■「胎児」の成長・発達の進化の過程を見ると、「五官覚」のうち、「聴覚」と「触覚」(味覚も)が初めに完成していることが分かります。胎内の「胎児」は、聴覚を働かせはじめます。どのように聴覚を働かせるのか?というと、まず、母体である母親の「心臓の心拍の音」を聴くのです。そして母親の体内の血管を流れる「血流の音」を聴きます。心臓の心拍の音を聴くのは「Y経路の認知と認識」です。「血管の血流の音」を聴くのは「X経路の認知と認識」です。
「Y経路」とは視覚の知覚神経のことですが、この視覚の神経経路に「聴覚の神経経路」もかさなっています。
そして、耳の聴覚から側頭葉にある「聴覚野」に伝わって、「海馬」でエピソード記憶されるというしくみになっています。
「Y経路」の聴覚の知覚対象の「母親の心臓の心拍」は、自律神経の副交感神経支配です。
この副交感神経は、脳の中では「A6神経」のことでもあります。「A6神経」は意識の覚醒から、行動のための心や精神(人間的な意識)までを表象させたり、表現させます。
すると、妊娠中の母親の精神状態が不安定ならば、「胎児」は、「心臓の心拍の音」が自分の心臓の心拍と連動して「遠くのものは、自分に不安定さをもたらす意思をもつ」とエピソード記憶します。そして、「母親の体内を流れる血管の血流の音」は、やはり副交感神経支配なので、おだやかでゆるやかな流れの「音」ではなくて、山の中の滝から流れ落ちる水の音のように激しい「音」として聴くでしょう。血管を流れる血流の音は「意思の内容」としてエピソード記憶します。「意思の内容」とは、「不安とは、子ども自身の不安と同じものだ」という「意味」のことです。
大野晋の『日本語の年輪』(新潮文庫)には、日本人の宗教意識についての解説が書かれています。
櫛(くし)も見じ屋中も掃かじ草枕(くさまくら)
旅行く君を斎(いは)ふと思ひて
(万葉集)
「髪をけずる櫛(くし)も見ない、そして家の中も掃かない。草を枕に旅に出ていくあなた様をお斎(いわい)すると思って」という意味です。
「斎(いわう)」とは「祝う」のことです。「お祝いする」の語源です。
この万葉集の歌は、「斎(いわう)」ということのもともとの意味が書きあらわされていると、大野晋は解析します。
それは「感染呪術(じゅじゅつ)」といわれるもので「アニミズムの一つだ」というものです。
アニミズムとは「自然信仰」のことです。「自然の中にいる霊」をおそれるという日本人に固有の宗教心のことです。ここでの「感染呪術(じゅじゅつ)」とは、女性が男性にたいして「関係の変化をおそれる」ことが歌われています。櫛、家の中の物は旅に出ていく男性が手で触れたものだ、それらのものに触って状態とか様子を変えれば、「男性と自分の関係も変わる」ことになる。男性が触れたものをつつしみの心、おそれの心をもって変えずにおく……それが「祝い」のもともとの原義の「斎(いわ)う」ということだ、と説明されています。「これから先もずっと良いことがつづきますように」という「斎(いわ)う」のが呪術行為(じゅじゅつこうい)としての「櫛にも触らず、見ない」「家の中を掃除もしない」ということです。
ここでは、「手で触る」という「触覚」に認知と認識の内容が還元されていることが分かります。「聴覚」も「視覚」も、大脳の側頭葉にある「ウェルニッケ言語野」で「実在性の了解」が記憶されるということの実例として理解することができます。 |