、B、Cの発言は、それらの人物のふだんの発言から「発言者」が誰であるかと推測できるはずだ、という判断がある。そこで、「Aがこう言った」「Bはこう言った」「Cは、こう言った」という主語相当の語句の省略がおこなわれている。

?日本人は、弥生時代以来、農村社会が中心だった。村という「内(輪)の」中で会話してきた。
「村」も「内(うち)」という輪の一つだった。他所者(よそもの)は村の中に入れない。会話しないということだ。日本人の「内(うち)どうしの人間の会話」は「誰が」ということは分かりきっているので言わなくてもいい、という省略の表現の仕方になる。日本人は、「相手に分かっていることは省略する」という「文法形式」をつくった。それが助詞の『は』や『が』『を』の基本型だ。
「相手が知っている」ことは助詞の『は』で示し、「相手が知らないこと」は『が』で示す。「相手が知らないこと」は「動詞」の内容だ。だから、日本語の構文は「動詞」か「助動詞」を文の最後に示す。

■日本語に見る「日本文化」の特性とは言葉の表現を「省略する」ということです。
「省略」とは、「相手と自分は同じ内(うち)なる輪の中の存在だ」ということを相互了解として成り立たせて、「内容を説明しない」ということです。これは、「内容を知らなくてもいい」という言語の能力のあり方にも通じます。
金田一春彦は『日本語』(上・岩波新書)で、日本語そのものの「曖昧さ」(意味が省略して成り立っている語句)の例を紹介しています。
次のようなものです。

1.お願いするときの慣用句
「よろしくやってくれたまえ」(部長が課長に言う)
「○○さんによろしく」(道路で会ったときなどのあいさつ相当の言葉)
「今年もどうぞよろしくお願いします」(新年の年賀状に書くあいさつの文)

■解説

?「宜しく」と書く。「よろしく」は「宜しい」(形容詞)の連用形から副詞に転じた。

?「宜しい」は、「悪くない」「適当に」「許容の範囲で」という意味だ。「良い」という形容詞は積極的な評価だが「宜しい」は、「ほどほどに良い」という評価になる。

?語源は、「自分の居る位置に寄って来て、自分の身に添うように近づいた言葉なり、行動をあらわしてほしい」という依頼の意味になる。

?文例では、主語に相当する語句が省略されている。
「どういう仕事を、どのような範囲や水準でおこなうこと」を「よろしく」と伝えることが省略されている。
「○○さんによろしく」は、「しばらく会っていないが、いつも気にかけている。機会があったらお会いしましょう」といった主語相当の語句が省略されている。
「今年もよろしくお願いします」は、「前年の一年間は、AのことやBのことで助けていただいた。かくべつのお骨折りをいただいた。AのことやBのことばかりではなく、Cのことでもお世話になりたいと願っている。そのためのお骨折りでお世話になることを、今年もよろしくお願いします」という主語相当の語句が省略されている。

?このような「省略」は何を意味するのか。日本人の日本語による「あいさつ」は「祝意」「謝意」「親愛」の意をのべる言葉のことだ。日常の「あいさつ」(挨拶)は、「親愛性」(自分は、あなたと同じ内(うち)に属していますよ)(あなたと同じ内(うち)に所属させてください)を伝えるという意味をもつ。したがって、「挨拶がない」という批判や批難が起こるのは、「お互いは、遠く離れた位置関係にある。遠くのものは妖怪と同じで恐いものだ」という日本語(和語)の区別意識になる。

?「よろしく」(宜しく)という言葉で「主語相当の語句」の省略は、どういう「非親愛」の表現になるか。

1.恐怖(近づかない)
2.畏怖(遠くから見るだけ)
3.畏敬(怖いけど大切に思う)
4.尊敬(学び、マネたいと願う)
5.敬愛(遠くから親しい目を向ける)
6.親愛(思い出せば親しい気持ちになる)
7.愛狎(あいこう)(ぞんざいに扱う)
8.軽蔑(好きじゃない、いや嫌いと遠ざける)
9.侮蔑(存在そのものを認めない扱いをする)

これは大野晋による「敬語の体系」だ。「よろしく」と言い「主語相当の語句・文」の省略は、プロセスの7の段階にあり、8,9の行程に向かって進行していると見なされるものだ。

日本人の「不適応」の構造

2.日本人の省略意識の行動

?グロータースの言による。
「日本の娘にフランス語を教えた。よく出来る。感心した。じゃあ、次はテストをしましょうと言った。すると、とたんに来なくなる」
「欧米人は、このような場合、とっても熱心な先生だと感する。そしてテストを受けに来る」
「日本人は、テストが出来なくて恥をかいては嫌だと思って来なくなるようだ。このような気持ちは、はじめ理解しかねた」

?日本人は、「恥をかく」ということを最高に嫌がる。「恥知らず」というのが気にする悪口になる。だから「恥辱感」に関連した語彙(ごい)が多い。
「恥かしい」…仲間ハズレになること。外の人扱いをされて疎遠(そえん)感を感じる。
「きまりが悪い」…「決まり」と書く。『お』をつけると「決まったパターン」となる。決められたこと、決まったことの行動パターンから外れて、内からハミ出ることをいう。
「みっともない」…「見たくもない」「見苦しい」から転じた形容詞。他人が「見たくもない様子や行動のこと」をいう。「内(うち)輪の人間どうし」では分かっていることを同調させることができないという意味。
「てれくさい」…「照れる」「くさい」(好ましい状態ではないことを強調する語句)と表現する。人前で注目を浴びて気まずく、恥ずかしく思うという意味だ。
瀬戸賢一は『メタファー思考』(講談社現代新書)の中で、「照れる」をこう説明する。「照れる」とは、自ら発熱体となって熱なり、光を発することだ。人前で、実力以上のことを求められて注目を浴びることだ。
ここから語義をとらえ直すと、「行動すること」に恥ずかしく、孤立意識を感じることだ、ということになる。「省略されていること」「相手も誰もが分かっていると了解していること」を表現する、行動する、ということに孤立感を感じる。
「テストを受ける」のは、「分かっている」のではなくて「分かっていないこと」を明るみに出すことだ。だから、「内」(うち)から「外」へと転じて、人間関係をとりきめない相手、と見なされることを「恥」と感じる。
「照れる」「照れくさい」も「省略されていること」をわざわざ行動なり、言葉であらわされる、という「未知扱い」による孤立を「恥」と意識する、ということだ。
この「照れる」から派生した日本人の「省略」からの逸脱意識は、「ばつが悪い」「かっこうがつかない」「はにかむ」「はじらう」「ひっこみがつかない」などだ。

日本人は、必ず「自分」を尊大化させる

■このように見てきて分かることは、「日本人の表象意識」は、つねに「省略」した「主語相当の語句」を言葉なり、行動であらわすことにもとづいているということです。

 具体的にいうとどのようになるのでしょうか。

 フランス人の「グロータース」の説明の「フランス語のテストを受けに来ず、そのまま学習することも止める」というのは、テストそのものが「外(そと)扱い」の人間関係になる、という孤立意識を意味します。これは、「内(うち)の関係」でフランス語がよく出来たのであって、「外なる立場」に身を置くと、一つや二つは、必ずミスとか、忘れたとか、不正解が出るに違いなく、すると「分かっている」と信じていた自分の「了解」は、じつは「自分が、外(そと)なる人間(村の外の人間)であった」という決定的な孤立を陽のもとにさらすことになる、というコンプレックスを「表象」(ひょうしょう)していることになるのです。

 これはどこから来るのかといえば、大野晋のいう「日本語の敬語の体系」の「恐怖」「畏怖」「畏敬」「尊敬」「敬愛」「親愛」「愛狎・あいこう」「軽蔑」「侮蔑」の9つの段階の中の「愛狎・あいこう」や「軽蔑」「侮蔑」のいずれかの位置で、「省略していること」の中身を喪失して「自己を尊大化」していることに根拠があります。「今、自分が立っている位置の人間関係の局面は、敬愛のポジションだ」「この人間との局面は、畏敬のポジションだ」という「省略の内容」を習得していない時、いつでも、どこでも「尊大な自己」を他者の前に出すことになるのです。

 「尊大」とは、ただ「イバリ」「見下し」のことではありません。『瓜子姫』の原日本の神話(現在は民話)に見るように、「相手を殺害し、自分の食糧入手のいけにえにする」という否定や拒絶をメタファーとして象徴します。こういう「尊大意識」が他者の「尊大意識」と真正面から衝突する不安を表象するのが、日本人の「分裂病」の「連想」です。「妄想」と言い換えることもできます。

 次のような「ハーバード流交渉術」と対比させてみましょう。

◎「ハーバード流交渉術」の中の質問の例
「私は、欲得ずくや力ずくではなくて、原則に従って解決したいのです」

解説

?この質問は、相手がどこまでも自分の都合を押し通そうとする局面での質問だ。交渉相手は、自分の都合(すでにこれは自分が決めたことだという感情も含む)に固執するとき、交渉者の話す言葉の意味は耳に入らないか、あれやこれやの言辞を並べて話をそらし、抵抗する。そこで、双方の利益を共に協力し合って実現する、という原則をもち出して、語りかける、というものだ。

「ハーバード流交渉術」のマスターの仕方

■日本人の日本語の「文法」をこの「ハーバード流交渉術」に適用すると、どうなるか?

?日本語の文法は、「内か外か?」を区別することを基準にする。内か外かとは、まず人間関係のことだ。人間と、交渉の内容とは、不可分のものとして認識されている。したがって、「欲得ずくではなく」「力ずくでもなく」という言葉を言うと、この否定語句を「形容詞表現」による肯定表現と了解し、「この人は、自分の欲にもとづいて、そして力ずくで交渉しようとしているのだな」というイメージを表象(ひょうしょう)する。

?さらに、「原則にもとづいて」という客観表現にかんしては「原則」ということが第三者が見ても「公平な判断基準」のことだとは、その意味を習得していない可能性もある。それは、多くの日本人が「よろしく」と言い、あるいは書いても「何をよろしく、適切な水準に近づけてあらわすのか?」ということを省略することが、証拠になる。

?そこで、日本語を用いての「ハーバード流交渉術」は、「省略表現」のもつ「分裂病の連想表象」を防ぐ、ということからとりくむ必要がある。それは、「私は欲得ずくで話しているでしょうか?」「私は、あなたに力ずくの失礼な態度をとっているでしょうか?」と、相手の「表象作用」を、自らの言葉によって「表現のイメージ」に変える、ということによって可能になる。そして、「もし、よろしければ、原則立脚にもとづいたあなたへの協力、あなたへの支援というものを申し上げたいのですが、話してもいいでしょうか?」と、こちらの「尊大性」の感じをとり払い、「敬語表現」によって「内なる関係」を構築するという話し方が有効である。

■日本語(和語)は、話し言葉では、どのように気をつけても、自分を、いつの間にか「尊大の位置」に立たせてしまうという不思議なメカニズムを内包しています。このことを意識して、漢字・漢語による「抽象表現」を日頃から訓練することが、「日本語」(和語)の「分裂病の表象」から遠ざかる方法です。

 日本語はものごとをつねに「動詞文」によって、具体的にこまかく表現するということを特性にしているので、初めから「抽象の次元」に思考の立場を置くことで、思考の習慣として「具体性のみ」に同調しなくてもすむからです。

カウンセラー養成ゼミ NEWSLETTER 第228号 一部掲載

関連
日本語の主観表現のメカニズムと対策 「ハーバード流交渉術」・II


連載
前回:分裂病の解体学・VIII 客観表現のモデル「ハーバード流交渉術」
次回:日本型の分裂病の構造・II 最強の文章表現のための「文法」理解の仕方

参考:脳の働き方の学習のご案内

「第20期」(平成30年・2018年)ゼミ、開講中!
受講生の皆様へ 平成25年5月5日 版 ポルソナーレからの真実の愛のメッセージ 詳しくはこちら!
 受講生の皆様へ 平成25年冬版 ポルソナーレからの真実の愛のメッセージ
女性向けカウンセリング・ゼミ、男性の「女性」対応・ゼミ

ゼミ・イメージ切り替え法

プロ「教育者」向けカウンセリング・ゼミ

カウンセラー養成ゼミ

脳と心の解説

教育方針は「教える・育てる・導くカウンセリング」です 。
「女性」「子ども」のこんな心身のトラブルならあなたにもすぐ解消できます。

「女性向け」、「男性の“女性”対応」のカウンセリング・ゼミです。
女性は「相手が喜ぶ」という共感がないと、ものごとを正しく考えられません。

女性と心を分かち合える「脳」を、最高に発達させる!!が教育の狙いと目的です。女性を「見る」「見たい」、女性から「見られる」「見られたい」関係をつくる、カウンセリング術です。

女性の「脳を健康を働かせる」!安心と安らぎを分かち合う、が教育のテーマと目標です。「気持ちが安心する。だから、知的に考えられる」という女性の本質を支えつづけるカウンセリング術です。

女性の脳の働きが伸ばす「人格=パーソナリティ」を目ざましく発達させる!が教育の方針です。 女性が社会性の世界(学校・仕事・社会の規範・人間関係のルール・合理的な思考)と、知的に関われる!を一緒に考えつづけるカウンセリング術です。

ストレスを楽々のりこえる女性の「脳」を育てる!!が教育の人気の秘密です。女性は、脳の働きと五官覚の働き(察知して安心。共生して気持ちよくなる)とぴったりむすびついて、一生、発達しつづけます。


脳と行動の診断

人の性格(ものの考え方)が手に取るように分かる「心の観察学」

心の病いに感染させられない「人間の関係学」がステキに身につきます。

心の病いを救出する、心と心をつなぐ「夢の架け橋術」

相手に好かれる「対話術」がまぶしく輝くので、毎日が心の旅路。

相手の心の働きのつまづきが正しく分かって、「正しい心の地図をつくれる」ので、損失、リスクを防げます。

性格のプロフィールが分かるから正しく「教え・育て・導く」ができる本物の社会教育の実力が身につきます。


よくある質問

学校に行くとイジメがこわいんです。私にも原因ありますか?

怒りっぽいんです。反省しても、くりかえしています。治りますか?
脳と心の解説

「仕事・人生・組織に活かすカウンセリング」です。他者の心身のトラブルを解消できれば、自然に自分の心身のトラブルも解消します。

プロ「教育者」向けのカウンセリング・ゼミです。
人間は、誰でも「気持ちが安心」しないと正しく「ものごと」を考えられません。

「脳を最大限に発達させる」が教育の狙いと目的です。「指示性のカウンセリング」とは、 「一緒に考える」「共感し合って共に問題を解決する」カウンセリング術です。ものごとには「原因」(脳の働き方)があるから「結果」(心身のトラブル)があります。

「脳の健康を向上させる」、が教育のテーマと目標です。「指示性のカウンセリング」は、「考えたことを実行し、考えないことは実行しない」 という人間の本質を、最後まで励まし、勇気づけるカウンセリング術です。

脳の働きがつくる「人格=パーソナリティ」を育てる!が教育の方針です。
「指示性のカウンセリング」は社会性の世界(学校・仕事・社会の規範・人間関係のルール・合理的な思考)と正しく関わる!を一緒に考えつづけるカウンセリング術です。

ストレスに強い、元気に働く「脳」に成長させる!!が教育の魅力です。
「指示性のカウンセリング」は五官覚(耳、目、手、足、鼻)を正しく発達させて、言語の能力も最高に発達させるカウンセリング術です。


脳と行動の診断

「心の病いの診断学」が楽しく身につきます。

心の病いの予防と解消の仕方の「人間の理解学」が身につきます。

心の病いに気づける「人間への愛情学」が驚くほど身につきます。

「交渉術」の知性と対話の能力が目ざましく進化しつづけます。

相手の心の病理が分かって、正しく改善できるので心から喜ばれます。「心の診断術」

病気になるということ、病気が治るということが正しく分かる、最高峰の知性が身につきます。


よくある質問

朝、起きると無気力。仕事にヤル気が出ません。うつ病でしょうか?

仕事に行こうとおもうと、緊張して、どうしても行けません。治りますか?
バックナンバーの一部を9期後半分より、随時掲載していきます。
詳しくは下記をクリック
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入会も随時受け付けています。
入会と同時にご希望のバックナンバー等、ビデオ(DVD)学習で、学んでいただけます。


ゼミの見学、ゼミのバックナンバービデオ(DVD)試聴も無料です
ニューズレターと共にお送り致します。 詳しくは「入会案内」をご覧下さい。
ポルソナーレのゼミの様子をYouTubeに公開しました。

脳を発達させる日本語トレーニングペーパー 谷川うさ子王国物語

一部公開しました。
トップページ NEW! 年間カリキュラム 学習の感想と学習成果 「日本人の思考」と「谷川うさ子王国物語」と「グローバル化の恐怖」
学習内容(サンプル) 「言葉」 日本語の影響。その仕組みと感情、距離感、人間関係について
「脳を発達させる日本語トレーニング・ペーパー」の役立て方の資料
『分裂病の自己診断表と自己診断』
男性に嫌われない女性の話し方
女性に嫌われない男性のしゃべり方
を教えます

ポルソナーレのマスターカウンセリング

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クマ江さん

《クマ江版・おそろし》
スクールカーストと
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