精神分裂病の症状は、離人症と自閉を一貫してあらわしつづけます |
昭和24年に村上仁(ひとし)(精神科医)は、日本人の「日本型の精神分裂病」は、「離人症」を中心にして第一期、第二期、第三期というように進行していく、と発表しました。
精神分裂病の病理現象はさまざまですが、「離人症」だけは一貫して変わらないと臨床観察しています。
E・クレペリンやE・ブロイラーの観察した「精神分裂病」は、「離人症」よりも「自閉」と「弛緩・しかん」が前面に出て、痴呆現象が多く認められると臨床観察しています。
「日本型の分裂病」は「離人症」を特色としていて、欧米型の分裂病は「痴呆症」を特色とする、という臨床上の観察の違いがあるように見えます。
精神分裂病の「日本型」と「欧米型」のこのような臨床上の観察の違いは何を意味するのでしょうか。日本型の分裂病は、E・クレペリンやE・ブロイラーのいうような「痴呆症」をもたらさないのでしょうか。
そこで、「分裂病とは何か?」を復習してみます。
村上仁(ひとし)が分裂病の主症状とする「離人症」とは、具体的にはどういうものか?を考えてみみましょう。次のような症状があります。 |
日本型の分裂病の特色「離人症」(りじんしょう) |
- 「本を読んでいる。しかし、目は文字を見ているが、言葉や文、文章の意味はよく分からない」
- 「手書き、ワープロ、メールなどで文章を書いているときに、そのそれぞれの意味はよく分からないままに書く」
- 「会話の時に、相手の話の主旨や主意、モチーフを前提にしないで、自分の関心事のことだけを一方的に話す」(バーバリズム)
- 「相手から話しかけられても、自分は受け身のままで応答せず、沈黙する」
- 「相手と会話している時に、その時に思い浮んだことを突然に話し出して話題が飛躍する」
- 「仕事をしている時に、今の自分の現実のこととは無関係なことを思い浮べていて、その無関係のイメージのことに関心を向けつづける」
- 「人前で話すときに話すべき言葉が思い浮ばない」
- 「学校の授業で、教師の話すことを聞いていない。興味や関心が向かない」
これが「離人症」という分裂病の症状例です。共通することは、身体の目や耳は現実に向かい合っていて関わりという「関係意識」は成り立っているのに、心的な目や耳は、「右脳系の前頭葉」に表象(ひょうしょう)している何ごとかの「イメージ」に向いている、ということです。
「見ているのに、しかし見ていない」、「聞いているのに、しかし、聞いていない」という心的な状態が共通しています。例えば、テレビを観ている時に、自分の気持ちを不安定にさせる何ごとかのことのイメージが表象(ひょうしょう)しつづけていれば、「画面を見ていない」「音声を聞いていない」という心的な状態が起こります。離人症とは、目、耳という知覚の意識と、行動的な対象について了解する意識との「乖離・かいり」の状態のことです。「乖離」とは、本来、結びつくはずのないものが別々の位置に離れてありつづけること、という意味です。表現例としては、「枕と夢とは乖離している」というように整合性をもたない概念どうしの位置関係のことを表現する言葉です。 |
離人症の脳には何が表象されているのか? |
人間の脳に思い浮ぶイメージには二種類があります。
「現実のもの、こと」と一義性をもつイメージと、一義性をもたないイメージの二つです。一義(いちぎ)とは、ものごとの道すじ、つながりが一つである、ということです。「意味」や「結果」が一つであるといっても同じです。「リンゴ」のイメージを思い浮べたとしましょう。リンゴにはさまざまな種類があります。しかし、「リンゴ」という概念を構成するものは、他のいろいろな果物と比較して、リンゴに固有の特性をもつもののことを指します。そのような特性をもつ「果実」を具体的に指し示すときに、その「指し示し」をさして「一義性をもつ」といいます。
このように「一義性」を目ざすイメージを「表現としてのイメージ」といいます。
もう一つは、夢や妄想のように、自律神経の恒常性の作用にうながされて思い浮ぶイメージです。これは、人間の「五官覚の知覚」の記憶したイメージが、交感神経の働きを契機にして思い浮ぶものです。
不安な声を幻聴ふうに聴いたと感じれば、聴覚系の知覚神経が働きつづけます。ここに交感神経が血流を送りつづけるので、いつでも誰かの声が聴こえてくるかのようなイメージが果てしなく表象されつづけます。このようなイメージには「一義性は無い」と診断します。 |
日本人は言葉を「概念」とは認識しない |
「離人症」の事例に話を戻します。「身体の五官覚」の一つの目、耳は「現実」に向かい合って形式的な関係を成立させています。しかし、「右脳の前頭葉」には、「一義性をもたない何ごとかのイメージ」が表象されていることはお分りでしょう。
なぜ、こういう乖離が生じるのかというと、関係性そのものには何の不都合も支障もないので、関係づけている対象についての「概念」が「一義性をもつ意味のイメージ」をもたず、「表現性を目ざす」というようには思い浮べられていないからだ、ということが分かります。なぜこういうことがいえるのか?というと「認知的不協和の法則」というものがあるからです。
「認知的不協和の法則」とは、「人間は、二つの相反するイメージを同時に思い浮べることができない」という認知心理学が発見した法則です。「ハーバード流交渉術」の中の交渉テクニックのひとつとして用いられます。
「家族の誰かの健康」にかんすることと「収入や利益」にかんすることの二つのイメージが思い浮んだ場合、「人間は、社会的に価値が高い方のイメージを残して、もう一方のイメージを排除する」という法則です。
「ハーバード流交渉術」の交渉事例では、「企業」の経営者との交渉事例が紹介されています。工事中の安全対策をめぐり、そのための費用をかけるのか、「子どもの事故を防ぐ」という予防措置を考慮するか、というのが交渉テーマです。
ハーバード大学交渉学研究所は、「人間は、社会的な価値の高いイメージを選択する」と説明しています。 |
日本人の言葉の理解の仕方は「内か外か」「行動するか、しないか」だけを意味とする |
しかし、日本人にとっては、この選択の基準は微妙なところです。なぜかといえば、日本語(和語・やまとことば)は、「人間」を「内か外か」に区別して、「外扱いするもの」は「遠ざける」、「近づかない」「成り行きにまかせる」という選択の仕方を無意識の基準にしているからです。「子どもの事故」を「内扱い」としなければ思い浮べるべき選択のイメージとはしない可能性が高いからです。日本人の「分裂病」の主症状の「離人症」は、日本人の使う「文法」のメカニズムに即して発生していると考えることができます。
国語学者・大野晋は次のように説明しています。
① 日本人は、個人と個人の関係を利害の相反する関係とはとらえない。ヨーロッパ人は、相手を「汝」とし、自分を「我」と認識して、お互いは「利害が対立し、相反する存在である」ととらえる。
これがヨーロッパ語の「一人称」「二人称」の考え方の根拠になっている。「一人称とは、自分が話す主体である」「二人称とは、話を聞く主体者のことだ」というものだ。だから、「私は話す主体である」という表示のために「I」をのべる。「あなたは聞く主体だ、という表示としてyouを表示する」という文法のしくみになっている。
② 日本語の文法は、このように「主体」というとらえ方をしない。自分と相手は共同の場で生きている。同じ感覚をもって行動して、同じ感覚でものごとをとらえる「内なる存在」と認識している。そこで、相手を、自分の位置からどの程度の近さ、遠さをもっている人間として扱うか?に判断の全てを傾ける。
③ 日本語の社会では、内(うち)なる人間と言葉を交わして、外(そと)なる人間は「ヨソ者」として排除するという「文法」意識でとらえられる。だから、日本語によるものごとの理解は、「誰にも分かるような客観的な、中立の表現」が乏しく、つねに「親しい」か、「疎遠のもの」かをアピールする表現が多い。
「親しい人間」とだけしか話そうとしないので「説明の省略」が多い。
「なんとなく意味が通じればいい」というものごとの理解の仕方を当り前とする。 |
「省略」とは「知らない」「分からない」と同義 |
■日本人の分裂病の主症状の「離人症」は、人間関係にしろ、仕事、学ぶことにせよ、自分にとって「近いものと扱う」時にも、「遠いものと扱う」時にも発生する機序がある、ということが説明されています。
「近いもの」と扱えば「省略する」ので、曖昧に理解して、「正しい内容」が分からなくなるという不安が生起します。
「見ているのに見ていない。聞いているのに聞いていない」という離人症状態は、見たり聞いたりしていることを「曖昧」にしか理解できないことが原因である可能性があります。あるいは、「相手」が「曖昧」にしか説明しない場合も、理解が「曖昧」にしか得られないので過度の緊張を強いられるでしょう。人間にとっては「分からないことが最大の不安である」というのが本質です。ちょうど「真っ暗闇の道路を全速力で走ることを強いられている」かのような不安が生起します。
「このまま走りつづけると、何かに衝突するか、深い穴に転落するぞ!!」という打撃を予測して「恐怖」に通じます。この「恐怖」を予測する時に、「恐怖のイメージ」の代わりに「安心のイメージ」を表象します。
この「安心のイメージ」を思い浮べることが「自閉」です。
「自閉」は、E・ブロイラーによる定義です。 |
日本人の「概念」という意識の欠如は、社会という世界を無いものと扱う |
もう一つ、「離人症」は、ものごとを「外扱い」する時にも生起します。
「外扱い」とは、「本を読んでいるのに意味がくみとれない」「文章を書いているときに言葉や内容についての意味不明のまま書く」といったケースです。
「意味がくみとれない」とは、具体的にはどういうことを指すのでしょうか。瀬戸賢一は『メタファー思考』(講談社現代新書)の中でこうのべています。
① 「見る」とは、何のことか。『広辞苑』には、四つの説明がある。
(一)目にとめて内容を知る。
(二)判断する。
(三)ものごとを調べ、行なう。
(四)自ら経験する。
② 「見る」は、(一)が基本型である。(二)(三)(四)は、(一)のメタファーだ。メタファーとは「メタ」(向うに)、「ファー」(運ぶ)ということだ。「見る」のメタファーは「知る」に転じている。
③ (一)の「見る」は、ものごとのパターンをすでに分かっている時の「見る」だ。確認するとか、くわしく確かめる、深く分かる、という意味だ。「映画を見る」「テレビを見る」「秋の景色を見る」といったときに用いる。
(二)の「見る」は、「知ること」に中心がある。「目で見る」という行為よりも「中味を分かる」という意味で用いられている。「占いを見る」「新聞を見る」「絵を見る」などと表現する。
(三)の「見る」は、ものごとの経過を正しく把握する、という意味だ。「企業の経理を見る」「様子を見る」「勉強を見る」「病人の様子を見守る」などが表現例である。
(四)の「見る」は、「経験する」という内容を表現するものだ。
「馬鹿を見る」「憂き目を見る」「ひどいことにぶつかってひどい目を見る」
④ 「漢字・漢語」による「見る」のメタファーと、その意味は次のとおりである。
1.見る(みる)…身体の知覚神経による行為。ものごとを視覚で見分ける。
2.看る(みる)…注意して見落しのないように、訓練した見方を用いて見る。
3.視る(みる)…考えながら見る。精神的に、知的に見る行為のことだ。
4.覧る(みる)…高い所から広く見渡すように、全体と部分を同時に見る。
5.観る(みる)…ものごとを客観的に見る。成り立ちやしくみが分かるように、知的に見る。
6.察る(みる)…よく見て、くわしく調べる。評価を目的にして見る。
7.窺る(みる)…「うかがう」が訓読み。そっと様子を見て、行動の機会をとらえるために見る。
⑤ 「漢語」による「見る」の名詞形は次のとおりである。
見学(けんがく)…実際にものごとを見て、そのものにかんする知識を得ること。
見物…楽しみや好奇心からものごとを見ること。
拝見…自分の見るという行為を低めて、へりくだって言いあらわす謙譲表現。
私見…公に一般化されている考えや評価にたいして、まだ公表には至らない個人的な見解。
見解…ものごとについての社会性のある評価、および建設的な意見のこと。
知見…長い間の努力の結果、その成果として明らかになった、見て知り得たこと。 |
人間は言葉の「文法」に従って考え、行動する |
■日本人が、日本語の文法のしくみにしたがって「外扱いをする」とは、瀬戸賢一ののべる「見る」についての「分かり方」のこのような内容に「近づかない」「遠くから見る」「知らなくてもよい、と成り行きにまかせること」をいいます。
ここに例としてあげているどれでもいいのですが、「意味不明」のままに聞く、そして文章に書く、というときに「離人症」が生起します。
具体的には、「見るとは、どういう意味ですか?」と問われたとき、(一)目に止めて内容を知る、(二)判断する、(三)ものごとを調べて行なう、(四)自ら経験する、の四つが答えられなければなりません。
「相手の話を前提とせずに、自分の関心事だけを一方的に話す」(バーバリズム)というのは、問われていることを無視して自己流の恣意的な解釈を話すということです。これも乖離です。したがってこれも離人症です。
「相手から問われて、質問されても受け身で沈黙する」というのは、「正しく答えられない」、いいかえると「話し言葉」によって記号として憶えて、意味不明のままに行動するという離人症です。このような意味を不問にして行動を記号性の言葉で成立させる離人症が「仕事をしているときに全く別のことを思い浮べる」、「学校の授業で、教師の話すことが耳に入らない」といった、妄想による乖離を生起します。
このような「離人症」をつくり出すのが日本型の分裂病の特徴です。もともとの背景は日本語(和語・やまとことば)の「文法」にあります。
その日本語の「文法」とは、一体どういうものでしょうか。
国語学者・大野晋は、『日本語の年輪』(新潮文庫)で次のように記述しています。
要旨となるところをご紹介します。 |
日本語の「文法」の起源と成り立ち方 |
① 私たちが日本語と呼んでいる言語は、いつごろからこの島で語られたのか。
三世紀中頃につくられたという『魏志倭人伝・ぎしわじんでん』には、日本に関する記述がある。この中には、日本の「地名」「官職名」などが書かれている。書いているのは「中国語の文字」だ。その当時の「字音」で書かれている。
② 日本語には『古事記』や『万葉集』など、八世紀の文献がある。その八世紀の日本語は、これによって三世紀の半ばまでさかのぼることができる。日本語の古さは、ここまでは文献的にたどることができる。これ以前については、直接の資料で日本語の古さを確かめることはできない。
③ 言語は、決して言語のみで成立しているのではない。それを語る「人」がある。その「人」は、着物を着、食物を摂り、結婚し、死んで葬(ほうむ)られる存在である。
人間は、古代にさかのぼればさかのぼるほど、強い慣習の絆(きずな)にしばられている。言語は、多くの場合、文化と複合して共存している。 |
日本の文化の慣習は南方からやってきた |
④ 日本の最古の文献時代である八世紀の歌謡、それ以後の物語によれば、日本には母系的な結婚の習俗が根強く行きわたっていた。女王、女の巫子(みこ)、太陽神の崇拝、神話の内容、神の観念など古代日本の文化は、南方的要素が濃い。
時代がさかのぼるほど濃くなってくる。
この南方的文化要素は、弥生文化期に日本に入って来たものと考えられる。
⑤ 弥生式文化が日本に入って来て、それまでの縄文式文化の生活を一変させた。水田稲作、金属器、機織(はたおり)などが弥生式文化だ。北九州から近畿地方まで勢力を伸ばした。この地域に、弥生式文化をもった言語が広まったと考えられる。 |
「アウストロネジャ語」が原日本語 |
⑥ 弥生式文化期に日本に進入してきたのは「タミル語」であった。
それ以前の縄文式文化の時代の日本の土地におこなわれていた言語は、南方の「アウストロネジャ語」の中の一つが日本でおこなわれていた。
この「アウストロネジャ語」の一つの言語の上に「タミル語」がかぶさり、広まった。すなわち「アウストロネジャ語」が原日本の発声と発音を成して「話し言葉」を形成したと考えられる。これが、歴史以前の日本語のごく大体の姿である。
⑦ 五、六世紀頃に成った中国の史書『隋書倭国伝』(ずいしょわこくでん)には、日本について「文字がない国だ。ただ木を刻み、縄を結ぶだけだ。仏法を敬している。百済(くだら)において仏教を求得してのち、初めて文字を手に入れた」と書かれている。
現在までに、日本で発見された文字の最古の遺品は、弥生時代の出土品の中にある「王莽・おうもう」の「貸泉」である。西暦一世紀のはじめの「16年間」に造られた「貨幣」(かへい)だ。
文字が鋳(い)こまれている。 |
渡来人が「漢字・漢語」を持って来て日本人に見せた |
⑧ 古墳時代に、朝鮮から渡ってきた「渡来人」は文字を自由に使いこなしていた。
ヤマトの人々は、渡来人の使う文字を見て、畏敬の念と好奇の感情でとらえたと思われる。文字とは、中国語(漢字・漢語)のことだった。それは、「自己の思想、感情」を音声であらわした。耳で聴くほかに、表現を目に見える形にあらわす、という新しい技術だった。
日本人の知識人たちは、中国語を学習した。しかし、それを自由に使用できるようになることはほとんど不可能だった。
中国語と日本語は、言語の構造の上で根本的に相違していた。
中国語は、「単音節語」だ。一つの「音節」で「一語」となる。動詞、助動詞の活用ということはない。だから中国語は「孤立語」といわれている。日本語は「多音節語」だ。一つの音で一語となるものもあるが、多くは「二音節以上」で「一語」となる。その上、動詞、助動詞は「語形変化」をもち、助動詞は、下へ下へと数多く重ねて用いる。
さらに、日本語と中国語では、単語の順序が、時として全く逆になる。
それにもかかわらず、その中国語を書くための「漢字」だけが、当時の日本人にとって考えうる唯一の「文字」だった。文章といえば、「漢字」を連ねて書いた「漢文」だった。
また、中国語のアクセントは区別が多い。「平声」(ひょうしょう)、「上声」(じょうしょう)、「去声」(きょしょう)、「入声」(にっしょう)という複雑なアクセントをもつ。日本語のアクセントは「高」と「低」の二種類があるだけである。
それにもかかわらず、日本人は、漢字を覚えなければならなかった。正しい格に合致した漢文を書くことは、極めて少しの人々にしかできなかった。
⑨ 「漢字・漢文」は、日本に、「法律」「道徳」「宗教」「医学」「天文学」などさまざまな「知識・学問」の担い手(にないて)として進入してきた。近代の産業革命にも比すべき重大な文化的激変をもたらした。 |
抽象的な観念は「漢字・漢語」でしか身につかない |
⑩ 当時の日本人は、自分の言語(原日本語・やまとことば)で高く、深い思索を営むほどには発達した段階には到達していなかった。
「抽象的な観念」は、中国語で表現する慣習が成立した。
学者は、ものごとの現象を自分で観察して記述する、分析する、体系立ててのべる、ということはしなかった。中国語を暗記(あんき)、暗唱(あんしょう)すること、中国語についての知識をためこむことを任務とした。これにより、本当に必要な発明と発見の態度が養われなくなるのに一役を買った。また、今日のわれわれが、耳で聞いてよく区別できない単語(同音異義語、同音類語)の多さに苦しむのも、この漢字の直輸入によってもたらされた問題である。
中国の複雑な「発音」を簡単な日本語の「発音」で受け入れるので、「同音の漢字」が多くなったのである。 |
日本人は、漢字・漢語を和語に合わせ、「書き言葉」を作った |
⑪ 現在、最古の鏡の一つは、「隅田八幡」(すだはちまん)の鏡である。
漢文の文章が刻まれている。しかし、純粋の漢文ではない。日本に「文字」をもたらしたのは「渡来人」の「百済人」(くだらじん)だ。彼らは、故国の百済で、中国語と自国語の相違に苦しんだ。そこで漢字を純粋な漢文風ではなく、自国風に使う仕方を打ち出した。このやり方を日本に持ち込んだ。「推古十五年」の法隆寺の金堂の「薬師仏」の光背に銘が漢文で書いてある。
漢字の権威と日本語との心理的な闘いののちに成り立った文章だ。漢字を、日本語の「語順」に従って記した。
「推古時代」になると、「聖徳太子」を中心とする漢文のいくつかが残されている。「聖徳太子」の「憲法」「勅書」には仏教の書物の書き方の影響がある。しかし、純粋の漢文には、まだはるか遠く到達していない。
「漢文」は、正式な文章としての権威をもって人々に重くのしかかっていた。聖徳太子の漢文は、日本語らしい文章を書く、日本語の「敬語の語法」を日本語として表現したい、中国語にない助詞、助動詞を正確に文字に書きとめたい、語順の相違を日本語に合わせて表記したい、そんな願いを、聖徳太子は切りひらいたとも考えられるのである。 |
和語の話し言葉の「文法」どおりに「漢字・漢語」を合わせることに成功した |
⑫ 「推古時代」から約百年をすぎて「文武天皇」のころになると、だいたい日本語の語順で、日本語の特質である助詞、助動詞を特別な形で際立たせて書いた「宣命体」(せんみょうたい)の文章が歴史書の中に見出されるようになる。『日本書紀』についで編集された『続日本紀』(しょくにほんぎ)である。
この文章は、読み下せば日本語になる。天皇の即位にあたっての祖先への崇敬、人民への慈愛の情などが事細かに述べられている。物を賜り、人を罰し、また罪を許して教訓を与える、などが書かれている。
聴く者の心に語り手の真心が訴えられ、何か迫ってくる力をもった文章である。日本語の特色である「テニヲハ」は多く小文字で二行割注にして、かなり忠実に書かれている。
名詞、動詞のような言葉は大きく書かれて区別がある。
この形態の特色である「二行割注」の小文字の部分は、後世、「略体」の「片仮名」によってとって代わられる。それが『今昔物語』などのような「漢字片仮名交じり文」へと移っていく。
さらに、明治時代にいうところの「普通文」がそこから発達したのである。
⑬ このような先例の中で『古事記』は書かれた。また『万葉集』が約四千五百首の歌を集めた中には、漢字の音や、日本風の読みを混ぜて使い、一字一音の表記法によるなど、さまざまの苦心が払われている。中国の文字で日本語の歌を書く労苦と、闘いの喜びとがそこには織り込まれているといえよう。 |
日本語の文法は「話し言葉」による表現の秩序体系である |
■大野晋ののべるところから、「日本語・和語=やまとことば」の生起と発展のあらましを概括しました。
ここで分かることは、「日本語」「和語・やまとことば」とは、原則として「話し言葉」であるということです。「漢字・漢語」は、中国では「話し言葉」と「書き言葉」の二つが用いられていますが、日本に直輸入された時は、「書き言葉」としてだけ取り込まれていることが分かります。日本人は、「書き言葉」としての中国語の「漢字・漢文」を知性の権威として受け止めて、書かれている内容の摂取に務めています。それが、当時の知識人の最優先の仕事でした。
その仕事の取り込みが消化の過程に入ると、日本語の「文字化」がおこなわれます。
この「漢字・漢語」の取り込みは、もともとの「アウストロネジャ語」の発声、発語を中心とする和語(やまとことば)の「文法」のとおりにおこなわれています。「内」か「外」かを区別する文法メカニズムは、「漢字・漢語」の見せる「外の世界」へと拡大して、認知の能力だけを拡張しています。 |
書き言葉とは「Y経路」の認知・認識。日本語の文法は「X経路」中心。「Y経路」を表象しない |
「漢字・漢語」の見せる世界とは、「脳の働き方」に即していうと「Y経路の対象」です。「拡大」とは、名詞、形容詞の「概念」の習得のことです。この拡大は、認識の能力の拡大ではなかったのでした。日本語の文法は、形容詞、動詞、助動詞を変化(活用)させるにともなって、「話し言葉」を発展させてきたのです。
この日本語の発展の道のりは、「漢字・漢語」の示す「Y経路の対象」に依存して、自らの「内なる存在」の不安を際立たせるものでした。これは、情緒の深化という認知を自覚させます。外にたいする不安の反映として疎外される自己の情緒不安がリアルに実感されて、「哀れ」とか「憂い」などが「文法」に形式づけられました。これが日本型の分裂病の「自閉」と「離人症」を日本人の特色にさせたのです。これは、「Y経路」の本質の「一人の人間の意思と意思を合意する行動」を文法にあらわすことがなかったという事情と歴史的な背景にもとづくものです。 |